見出し画像

すべてに さよなら したくなる日々

生きていることって凄まじく体力を使うと思う。

呼吸をすることも億劫で、面倒だと思う。
食事をするのも入浴をするのも、ぼうっとしているのも疲れてしまった。

おろそかにされた生活によって、心は少しずつ崩壊していく。

普段なら流せることが、どんどん煮詰まって流れづらく固くなっていく。
私の人生において、さてはていつが幸せだったと胸を張れるかと言われると残念ながらどこも浮かびはしないけれど、それにしたって今は余りにもどん底にいて自分でも驚いてしまう。これがいきるということなのか、発達課題を未クリアのまま進んできた結果というのか、何にしても情けなくてくだらないなと思って笑ってしまう。笑うことは健康にいいはずなのに、あまりにも今の私を傷つけていた。

名前がずっとほしいと思っていたし、それはいまだって変わらないのに、私は名前から逃れて生きてきた。

特別になりたいと言いながら、その特別が「いつか」失われるのが怖くて、いつも最後を踏み込まずに生きてきた。

何の名前もなく、誰の特別でもない私に唯一ついているのが「うつ病」という診断名で、ようやくついたその名前は私に悲しくも安心を与えた。やっと名前がついたと、少し嬉しかった。医師に「心のエネルギーを使い果たしている状態だから、少し休めばきちんと戻るよ」と言われたとき、安心した。私は昔から何かしらの精神疾患があると思っていたから、昔から私は心が弱いのかと思っていたから、少し安心した。残念なことに、心のエネルギーの回復方法を知らないことを、私はその時気がつけなかった。

私は私を信用していない。
私という存在が発すること、行うこと全てに責任を取れない。実際に記憶にないことがあったり、本当は覚えているであろうに、「忘れてしまったフリ」があまりに得意で、「忘れていることが真実なのでは?」と思うことも多いからだった。誰かに頼みごとをされても「聞きはしたけれど、遂行できるとは限らんよ」と全員に返答した。その場でメモをしてもメモを紛失すれば終わりだった。思い出した頃には手遅れだったり、もう忘れていた事実をつき出した方が楽に世界が動いたりした。

心のエネルギーを使い果たして、仕事をしばらく休んだ私は、なんだか復活した気になっていた。

もちろん心以外の身体症状も大きくて、体重は5ヶ月で10キロも落ちた。70キロから60キロになったとかではなく、50キロから40キロになった。不健康甚だしい。そういった身体的な意味では、私の完全復活はほど遠いんだなとぼんやり思いながらも、なんとなく心は復活した気になっていた。こちらも100点と言うわけではなく、65点くらいだったけれど。

中学時代、ガッチガチに質の悪いいじめに遭い、人間を憎んでいた。それはそれはあらゆる人間だった。大人も同級生も、そして振り返ると当時の「友人」もすべてまとめて、私に関わったすべての人を、私は憎んでいた。それはそれは憎んでいたし、頭の中では殺したこともあった。

そんな頃から、徐々に徐々にすり減らしては削ってきた心のエネルギーは、5ヶ月なんかで戻るわけがなかった。


私は昔から、妙にオタク気質なところがあった。同じ本を何度も繰り返し読んだり、好きになった漫画の描かれていない部分まで勝手に想像して涙を流したりした。好きな映画も何度も見て、台詞をそらで言えたりした。それはたぶん、自分が背負っていないものを背負っていたり、自分とは異なる人生を歩んでいる人たちをなんとなく体験できるからなのだろうと今思っている。

そうして別の世界に没頭して、別の世界の誰かの人生を体験して、一時的に現実世界から逃亡する。


私は彼女みたいに達観していないし、彼女みたいに本を読まないし、彼女みたいに不文律を作ったりはしない。母は病気で入院したりもしていないし、離婚こそしていても健康な父がいる。いつでも連絡がとれる父がいる。彼女のように綺麗な目鼻立ちではないし、立ち振舞いも美しくない。それでも呼吸のしづらさや生きづらさが似ている。似ている彼女はそっちの道で生きていくんだ。

