見出し画像

noteの下書きが増えて思うこと。5月末に菖蒲が咲きました。

感情に任せて書く。
すっごくとてもとても
素敵なことだと思っていて
夜飲んだ後とか
半身浴の最中にとか
電車の通勤の中とか
ふと、本当に何かが降りてきたような
本当は何にも降りてきてないのだけれど

言葉を残してみたい、
そんな衝動に駆られる時があります。

誰かに読んでもらって
どう思われるか、とか
そういうことなんか全く考えていなくて
あぁ、こういうことなのだな、とか
こういうこともあるのかもしれないな、
みたいな少し自分寄りだったり
他人から見た自分の感覚だったり
ぐにゃぐにゃっとした
それでいてこれだなっていう芯を捉えたような感覚になる時があります。


言葉とは
自分の心の表面であり
自分の奥底の弱さや深さであるなと
なんか思ったわけです。

記事にしよう、
誰かのために良く思われよう、
誰かのために益になるようにしよう、
そう思った途端に
ありふれた言葉にすり替わり
自分の言葉ではなくなったりもします。

共感できることやできないこと、
そこばかりに気を取られると
コメントに傷つき、また良く思われようとしてしまうのではないか。

思ったことをらつらつらと書く。
自分を描く。

そういう場所が自分にとっても
しっくりくる時があって
そう思えた自分が嬉しかったりする。

ただそれだけでなんとなーく
やった!ってなる。

批評が欲しいわけでもなく
好評を得たいのでは無く
批判を欲しているわけでもない。

ただ、こんな自分の思いだったな。
だけを書いてみる。

これができるかどうかの積み重ねを
大切にできているかどうかで
私は進めているのかなぁと
ふぅっと思ったのでした。

どこかへ息を吐くように言葉にする。
本を読んだ時、テレビを見た時、ラジオを聴いた時、誰かと話した時、1人の時、

ふと言葉にしたい時。

その気持ち赴くままの感情が
素敵だなぁと思うのでした。

今日も色々ありました。
やりきれないこと、
でも自分のエゴなのではないかとか
やっぱりこれは
伝えた方が良いのではないかとか
いやいや、 
もう少しやってみてからにしようとか
本当に自分の感情が目まぐるしいわけです。

色々の日々がきっとあるかなと思います。

日々を、丁寧に暮らすことができなかった時に
言葉にするのもおすすめです。

菖蒲が咲き、紫陽花も少しずつ色づいてきました。

6月、梅雨入り。
もやもやは、息を吐くように
ゆったりと言葉にすること。
おすすめします。

この記事が参加している募集

最近の学び

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?