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過度に傷つかない。無意識に響かせない。

頭に浮かぶ。
心にもやりとする。
ぐるぐると巡り悩み始める。
頭から離れなくなる。

このパターンはいくつかあり
沈黙を貫くかどうか。
言葉を発するかどうか。

思慮深く悩む時がある。

その時、最近心掛けているのは
まず私自身に起こっていることなのかどうか。

自分に起きていることなら自分でなんとかするか、頼る人を間違えないようにする。

自分に起きていないことなのなら
どこまで感情を介入させるのか
また、何かアクションしなければと考える。
一旦、ここで自分を俯瞰してみる。
した方が良いのか、しない方が良いのか。

自分がもやりとするのか。
なぜもやりとするのか。

ここに辿り着く。

自分中心の人が増えた。
わかってわかって。
構ってかまって。
なのに、他人には自ら何かはしない。

不思議だ。
求めてばかりじゃないのだろうか。

攻撃して関係を打ち切る。
いやぁ、ひどいもんだ。

心は一線置き、
適度な距離感で優しくいられる方法を見つけていきたいと思う。

悲しみに飲み込まれている時
視野がとても狭くなり
悲劇のヒロインが心地良くなり
そこから抜け出せなくなる。

他人にどう思われるかを
気にしすぎてはいないか。
自分が悩んでいることは
そこなのではないか。

相手にとって
周りにとっての最高などわからない。

寄り添うということは
ベースにありつつも
見守ること、
声をかけること
明らかに大丈夫ではなさそうな人には
大丈夫ですか?より

きっと素敵な言葉がある。
難しくてググったこともある。

あらあら、大変ね。
よく頑張ってらっしゃいますね。
何かできることはありますか?
よかったらこちらへいかがですか。

そんななんとなくでも
関わりつつ
相手に決断を委ねられる寄り添い方を
考えてみる。

そして、
自分もしっかり日々考えて過ごす。

言葉にはシチュエーションというものがあり
声のトーンや奥行きがある。

生身の人の感情がある。
その前後を考えてみる。

行動もそれなりの思考がありそうなっている。

そうかと思えば
突発的に出てしまう言葉や行動もある。

相手がほっとできるかどうか。
最後はほっこりできるか。
お互いに。

これで決まりだと思う。

悲しみにくれることは
とても辛いものだ。

それを喜ぶ人もいる。

私は今となってはなかなか傷つかない。
仕組みを理解すれば良いのだと知った。

今日、できることを一生懸命にやり
それでもダメな時は
恨むことも妬むこともしない。

とにかく色々なものから離れる。
心だけは自分の信念を込めていけるよう。

自分本意な人が増え
待つことができない人が増えている今
もはやその人やシチュエーションに
深い理由などないのだと思う。

そんな人やものに傷つく必要もない。

受け止めるが受け入れすぎない。
キャッチボールができるのは
構え、受け止める準備ができているから。

心の中までは傷つかないよう
何枚も何層も優しさで包める人でありたい。


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