私は彼みたいに自分の芯をもって生きられないし、あんな歪んだ家族の中にいたらきっと同じように歪んでいく。誰かに手をさしのべ、目映いくらいの光を放つことはできない。そんな光の彼は、どうしてか作中で最初に命を落としてしまう。主人公にとっても、そして私たち読者にとっても光だった。眩しくて、たった一人、うつむかずに前を向いていた。私はあの光に、確実に救われていた。

私は彼らみたいに誰かの真実を心から信じてやることは出来ないし、そのために動くことはできない。だから私の周りにも私をそんな風に素直に信じる人がいないのだと実感する。誰かのために懸命な人のもとには、同じ志の人が集まってくるものだ。連携を見ているだけで涙が出る。私にも、欲しかった。


こんな風にして、過剰なほどにのめり込む。
私もその世界の住人ならよかったのに、と思う。

それでも私が生きているのは私の人生で、私が選んだ人生に他ならない。私がすべてを選んできた。些細なこともすべて選択して生きてきた。私の世界は上のどの世界よりも生ぬるくて生易しい。こんな世界で私はなぜか、年々息苦しくなっていくのだ。不思議だ。背負えるものが小さすぎる。


頭の中と心の中が毎日のようにごちゃごちゃとしている。

使い果たした心のエネルギーは、貯蔵庫の底ごとけてしまったのかもしれない、と最近になって思い始めていた。

エネルギーの貯め方はもちろんそもそもわかっていないけれど、そんなことより何より、私はおそらく貯蔵庫が今機能していないのだ。仕事に復帰したこの1ヶ月、私の頭の中と心の中は以前よりも圧倒的にごちゃごちゃとしていて、いろんなことを考えて喋って、本当に迷惑なくらいうるさかった。普段なら流せることは流れていかず、そんなことばかり貯蔵されていく。くだらないことを根に持って、どうしようもないことに腹をたてる。

復帰してからの1ヶ月が怒濤だったのは否定できない事だった。
驚くほどいろんなことが職場で起きた。本当に驚くくらいだった。結果的には出勤人数が大幅に減り、復帰したてだと言うのに信じられない量の仕事が回ってきた。そして私の今の部署は、どちらかというと裏方に当たるからなのか、表方の職員からも頼みごとをされた。私の部署が本来4人いるはずのところ、私しかいないのは見えないのだろうか。それだけでも本来の3倍を引き受けて、その上専門外の仕事まで回ってきている。そこにさらに追い討ちが来る。

みんなが大変なのは分かっていたし、出勤人員が減っているのはどの部署も同じだった。同じだったけれど、同じだからこそ思ってしまう。そちらは5人も出勤していて、こちらは1人だよと思ってしまう。皮肉だ。嫌味だと思う。だから言わずに飲み込む。「分かりました、手が空いたらやっておきますね」と返答する。手なんてあいてたまるかと思う。

みんな、忘れてしまったんだろうか。
私が5ヶ月も仕事を休んでいたこと。
病名を開示していないと、分からないんだろうか。
10キロ体重が落ちていても、気づかないんだろうか。

鈍感で、いいなあ。

こうして誰かを恨んで、腹を立てて仕事していると、そういう小さな自分にも腹が立って、いても立ってもいられなくなる。私は仕事をほとんどサボることはない。ダルいときはちゃんと申し出て有給を使って休むようにしている。それなのに、この1ヶ月、何度も勤務時間中に空き部屋に逃げ込んでぼうっとした。椅子に座ってぼうっとした。何も考えずに、強いて言うなら好きな音楽を脳内で流したり、のめり込んだ小説や漫画の台詞を思い出したり、大好きなキャラクターの光を思い出したりした。私が私を保てるように、何度も空き部屋でぼうっとした。こんなことは今まで、一度だってなかった。


