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なかったことにできないなら、せめて小さくできればいい


バレンタインデーには、特にろくな思い出がなかった。

小学校低学年の頃は、好きな男の子にチョコレートを渡しに行く途中、マンションの廊下という信じられない場所でハトに糞を落とされた。中学校3年生のときは、いじめっこと友人が結託して、バケツをひっくり返したような雨の中で、渡すつもりのなかったチョコレートを渡すはめになった。

そんなことばかりに懲りたのか、高校では俗に言う「友チョコ」を渡すのに留まった。単に好きな人がいなかっただけではある。高校3年間のバレンタインデーは平和に終わった。

もう何度思い出して書けば納得するんだと思うけれど、多分何度書いても、何度思い出しても、私は「すきだったひと」を忘れることはないし納得して思い出にすることもできないんだろうなと思う。思うから書いてしまう。バレンタインデーが近づくとどうしてもあの日を思い出す。過ぎても思い出す。どの季節のどのイベントにもきちんと存在しているのに、友人と呼ぶにもほど遠く、「すきだったひと」という名前が一番しっくりくる。あの人の話。


存在を知ったのは大学1年の秋、大イベントに大遅刻をしてきて、私を大層困らせたときだった。
へらへらと「ごめんね」と言う声に、怒る気も失せて「これ、今日の進行表」と紙面を渡す。ほとんど見もせず、彼はイベントをしれっとこなしてみせた。ポンコツのくせにこういうところがある。私はここから徐々に彼を知っていく。

大学2年の春、後輩が入ってくる。アホな後輩と仲良くなる。彼は「すきだったひと」と同じ部活動で、私は隣でサークルとして同じように活動をしていた。その上後輩のゼミ担当となり、毎週1度は必ず顔を合わせていた。みんなの人気者で、おちゃらけていて、しっかりアホな後輩だった。褒めている。私はその後輩と相当仲良くなったし、少し好きだったと思う。

昨年度「すきだったひと」が大遅刻をやらかしたイベントがその年もやって来る。もちろん元気に遅刻をした。納得である。慣れてきていた。「あいつは2時間こやんとして…」と言うところから話が始まる。私はまだ「すきだったひと」のことを好きにはなっていなかった。イベントが終わってから、疲れ果てた私が片付けを手伝っていると、後輩が「とわさん俺のとなりおいで、そいつから離れろ!」とアホなことを言ってきた。そいつとは「すきだったひと」のことで、遅刻をした罰としてひとりで片付けをしていた。さすがにかわいそうなので手伝っていた。こう言うことを後輩は平気で言うから、ちょろい私は少し、いや、割とときめいていた。

このイベントのあと、私は「すきだったひと」をツイッターで見つけて、なんとなくフォローした。向こうもなんとなくフォローを返してくれた。後輩はフォロワーが多すぎてちょっと引いてフォローしなかった。ツイッター上で少し話すことが増えた。授業が被ることも増えた。後輩以外の同期や先輩とはそんなに仲が良かったわけではなかった分、なんとなく特別に思えた。

クリスマス頃から周りがバレンタインデーに向けて急に付き合い始めたりした。
驚くくらいみんなに恋人やすきなひとがいた。私は後輩にときめいて、すきかもと思うことは多かったけれど、会話の内容が余りにもアホすぎて「おもしろいな」の方が勝っていた。だからバレンタインデーを渡すつもりも何にもなかった。そしてふと「なんかいいなーみんな。私もチョコ作りたくなる」と呟いた。

「おれのためにチョコ作ってよ」

通知を目にする。
「なんとなく」特別だったはずのものが動き出す。
たまらなくドキドキとして、冗談だろうと思いながらも「何食べたいの」と返信する。「ほんまに作ってくれんの!やったー!」と返信が来る。公のツイッター。だけど、私たち両方をフォローしている人はいない。公なのに秘密みたい。

ちょろい私はブラウニーを作った。ちょうどバレンタインデーは同じ授業を取っていたし、そもそも練習日だから会えるはずだった。あんまり特別感あるとアレかなと思ったから、量産できるブラウニーにした。友達にも後輩たちにも全く同じものを配った。後輩たちには会えたのに「すきだったひと」はどこにもいなかった。そして思い出した。やつは遅刻魔だ。そしてどうでもいいことをしっかり忘れる人だった。しまった。

連絡先を知らなかったから、ツイッターのDMで「今日学校いる?」と送った。
私の授業は午後イチで終わりだったので、会えなかったら帰ろうと思っていた。やられたなあと呑気に思った。でも結構傷ついていた。酔ってたのかな。恋人が居なかったから、ちょうどいいやと思ったのかな。そう言えばそんなこと言ったな、と思う程度だったのかな。アホだったのは後輩ではなくて私だったな、と思った。「おるよ~、なんか約束してたっけ?」と返信が来たのは、スクールバスが出発する5分前だった。

