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不幸になりたくない、27歳の秋の話




人との関係の違いを、考えている。

すべては私の頭がアホになっていた時に、アホな理由で始めたマッチングアプリで出会った「顔のいいお兄さん」に起因する。私はお兄さんのことが好きではない。恋愛的な意味で。自分でも驚くけれど、本当に全く、好きではない。人としては、割と、いや、だいぶ好き。

お兄さんと言っているが年齢は2つも下だし、本名も職業も知らない。チラッと口走っていたような気もするけれど、何の興味も湧かなかったので聞き返していない。とにかく顔がよくて、空気が読めて、甘えるのがうまくて、香水や部屋のセンスがいい。それだけ。肉体的な関係が全くないわけではないけれど、セックスをしたことはないし、これから先も彼が私を抱くことはないような確信がある。私も別に、この人に抱かれたいとは思わない。

もともと私は、「恋愛」と「セックス」を別物に分けて考えているけれど、それでも驚くくらい彼に何の感情もないのだな、と思って笑っている。

どうでもいいのだ。

聞こえが悪いけれど、彼が今、私に開示しているもの以外に、何の興味もない。
本当は、本命の彼女、もしくは落としたい相手がいるのか、とか。
趣味はなにで、出身はどこで、兄弟はいるのか、とか。
そういうことすべてに、大変全く興味がわかない。

ただ、隣にいる時間や、他愛のない話をしているとき、手をつないでいるとき、抱きしめられているとき、キスをするとき、「帰っちゃうの」と引き留められるとき、そういうときに安心する。

だけどそれはすべて、「偽名」の彼が見せる行動で、私はそれだけを愛おしいと思っている。

伝わるかわからないが、兎にも角にも、私は彼に何の恋慕もない。


昔、すきだったあの人たち(いつもの人たちです)には、明確な興味があった。

私とのやり取りは一体何なんだろうと無駄なくらい悩んだりとか、周囲に探りを入れたりとか、いろんな駆け引きをしたりだとか。

どんな人がタイプで、何が好きなのかとか。
休みの日は何をしていて、アルバイトはどれくらいしているんだろうとか。
他愛もない会話の中で何度も探ろうとしたし、直接聞いたりもした。

好きだった人は、私に何も与えてくれなかった。顔のいい彼はいろんなものを与えてくれるのに、何の感情も働かない。ふしぎだ。私は、心からふしぎに思う。恋愛ってふしぎだ。いや、私がふしぎなのか。


ある人を、好きになりかけていて、それを懸命に止めようとする自分がいる。

そして周囲も同じように私を止めようとしている。

周りが「ダメ」という相手はやめておいたほうがいい。

大変理解しているし、私が過去に好きになったすべての人が、あらゆる知り合いから「やめときなよ」と言われていた人たちなので、痛いくらいわかっている。だから私も懸命に止めている。だけど、止めながら思う。


私、この先誰のことも好きになれないんだろか、と。


大好きなフォロワーが「人生、ぶち壊してほしかった!」と元恋人であろう人について、ツイートしていたことがあった。人のことなので彼女の詳細は言えないけれど、なんだか涙が出た。

他の記事にも書いたけれど、好きだった人は不幸を運んでくる人だった。それはそれは、冷や汗が止まらなくなるものばかりで、「まじで笑えんぞ」と彼はしょっちゅう周りに言われていた。最後の最後に私のところにきて「どうしよう」と笑う。情けなくって、私はいつも「どうしようね」と笑っていた。だけどその全てが私は大好きで、この人になら、私も人生をぶち壊してほしかった。この人が持ってくる不幸なら、私は喜んで、一緒に分けっこして、倒れていたと思う。共倒れ。どう読んでも、不幸だ。


私はたぶん、少し不幸なくらいの恋愛が好きなのだと思う。

完璧な幸せって少し怖い。少し物足りなくて、へたくそで、そんな恋愛が好きなのだと思う。だから「顔のいいお兄さん」のことは好きにならないんだろうな。彼は完璧だから、逆に物足りない。冷や冷やしなくて、つまらない。


周りが思うより私は「ヘボい」人間だった。

ヘボいってもしかして関西弁?つまるところ、「弱い」だ。周囲が見ている私より、もっともっと弱くて間抜け。しょうもないミスのほうが多いし、すぐに人にケンカを売る。心も狭ければ口も悪い。作り上げた私の「頼れる」虚像たちはどんどん強く逞しくなっていく。私はそれを育てた手前、愛着を持つと同時に、いつも憎く思っている。


人を好きになったとき、私のその虚像が、案外脆く、その人の前で崩れる。


正確には、崩される。

「なあんか、別にいいか、間抜けな私で。」、「だってこの人も、なんか物足りないし、危なっかしいもん。」と思える人を好きになる。ちょっと雑な関係で、脆くて怪しいのに、どちらも核心を突かない。私が好きになるのはいつもそういう人だった。今回ももちろんそう。

そんな人だから、「人生、ぶち壊してほしい」と思う。


だけどある程度、きちんと「自立して」生きている人が好きだ。

叶うかどうかはどうでもいいけれど、目標や夢があったり、きついなと言いながらも仕事をしていたり、好きなバンドやアイドルを追い回していたり、それこそ私のように虚像を作っていたり、そういう人が好きだ。すごく矛盾しているように聞こえるけれど、実際そういう人は多い。内と外。見えないところで抜けているけれど、周囲からの評価は高いとか。物足りないなりになんとかどうにか生きている。


好きになってしまわないように、懸命に蓋をしている。

いっぱい、彼の物足りないところを探して、いやさすがにダメでしょって、一生懸命蓋をしている。こういうのって、無駄なのだ。知ってる。そうして意識した時点で負けている。


ああ、なんか、怖いな。

私また、失敗するのかな。

行動しない後悔を痛いほど感じたのに、それでも行動しないことへの安心感は計り知れなかった。そうすれば傷つかずに済むし、虚像を積み立てなおせばいい。いつもそう思う。あんまり人を好きになれないのに、その上行動まで起こさないと来たら、案外、そっちのほうが不幸だったりして。


私は私の人生をぶち壊すことはできない。

怖くて脆くて、「へぼい」から。


どっちの方が不幸なんだろう。
変わらないことと、変わること。
諦めることと、進むこと。
関係を望むことと、望まないこと。
幸福を願うことと、願わないこと。
生きることと、死ぬこと。


誰といるときの自分が好きって、そんなの聞くまでもないのにね。


いやはやしかし、まとまらんな。

愛とか恋とか友情とか。27歳になってもわかりません。
何を選ぶのが幸福で、何を選ぶのが不幸なのかもわかりません。
みんなそんなもんだと思っていたけど、そんなことなかったなあ。


ああ、どうでもいいんだけど、写真は私が大昔に破壊したエレクトーンです。こんなことするふうには見えないとか、叩いて壊したって聞いて仰天する家族を見て、ああそうだよな、と思う。うまく弾けなくて、叩いて壊した。壊すつもりはなかったのに、大事なものって案外、簡単に壊れるんだなって、一番学んだ、私の小さく鋭い不幸の写真。

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