占いを信じているわけではないが、俗に言う「運命数」と言うもので、私は「33」という数字を持っている。

よく言えば「周囲に目をやれる人」だけれど、悪く言えば「見えなくていいところまで見える人」とも言われる。気づかなくていいことに気がついて、見えなくていい他人の感情の動きにも敏感だった。機嫌の良し悪しくらいなら誰でもわかるけれど、「本当はこうしてほしいけれど、別のことを要求しているんだろうな」という所も分かるし、それが外れていることがまずない。私は昔からコレが色濃く出ていて、自分の情動ですらお腹一いっぱいなのに、他人のそれにも気づいてしまっていた。そしてそれを取り込んでしまう。

同じ33でも、それを受け止めずに流せれば、最高のスキルに間違いないけれど、私の場合は取り込んでしまうから悪かった。他人の悲しみ、憎悪、言葉にできないもどかしさ。見えなければいいのに、気づけなければいいのに、見えるし気づいてしまう。そして、なぜか流せずに取り込んで、私までしんどさを共有してしまう。キャパオーバー。


気づいていないフリではなく、本当に悪意なく、「分からないんだなあ」と思って、心が重くなる。
私もそうだけれど、それにしたってみんな自分勝手だ。
鈍感でいいなあ。私に仕事を振って、あなたはそちらの仕事をするんでしょ?それって私が1人で部署を回している中で、時間をつくってまでやらないといけないくらいの急ぎのものではないでしょ?そういうのも、分かってるって、いつ言ってやろう。

まあ多分言うことないな。
だって私、嫌われたくないもんね。
一人前に、居場所だけは欲しいんだもんね。


昔から少しばかり重めに出来ていた心は、今や体重の半分以上を持っていっているんじゃないかと思うくらいに重くなっていた。支えていられない。心の貯蔵庫、仕事して。私の受けた幸福を、当たり前のようにそのまま流さないで、きちんと貯めて。


「今日も死なずに、生きて終わることができました」というのを重ねている。
希死念慮とかかわいい言葉で片付かなくなってきてしまった。「死にたいな」ではなく、どうにも「死ななければならない」がいつも頭をよぎる。小さなミス。小さな揉め事。小さな苛立ち。小さな頼まれごと。小さな言葉遣い。そんなひとつひとつに心が削れていく。減らすものが無くなった貯蔵庫は底を削り、今度は壁へと手を伸ばしている。そんな感覚がここ1ヶ月は余りにも大きい。

木曜日の夜はそれが顕著に現れた。
その日も私の部署は私1人しかいなかった。
すべての業務を1人でこなすしかなかった。他部署から頼まれることはなかったけれど、休職明けの体にはやっぱりしんどさが圧倒的だった。事務所の空気が最近はとても悪くて、呼吸がしづらかった。その日は特に空気が悪くて、事務室が私と社会福祉士の2人になるたった5分だけが、唯一深呼吸が出来た。その5分はバラバラに4回だけ現れて、その都度「はあああ」と大きなため息と深呼吸をした。

家に帰っても食事をする気にならなくて、着替えをする気にもならなくて、帰ってきた装備そのままでべしゃっと床に落ちた。本当に、崩れ落ちるようだった。月曜日の方が業務はすごかったはずなのに、なぜかその日がダメだった。食べたくもないのに買ってあったアイスクリームだけを口にして、ああ、コロナ流行ってんのに手も洗ってないなとぼうっと思った。電気もついていない部屋で、着の身着のまま、体には力が入らなくて、アイスクリームを食べた。

15分くらいしてようやく動けるようになった。服を脱いでハンガーにかけた。洗濯するものを洗濯機にいれた。一度死んだように床に居たからなのか、そこからはスムーズにいつもの生活ができていた。ご飯の量は相変わらず少なかったけれど一応食べていたし、速攻でゲームを立ち上げて、デイリークエストも全部こなして、変なパーティーで面白いギミックと戦って、お風呂に入った。洗濯機を回した。普通だった。帰ってきたとき、床で死んでしまったことも、職場の空気が妙だったことも、忘れていた。

