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身体にまとわりつく夏の陽が恋しい

悪夢の話を書いてからというもの、そういえばしばらくnoteを更新していなかったことに気が付いた。
noteのお題に「夏の思い出」というのがあったので、それについて書いてみることにする。おそらく途中で話がずれるが、まあ私の文章の醍醐味ってことで(…)。


ここ最近の夏の思い出といえば、私は家に引きこもっている記憶しかない。

この2年は、夏になると限界を迎え、休職している。
通院したり実家に帰ったりする程度で、ずっとずっと家でゲームをしている。夏らしいことは何もせず、ただエアコンの効いた部屋でぼんやりと暮らしている。虚しい話だ。過去に視点を移すと、大嫌いな夏も少し涼しげで爽やかで楽しいものがいくつかあった。その涼しさとは反対の、作られた「冷たさ」の中で、私は2年間息をしていた。

その2年の話を書いても心が冷たくなるだけなので、これまでの夏を少しだけ振り返ることにした。


2年を吹き飛ばした夏。つまり3年前の夏である。そしておそらく、私のことなので夏をふっとばしてその年の話をしてしまうが、許してほしい。

3年前の夏は普通に仕事をしていた。夏の暑さは鬱陶しく、残念ながらそこに清々しさはなかったものの、とてもいいメンバーに恵まれた部署で仕事をしていた。みんな仲がよく、「まだ言っちゃだめだからね!」と言われている異動の話もこそこそと共有していた。先輩ばかりの部署だったが、よく飲みに行くメンバーだったので楽しかった。たった4人の部署。割と重要な部署を4人で回していた。

掃除をみんなでするからと、それの前準備を4人でしたりした。
同じ部署だけれど私は1人独立した部署でもあり、とっても細かく分類すると3人と1人なのだが、先輩たちはそれにも誘ってくれた。業務外だけど楽しかった。4人でベトベトになりながら、前準備をした。

全員で掃除するときも私たちが先導し、ここは終わってるからこれをやってくれだの、ギャーギャー騒ぎながらやっていたから、4人だけ丸焦げに日焼けをし、またも4人だけ人よりボロボロに疲れていた。先輩と炭酸飲料を飲んだ。謎の達成感にみんなで笑った。このときばかりは、爽快だった。夏の蒸し暑さも、なんとなく、爽やかだという意味が分かった。


私1人を置いて、残りの3人が出張に行くこともあった。
そんな見事に全員連れて行かなくてもよくない?と私は心底思っていたが、先輩たちは「ウケるな」と笑っていた。なにわろてんじゃい。そんな日によって3人が各々もっている「本日中の仕事」がたんまり残っていて、3人ともヘラヘラと笑いながら私に仕事を押し付けて出張に行った。繰り返すが、厳密にいうと私は別部署である。

本来絶対に私から上がらないはずの決裁が私から上がってくること、本来いないはずの会議に私が出席していること、本来やっていないはずの業務をなぜか私がやっていること、それが私までなんだか面白くなってしまっていた。何やってんだ私は。先輩たちは今ごろ楽しく車の中だろうか、と少し羨ましく思いつつも、ニヤニヤしながら私に仕事を押し付けた顔を思い出して笑っていた。

出張は2日間にかけて行われ、戻るのは翌日の夕方、つまるところ丸2日は1人ぼっちだった。他の部署の人たちが「いつも楽しそうだから、ちょっと寂しいね」と声をかけてくれる。それを聞いて、私たちはいつもそんなに楽しそうに仕事をしていたのか、と笑ってしまった。

当人が留守の日に限っていろんな問題が起こるのはきっとどこも同じで、その2日に限って問題がいろいろと発生し、電話はやたらと鳴るし、私の部署自体の仕事が増えてみたり(本来業務だけなら日時を自分でずらせるものが多い)するしで「はよかえってこいよ」と思っていた。てんやわんやだった。