「ごめん、いいよ~。授業終わったから、帰るね~。」と、物わかりのいい、というか、別にお前のことなんて知りませんよと、躍起になった返信だった。可愛らしい服着てバカだなーと自分を笑う。チョコを渡した後輩たちが「とわさん今日かわいいっすね」と言ってくれたことまで思い出して泣きそうになる。

バス停に、「すきだったひと」が走ってきた。
息を切らしている。バス停には誰もいなくて、バスに乗っているのも私だけだった。運転手さんに「一瞬降りていいですか」と声をかけてバスを降りる。

「ごめん、チョコ!貰う!」と「すきだったひと」が笑う。息を切らしながらあのヘラヘラした笑顔を見せた。私もつられて笑う。「そんな走らんでよかったのに」と言うと「欲しかったから、ありがとう、はは、すごい嬉しい」と言う。小さいブラウニーだった。本当に。手抜きだったわけではなくて、ただただ料理下手で、いいサイズ感になる予定だったものが、食べられる部分が少なかっただけである。そんな小さなブラウニーを、心から嬉しそうに受け取った。私は涙が出そうになる。同時に運転手から「そろそろ行くよ」と声がかかる。私は「ありがとね」と伝えてバスに乗り込む。バスが見えなくなるまでバス停で手を振ってくれる。誰も乗ってなくてよかった。駅までの5分間、私はボロボロと泣いた。

その日の夜、ラインが来た。
最近日記を発掘して知ったことだけれど、どうやら同じサークルグループから私のラインを追加して、「すきだったひと」からラインをくれたらしい。冷蔵庫で冷やしてから食べたよ、おいしかった!と連絡が来た。「すきだったひと」のツイッターには、バイト先で貰ったチョコの写真が何枚も載っていて、私のブラウニーだけ現れなかった。だから連絡がきて嬉しかった。バイト前に冷蔵庫に入れて、帰ってきてから食べたらしい。好きだと思った。好きになってしまったと、思った夜だった。

そしてそのライン以来、1~3日に1通、どちらかが返信をするという程度で、私たちは丸3年間ラインをし続けることになる。

内容は基本的にはすっからかんで、「今日も寝坊?」とか他愛もないものばかりだった。そしてそのなかで共通の趣味があることを知っていく。「今度のライブ行くの?」とか、少しずつ内容が深まっていく。私が嵐の関係で札幌にいったときは雪の写真を送った。「すきだったひと」がライブの関係で遠征したときは、ご飯の写真が届いた。同じ大型フェスにお互い1人で参加していたときも、「おれ今コレ見てる」「私こっち見てるから場所真逆やん」等と連絡を取った。会場内でも帰りの電車でも会うことはなかったし、お互いツイッターには「ライブ楽しかった!」としか書かなかった。

大学3年の秋、次の履修登録の頃には、どうやら私たちがずっと連絡を取っていることが周囲にいい加減ばれて、遅刻魔で忘れんぼうの「すきだったひと」に確実に伝えなければ行けないことは私を通して伝えることが増えていった。絶対出席しないとまずい授業の日は、私が電話で起こしたりした。電話を掛けるだけで通話はしない。私は通学中で電車のなかだったから。

「おきれた!間に合う!たぶん同じ電車!」と返信が来ればオッケー、既読がつかなければアウト。その場合は他の同期に「おきひんから鬼電してあげて、私電車乗っとる」と連絡をした。この頃、「すきだったひと」には彼女がいたけれど私たちのラインが終わることは特になかった。内容が無かったからというのが一番の理由だと思う。そしてラインがあまりに続くから、私は逆に脈が無さすぎるなと心根で笑っていた。

「すきだったひと」に彼女ができる前、毎年のあのイベントの打ち合わせ中、見事に忘れてその場に現れなかった「すきだったひと」にみんなでため息をつく。「当日もこれやったら、私3回目なんですけど」と冗談を言う。「もう誰か大学のアパート住んでるやつ、アイツ泊めようぜ。前日」なんて話も出た。私は学校が遠くて片道3時間半かかっていたので、イベントの前日は友人宅に泊まることになっていた。私は「その日なら電話でたたき起こせるし、ダブルでお得やん」と賛成した。するとアホな後輩が真剣な顔をして言う。