洗濯機がなる。洗濯物を干す。
使わなかったハンガーをクローゼットに戻そうとする。

「あ」と思ったときには、3本くらいだけ床に落としてしまった。

たったそれだけだった。

大きな声を出した。こんな声でるのかと思った。何て言ったかは本当に覚えていないけれど、大きな声を、奇声を上げながら、私は手に持っていた残りのハンガーを床に叩きつける。嫌な音がした。その場にへたりこんで大声で泣いた。壁を何度も何度も殴って蹴って、青あざが出来た。皮肉にもそれは、帰ってきたときにへたりこんだ場所と同じだった。狂ったように泣き叫んで、唯一私が私を保つための不健全な方法を気がつけば選んでいた。鏡で見た私の顔は酷いものだったけれど、目をそらした。

ようやく冷静になった頃には、翌日が仕事の日ならば確実に寝ている時間を1時間も越えていた。嫌な音がしたとおり、床に散らばったハンガーのいくつかは部分的に折れていた。冷静になった、というよりハイになっていたから、慌てて薬を飲んで、なるべく落ち着いてハンガーを片付けた。「もう大丈夫」と何度も口にした。呪いのように何度も口にした。それから、効きすぎてしんどくなるから、普段は避けている強い薬を追加で飲んだ。無理矢理、身体機能をシャットダウンさせた。


人前で取り繕って、相手の感情を読みきって、私を隠すこと。
私が人間を前に、もっとも気合いを入れて頑張っていること。
これ、いつまで続けられるんだろうと、不安になった夜だった。


それでも朝はまたやってきて、悲しいくらいに綺麗な冬の空だった。
普段は腹が立つくらい向かい風の癖に、翌朝は追い風で、職場にいけと自然までもが私の背中を押していた。私はひとしきり暴れたお陰なのか薬効なのか、妙にスッキリしていた。不健全だった。普通に仕事にいった。当たり前の顔をして過ごした。昼食は胃液が込み上げていたけれど、周囲の目があるから懸命に完食した。吐かないためにお茶で懸命に流し込んだ。バレたくなかった。あんたたちなんかに、バレたくなかった。

心と体が蝕まれていく感覚はもちろん気持ちのいいものではないけれど、今に始まったことではないから少し麻痺をしてしまっているように思う。中学から蓄積されたコレを、私は昨年の8月、うつ病と診断されるその日まで、誰にも詳細に明かしてこなかった。知らなくていいことは世の中にはある。コレはその一つだと思うから。

私のうつは慢性的なものだから、これからもコレと連れ添って生きていかなければならない。
どうせならイケメンがよかったんですけど、まあ今はこういう冗談が言えるくらいのメンタルまで一応回復はしている。残念ながら「死ななければ」は濃いまま、ずっとこちらを向いてはいるけど、「はいそうですね」と流せている。これを前述の通り「回復」と呼んでいいものか。修理されたというよりは、ガムテープで補強されているようなそんな感じ。治療をされたと言うよりは、絆創膏を1枚張っているような感じ。それでも、ないよりはましだ。息はまだ苦しいし、食事はどれも全く美味しくないけれど、まああの日よりはいくらかマシだ。


ていうか新年1発目の記事、重すぎん?
ていうか前回との対比、えぐすぎん?
あの頃のちょっと元気な私、ちょっと帰ってきてくれん?

今回は逆に、いつか心のエネルギーの貯蔵庫も修理されて治療されて、きちんと貯められるようになった、元気な私へ。
なんだか驚くほど元気もパワーもなかった頃の私より。
ごっちゃごちゃの愛を込めて。


そんな元気な私が現れる日なんか到底こなさそうだけれど、本当はそんな日があればいいのになって、あの頃が人生でマジで一番辛かったわって笑い話に出来ている私がどこかの未来にいればいいのになって、本当に心の底から思ってるよ。

そんな日を、どこかで諦めきれない、愚かな私より。


この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,651件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?