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絶対無理!設備も資材もない病院でコロナ患者を受け入れる【05】京都府B病院

この連載は、コロナ専門病棟を開設した10の民間病院の悪戦苦闘を、スタッフの声とともに紹介していくものである。(連載一覧はこちら。

株式会社ユカリアでは、全国の病院の経営サポートをしており、コロナ禍では民間病院のコロナ専門病棟開設に取り組んできた。

今回は、感染に弱い病院だったにも拘わらず、地域内で真っ先にコロナ専門病棟の開設に着手した京都府B病院のスタッフ3名に、怒涛の日々をどう乗り越えたのかを振り返ってもらった。

看護部長 Mさん|弱みはみんなで乗り越える

「感染に弱い病院」が、「新型コロナ患者の受け入れをする」と決断したとき、Mさんは何を思ったのか。

2020年3月、スタッフ1名の感染が確認されたとき、世間の厳しい声を浴びました。子どもの習い事さえ「来るな」と言われたスタッフもいて。患者さんとスタッフを守るためにも、病院全体の感染対策と環境整備は急務でした。

専門病床の開設は、「病院全体の感染対策強化の足掛かりにする」と決めて向き合いました。院内の空気は賛否両論で、「受け入れることで院内クラスターが起こるかもしれない」といった声もありました。

でも、何もしなければ、私たちは変われない。感染状況を見ても、専門病床をやらない選択肢はないと思っていました。

偶然でしたが、2020年4月に感染管理認定看護師を目指すスタッフが入職していたので、彼を中心に5名のワーキング・グループを立ち上げました。

5床の専門病床は、20床に増床し、専門病棟へと拡大した。院内の感染意識は高まり、患者受け入れも病院全体で工夫していった。ただ、新型コロナ患者の増減の波に、現場は振り回された。

感染拡大の波がくると患者さんが一気に増え、病棟スタッフはフル稼働します。でも、波が去って、患者さんが減少してくると、待機スタッフの手は空きます。そうすると、別の病棟に応援として回される。

そんなことが繰り返されると、コロナ専門病棟のスタッフは、「自分たちはいいように利用されている」と感じてしまい、モチベーションにも影響します。

スタッフをまとめる師長さんと現場の状況を話し合い、人員配置を考えながら、スタッフのモチベーションを維持することは、病院全体の課題ですね。

まだまだ、世の中も大変だとは思います。でも、一人ひとりがやるべきことをやっていけば、みんなが幸せに暮らせるんじゃないかなと思っています。


看護師(副主任) F.Kさん|感染管理のプロフェッショナルを目指す

面接時から「いつかは、感染管理のプロフェッショナルを目指したい」と気持ちを伝えていた。入職して1ヶ月後、思いがけず、コロナ専門病床開設のメンバーとして声がかかった。

現場で経験を積んで、感染管理認定看護師になるつもりではいましたが、こんなに早く役割を担うことになるとは思っていませんでした。100年に一度といわれる感染症を、うちのような民間病院で受け入れできるのか、という驚きも大きかったです。

大病院のように、個室もバッチリあって、設備も整っていて、スタッフの数も資源も潤沢なところが対応するものだと思っていました。

限られた資源しかないうちが始めるには、相当ハードルが高かったはずです。看護師の数も物品もカツカツの中で、よくやり切ったなぁと思います。

まずは、5床受け入れのマニュアルを「自分が病棟スタッフだったらどう動くか」を考えながら作成した。決めなければならないことだらけだった。

病棟内だけで完結するのであれば、病棟スタッフの同意で進められます。でも、コロナ専門病床は、患者の搬送、レントゲン撮影、採血、食事の配膳といった業務を担うスタッフが、各署にいます。

各部署と会議をして決定する必要があったので、思っていた以上に時間がかかりました。

準備開始から2ヶ月後の7月26日。初めての患者さんを受け入れた。

最初の患者さんのことは、今でもはっきり覚えています。ご高齢でしたが無症状だったので、辛くはないとおっしゃっていました。「新型コロナの患者さん」と気構えていましたが、「いつもの患者さん対応と変わらないんだな」と思ったのを覚えています。

症状のことより、お渡ししたタブレットの操作方法についてよく聞かれました。実践に応じてマニュアルは更新していくつもりでしたが、タブレットのわかりやすい説明を加えるとは想像していませんでした。

どんなに予測して準備をしていても、現場では予期せぬことが起こる。現場でしか経験できないことは、本当に多いと実感しました。

5床の専門病床から、20床の専門病棟へと拡大する頃には、多くのスタッフが感染症に対応できるようになっていた。「感染管理のプロフェッショナルになりたい」と思っていたF.Kさんは、自分の成長をどのように感じていたのだろうか。

「よくやったね」と言ってもらうことも多いのですが、ぼく一人では絶対にやり遂げられなかった。土台のマニュアル作りは頑張ったけど、その後は、みんなで意見を出し合って工夫して、協力し合ったからできた病棟です。

ぼく個人としては、「感染管理とはどういうことか」を、長い期間をかけて考えることができた。なんとなくしかわかっていなかったことも、体感しながら理解できて、2年間の全てが、自分の成長につながりました。