先輩たちは帰ってくるなり「留守番おつかれ」と言って、3者3様のお土産を私にだけくれた。職場には買ってないし、その上現地ではなく帰り道によったPAのお土産で、私は職場でゲラゲラ笑った。しかも無駄に大容量だった。私は後輩や仲の良い同僚にお菓子を配り、「出張行ってたの先輩でしたっけ?」と笑われたりした。多分ここまで想像してお土産を買ったんだろうとまた笑った。


その後、私の仕事が信じられないくらい唐突にたんまり増えたとき、何も言わずに先輩たちは拳を出してくれた。じゃんけんである。担当分けようと拳だけで伝えてくれた。私も拳を出して、4人でじゃんけんをした。じゃんけんして、ちゃっかり一番楽な場所を勝ち取った。担当なのに。

先輩たちとの思い出は、意識して思い出そうとしないと思い出せないけれど、どれもなんだかヘラヘラとしている。幹部に楯突く先輩は、いつだって超正論を超ど直球に投げるからびっくりする。ただし、その正論が間違っていたり偏っていたりしたことは一度もないから幹部が負ける。一番優しい先輩は、とても寄り添ってくれて温かい人に見えるけれど、実は遠目からしっかりと人を見ている冷静な人だ。判断すること、言葉にすることが冷静沈着で、あの優しく温かい人と思えないギャップに何度も驚いた。私の一番尊敬する先輩だったりする。一番元気な先輩は、本当にうるさい(声がでかい、のほうがいいかな)が、いつだって明るく現場を盛り上げてくれた。だいたい「うるさいんだよ!」ツッコまれていたが。異様に前向きで、「なんでそんなにやる気満々なんだよ…」といつも疲れることを言っていた。いい意味である。


もちろんこの楽しい部署も忙しいし、やることは結構堅いことが多いので、みんな神経を使っていた。一生懸命働いていた。なので会話くらいはバカだった。みんなが静かに昼食をとる中、私たち4人はどうでもいいことで話しながら食事をした。4人は横並びで、間にはアクリル板があったから許してほしい。

どうでもいいが、まるで「この中では私普通なんです」という感じで書いているが、私は私で変わっているらしい。1番目の先輩(私は一番変わってると思ってる)に「とわさん、自分のこと、まさか普通と思ってないよね?」と言われている。思ってるわい。


予告通り夏をすぎるが、私たちにも別れの季節はやってくる。

1月末、転勤する人が発表になる、が、それは内々示なので確定ではない。なので「誰にもまだ言わないこと」と言われている。転勤なので外へ出ていく。一番元気な先輩は、もともとの出身や結婚、自身の希望もあってとんでもない遠方に異動が決まった。内々示といえど、幹部でない私たちはほぼ確定の異動。言ってはいけないとはなんのやら、元気な先輩は異動の告知を受けた数秒後には私たちにひっそり異動を告げていた。我慢がきかなすぎていて笑いつつ、「お呼ばれ」しなかったことで異動がないことが確定した残りの私たちは凹んでいた。

3月頭、職場内の内部異動も発表になる。
私はみんなが口を揃えて「とわさんがあそこになることだけは絶対にないね」と言われていた部署に異動が決まった。まだ言わないでねのお墨付きだったが、私がこっそり呼び出されていたのは全員が知っていた。私も呼ばれた途端に「えまってウケる」と思っていたし、先輩たちが笑っていたのも知っている。告知を受けながら「笑ってはいけない」と笑いをぐっとこらえ、事務所に戻るやいなや吹き出しながら「あそこに異動なんですけど」と報告した。3人は声を上げて笑い、他の部署の人たちからなんだなんだと笑われた。秘密を守らんかい。

そうして私たちは春にバラバラになったわけだが、元気な先輩との最後の挨拶も雑だったし、向こうが少しだけ私たちにだけ多く別れのプレゼントをくれただけで、それ以外は本当に雑だった。「おう元気でな」という感じ。あっさりしすぎて笑ってしまう。あんなに仲良かったのに。


ところで、ここから下を一度書いたにも関わらず、全て間違えて消してしまったので心が折れてしまった。2ページも書いたのに。もう。なるべく思い出して、書ける範囲で書いてはみる。私はその場で思ったことを書く上、自分が言葉として起こしたことで納得してしまうから書き直しはできないのだけど。ちくしょー!