「とわさんたち、付き合わないんすか?」

何をアホなことを、と笑っていたのは私だけだった。
私は「すきだったひと」のことがきちんと好きになっていた。連絡頻度も、遅刻魔なところも全部まとめて好きになっていた。無理をしなくていい相手の1人だった。直接会うとほとんど話せないのに、私以外に知り合いがいないと分かると「とわちゃん」と声をかけてくるところも。あげ出すとキリがなかった。私は好きだった。私「は」好きだった。

そうこうしている間に彼女ができた。
探さなくても速攻でツイッターのアカウントが見つかった。私のタイムラインに現れた。「すきだったひと」のアカウントを乗っ取ってリツイートしたようだった。呆れた。すごいなと思った。この年はバレンタインをあげることはもちろんなかった。そして「こういうタイプが好きなのか」と納得して、私がこれ以上踏み込めない理由が明確にわかった気がした。

大学4年生になると学校に行くことが極端に減り(「すきだったひと」は寝坊による単位不足で死ぬほど通っていた)、会うことなんてほとんどなかった。けれどラインは続いた。「1限しんどいねんけど、起きられへん」「よう私に言えたなそれ」「確かに」「まって、ラインしてくるってことは間に合ってないの?」「今授業中」「受けなさいよ!」会わない分なのか、頻度は増えた。でもすべてくだらなかった。

今のところ、私にとって「最後のバレンタインデー」になっている、大学4年の2月が来た。

卒業予定の人が全員出席しなければいけない授業があった。授業と言うか、説明会と言うか。「すきだったひと」は卒業できなかったからその説明会には現れなかったけれど、その日に授業があることは知っていた。恋人とは別れていた。最後のバレンタイン。手作りは絶望的。私のいいところは長距離を通っていること。つまるところ、大都会を通過すること。

14日ではなかったと思う。バレンタインより数日後だった。私は12日くらいにラインをして「この日、バレンタイン渡してもいい?」と送った。初めて不格好なブラウニーを、不格好に渡したことを、「すきだったひと」を好きになったことを思い出した。何回も文面を練って送った。「もちろん!やったー」と返信が来る。胸を撫でる。大都会を通過する利点、百貨店で本当にちゃんと美味しいチョコレートが買えること。

説明会の日、「すきだったひと」は学校に現れなかった。

もうなんだか、残酷なくらい予想通りで、あんまりにも滑稽だった。私は「すきだったひと」にとって何なんだろうと考えた。不格好なブラウニーは、ホワイトデー渡すねと言いながらそう言えば用意もされなかった。後輩たちは「10倍返しなんで!」と言って「どうやって持って帰るんだよ!」と笑うくらいのお返しをくれた。そのなかに「すきだったひと」のものは混ざっていなかった。完全に忘れていたんだろうし、求めていたわけではなかったから何も言っていない。私は何なんだろう。友達にもなれなかったのか、と、何となく思った。

その日もバカみたいに可愛い服を着ていた。大学に行くのが最後だと言うのもあった。次にみんなに会うのは大学ではなく、別の会場で行う卒業式だ。後輩や教授に会うのも最後だから、可愛い服装を選んだ。だけど本当に、「すきだったひと」のために選んだものだった。それが恥ずかしくて、腹が立って「チョコ、渡しにいっていい?」と連絡をした。

「すきだったひと」の最寄り駅を知っていた。
一度一緒の電車で帰ったことがあったから。それに起きられないからと電話を入れるタイミングを図るためにも教えてもらっていたし、「すきだったひと」がその駅にいるかどうか車内からよく確認もしていた。目があったときは手を振った。「すきだったひと」も私が最寄りを知っている事実を知っていた。もう二度とこっちにくることはない。今日渡さないと、私が食べることになるでしょと付け加えた。

「ごめんな、ありがとう。じゃあ駅で」

駅にも遅刻してきました。

連絡をしたあとに二度寝をしてしまったと言い、私の到着予定時刻ジャストに目を覚まし、慌てて走ってきた。私は笑ってしまう。「髪すっごいことなってるけど」と笑う。「すきだったひと」は「途中で帽子飛んでってん」と笑う。私は慌てて「さがしてきたら」と言う。「帽子なんかあとでいいよ」と笑う。悔しかった。私は「すきだったひと」のこういうところが、たまらなく、好きだった。

手が震えた。
告白をしてしまおうかと思っていた。
だってもう、きっと二度と会うことはない。
あってなかったような関係が崩れることはない。

走ってきた「すきだったひと」より、私の方がきっと心拍は高かった。

好きでもない人のために、私は通学路の途中で電車を降りたりしない。乗り換えでもない場所で、むしろこのあとの乗り換えを考えるとこんなところで時間を過ごすなんて馬鹿げている。私はあなたのことが好きだった。好きだから、人間で溢れかえるあの百貨店で、高すぎずちょうどいい、好きそうなチョコレートを見繕った。好きだから、何回でも遅刻するあなたに負けずに連絡をした。好きだから、可愛い服装を選んだ。好きだから、私の心拍は高くなっていて、寒いのに体が熱くて、目頭が熱くて、喉が熱くて、それなのに手が震えた。
好きだから。