2年の経験を経て、感染管理認定看護師資格取得のための勉強をしている。「わかっていてもできないこと」を解決できる看護師を目指している。

「これが正しいからやってください」では、押し通せないことがあると痛感しました。人にはそれぞれ思いや考えがあるから、当たり前ですよね。

正しいとわかっていても、さまざまな理由でできていないこともたくさんありました。

多くの人と関わる中で、正しい知識を伝えるには、コミュニケーション力であったり、人と人との関わりが重要なんだと気づきました。知識だけでは足りないんだって。

まだまだ、やりきれていない感染管理が院内にはあります。協力し合いながら、コツコツ変えていく。そんな看護師を目指したいと、今は思います。


事務長代行(当時) Y.Oさん|情勢を読み、キーマンの動機付けを早めに行う

2020年1月から、経営を担うメンバーとして赴任。幹部会議では「いずれ国内にも新型コロナの波はやってくるし、数年後にはインフルエンザのような存在になるだろう」と早くから予測していた。自分たちが罹患する不安はあった。しかし、院内で感染者が出たことをきっかけに、不安は消えたという。

5日間で52名のPCR検査を実施しました。それまでは誰も、新型コロナの検査方法も知らなかったけど、検査も、検体の取り方も、「インフルエンザの検査と同じじゃん」と知った。新型コロナだから特殊ではなく、「感染症の一つ」と認識できてたのは大きかったですね。

国会答弁は新型コロナに関する内容ばかり。新型コロナに対応しなければ、今後助けてもらえないと考えるようになった。そんな頃、京都府から陽性患者の入院受け入れの打診があった。

私が不在だったときに、京都府の打診を「設備もないから無理だ」と断っていました。でも、埼玉県にあるA病院がコロナ専門病棟を始めたんですよ。同じ民間病院でスタートさせた事実を聞いて「うちでもやれる」って確信しました。
 
幹部会議で「同じ民間病院でもうやれてる。マニュアルも準備するし、全面的にユカリアがバックアップしてくれるって言ってるから、やりましょう」と伝えました。

診療制限により、売上は相当落ち込んでいました。何もしなければ億単位の赤字を出し続ける。コロナ患者受け入れは、社会的な意義だけでなく、病院がこの地域にあり続けるためにも、必要な選択でした。経営幹部と議論を重ね、受け入れを決めました。

京都府に受け入れの意向を表明し、5床の承認を受けた。しかし、現場の理解、看護師の協力がなければ受け入れはできない。Y.Oさんは看護部長と打ち合わせを重ねた。

5床回すためには5人の看護師が必要になる。5人、手を挙げてくれる人はいるか、どうやって選抜するのか、バイネームをあげながら話していました。

看護部長も、受け入れはやるべきだと考えていたので、具体的に話を進められました。新型コロナの対応に関わらず、「自主的に考え動ける人材の育成」という課題もあったので、専門病床設立を人材育成の場にしようとお互いに決めていました。

今まで、物事を考え決めていたのは、部署の長たちでした。それに慣れたスタッフが、自ら考えて決めていけるようになるためにも、ワーキング・グループを導入しました。そうした組織作りは、看護師たちの専門病床に関わる動機付けになるのではと考えていました。

5人のメンバーが決まり、5月25日にコロナ専門病床がスタートした。京都府内の感染が落ち着いていたため、最新情報を集めながら、院内の感染管理を底上げする取組みに、時間を使うことができた。

専門病床のスタッフも、最初は「マニュアルは作ったけど、できれば受け入れたくない」という姿勢だったのが、「しっかりと受け入れたい」に変わっていきました。

コロナ病床を作って運営するには、いろいろな職種が関わります。受け入れが始まるまでに、全職員がeラーニングできる準備も進めてもらいました。院内の感染対策委員会と連携して、防護服の着方を撮影したり、感染症の最新情報を学ぶ環境を整えました。

専門病床のスタッフが孤立したり、隔たりを感じさせない環境にしたかったので、患者さんが検査に行くときに、院内の通路を塞ぐ作業を職員全員が対応できるようにしました。

一緒に対応することで、「院内のみんなでコロナ患者さんを受け入れていますよ」という雰囲気作りにもつながりました。

実際に患者さんの受け入れが始まると、スタッフが四苦八苦する場面も目撃した。苦労しながらも、スタッフはやりがいを伝えてくれた。

専門病棟に入ったスタッフは、すごく気づきが大きかったようです。マニュアル通りにいかないことに、面白みを感じているような印象がありました。

10月頃までは、軽症の人しか入ってこず、病気のケアよりも心のケアが求められました。患者さんの話をじっくり聞いて、悩みに寄り添うことは、普段の業務だとなかなかできません。そこに四苦八苦する姿もありましたが、看護の醍醐味を味わう機会にもなったのかなと、見ていて思いました。

看護師として、病気を見るというより患者さん自身を見ることで、得たものはたくさんあったように感じますね。

前例のないことへのチャレンジは、自身にとっても成功体験だったと振り返る。

情勢を読んで、キーマンの動機付けを早くからできていたことが、良い結果に繋がった。また、キーマンはリーダークラスに限らずいるという気づきもありました。たくさんの人の協力があってこその病院運営。経営を担う立場として貴重な経験を得た1年半でした。

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3人が語る現場の様子や心模様から、ハードルを飛び越えられた「その訳」が伝わってくる。次回は、高齢者の患者受け入れ先が不足する札幌市のニーズに応えて、コロナ専門病棟を開設したC病院を紹介します。

編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト・こしのりょう