これより前の夏にフォーカスを当てると、もうバカみたいに走り回ってボロボロになっていた。
春のドタバタした異動が少し落ち着く夏は、自分のやらなければいけないことが明確化し、頭がいっぱいいっぱいになってしまう。そして普段ならしない間違いを起こしたり、ずっこけるようなミスをしてしまったりする。それを、当時の尊敬していた上司はいつだって笑い飛ばしてくれた。もちろん必要に応じてきちんと怒ってくれた。こけたままの私に近づいて手を差し伸べることはせず、私が少し自分で踏ん張らないと届かないところで手を伸ばして待ってくれている。比喩が凄まじいので伝わるかわからないが、そういう上司だった。そして先輩もそういう人が多かった。だから私は安心して、ボロボロになっていたのだと思う。

この尊敬する上司や先輩については(実はこの先輩というのは前述した2人だったりする)詳しくどこかで言葉にしたいと思っている。今回は省略するが。

季節問わずよく泣いている私だが、夏は特に泣いている記憶が多かった。
失敗して凹んだり、腹が立ったりするとたいてい泣いている。夏はなんだかなにもかもがうまく行かないし、外は意味がわからないくらい暑いし、エアコンの風は冷たすぎるし、何もかもむちゃくちゃになる。ついでに感情もむちゃくちゃだ。


季節の中で何が苦手かと聞かれると圧倒的に夏だった。
それでも思い出が詰まっているのも夏だった。不思議なものだ。体感するものが一段と強く、季節と記憶が連携しやすいのかもしれない。

ここ2年の夏の思い出は、前述したとおりろくでもない。エアコンの冷風に当たっているだけ、考えなくていいことを考える時間が増えただけ。なんとなく死の概念が近づいてきただけで、ろくでもないので割愛したい。が、少しだけ書いてしまう。

私の休職はなぜか毎年夏になり、それはきっと私には私なりの何かきっかけがあるのだろうけれど、炎天下で走り回っていた過去とは異なって毎日家にいた。どうしても人生をうまく回せない自分に苛立ち、ただぼんやり日々を過ごしている。だからこうして懐かしい夏の、本来過ごしたいはずの夏の思い出に気持ちを寄せる。うまくいかない日々だからこそ、こうして思い出させるのかもしれない、とポジティブに捉えている。


夏の思い出。
4人だけの部署で、先輩たちとわちゃわちゃと楽しく仕事をしていたこと。うまくいかないことで涙を流したこと。上司や先輩が何度も支えてくれたこと。更に前ならば、大学時代、少し疎かになっていたテニスで試合に出てみたこと。すきなひとがいたこと。仕事の試験に受かるために汗だくで勉強をしたこと。面接中も緊張からか暑さからか、変な汗が止まらなかったこと。高校時代、テニスでがむしゃらになっていたこと。初めてトーナメントで優勝して、喜びすぎて迷子になったこと。進路指導の先生と、進路で何度も言い合いをしたこと。私の道が確定したこと。これより前になるとカスな思い出しかないので省略(他の記事に書いているので読んでください)。

思い出そうとしたり、こうして書き出そうとしないと思い出せなかったりする思い出は多いけれど、それは決して悪いものではない。いつでも脳裏に思い出がこびりついているというのも、「今」考えなければいけないことの邪魔になると思うから。体感する気温と記憶は連携する。夏の思い出。秋の思い出。きっと思い出せばたくさん出てくるのだろう。


思い出さなければ思い出せない思い出も悪くない。

むしろそれが、私たちを生かしているのかもしれないと思った、秋の夜だった。


ところで消えてしまった文章と全く違う文章になってしまいました。
言わんこっちゃない。あーあ。悔しいね。悔しい秋の思い出ができました、と。


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