好きだから、「好きだよ」と、言えなかった。

美談っぽく書くとそうなる。好きだから、友達の域にもうまく入り込めていない私からのストレス要因を除きたかった。
真実を書くと、単にへたれだった。あってないような関係が、崩れないまま、くだらないまま残ってほしかった。これから先も残ってほしかった。

私はこんなときばかりヒロインを気取るから、普通にチョコレートを渡して、「すきだったひと」が「すげえ美味しそう、ありがとう」とまた心から嬉しそうに笑うのをしっかり目に焼き付けて、私もヘラヘラと笑いながら「それはよかった。食べて食べて。走って取りに来てくれてありがとう。」

「じゃあね、バイバイ。」

と言った。
昔からの創作癖のせいで、こんなときだけヒロインなのだ。「またね」じゃなくて「ばいばい」と言った。わざと言った。「すきだったひと」と別れる。バイバイと言ったとき、私の目には水の膜が張っていたけれど、絶対に溢すわけにはいかなかったからさっさと別れなければいけなかった。私は踵を返してすぐ、可愛い服の袖でその水を拭き取った。好きだといったら何か変わっただろうか。数秒まえのことをすでに後悔し始める。電車に乗る。席につく。登下校で必ず聞いていた音楽を聞く気にならない。涙が止まらないから怪しくないように鼻をかむようなフリをし続けた。

「すきだったひと」からはお礼の言葉と、卒業式にホワイトデーのお返し持っていくよとの連絡が届いた。
私はお礼以降の約束を全くあてに出来ず、「期待せずに待ってまーす」と返信をした。可愛いげがない。だけど期待はできなかった。「すきだったひと」は卒業しないし、卒業式の会場は大学ではない。「すきだったひと」の家より遥かに私の家側だ。そして想像通り、「すきだったひと」は現れなかった。「起きられへんかった」との連絡に「想像が当たったね」と返信をした。

私たちのこの不毛でくだらない連絡は卒業後もしばらく続いていた。仕事の都合で遠い他府県に異動した私は、頭の悪いことに通勤路の写真を「すきだったひと」に送ってしまった。おかげで毎朝、毎晩そこを通るたびに思い出す。「めっちゃ田舎やん!」というデリカシーゼロの最高の返信と、「すきだったひと」とのくだらない日々のやり取りを。


バレンタインデーには、特にろくな思い出がなかった。

先述した通り、私のまともなバレンタインデーはコレが最後になっている。この人以降すきなひとが出来ていない。恋人は居たけれど、好きになれなかった。「すきだったひと」ほど、好きになれなかった。私の思い浮かぶバレンタインデーはどれも泣いている。そしてどれも報われない。だけどどれもこれも、バカみたいに真っ直ぐで、ちょっとだけ可愛いと今では思う。痛いけどね、だいぶ。

「すきだったひと」のことは過去に何回もnoteに書いている。
今回はバレンタインに限定して書いてみたけれど、どうしてこうも鮮明なんだろう。悔しいことに、過去は美化されすぎている。一生懸命「すきだったひと」だと名前をつけて蓋をする。この人はもう私の未来に現れないのに、不思議だな。どの未来を想像してもこの人と私が繋がらない。私たちは恋人ではなかった。友人と呼ぶにも物足りなかった。そんな人のことを、私はずっと好きでいる。ろくでもないバレンタインデーの思い出も、色褪せずきっとずっと覚えている。更新はしたいと思っているぞ、まじで、心から。「すきだったひと」が最後だと、ずっとろくでもない。別のろくでもない記憶を最後に置き換えたい。

私を思い出すことはありますか。思い出したことはありましたか。たぶん一度もないんだろうな。私はその事実を、残念ながら悲しめずにいる。その方が「すきだったひと」っぽくていいや。あの日言った「じゃあね、バイバイ」は現実になり、私が少しだけ期待した「またね」は妄想になる。うん。これがいいな。これが好きだ。

ろくでもない、私のバレンタインデーのお話。
どうしたって忘れられない、私がアホみたいに「すきだったひと」の、お話。

きっとずっと、好きでいるから、どこかできっと、ちょっと幸せでいてね。

きっとずっと、私はちょっと気持ち悪いまんまだな、こりゃ。


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