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カウンセリングを受けてみた(前編)

20年ほど前の話である。勤務していた会社が加入している健康保険組合の配布物に、2回までに限り無料で心理カウンセリングを受けられますという案内があった。

カウンセリングなど受けたことはない。しかしその時、受けなければならない、受けてみようと自分に言い聞かせる声がした。雨の降りはじめのような、心のざわめきを覚えた。

仕事をしながら、意識の外に出したり内に入れたり逡巡したが、意を決して申し込み、理由をつけて半休を取り、電車を乗り継ぎ、都会の駅を降りた。

カウンセリングルームはビルの上階にあった。受付をして、待合室に座る。2、3人にしか話したことがない過去を、知らない人に話さなければならない。緊張に包まれる。

案内されたのは室内にパーティションで区切られた一角だった。眼鏡をかけた20~30代の女性が向かいに座った。時間は限られている。私は、仕事をする虚しさ、その原因が子ども時代に両親の信仰と暴力のはざまで切り裂かれ、支配された経験にあると思っていると、訥々と話した

カウンセラーは、私の発言に「違和感」という言葉が多用されることを指摘した。確かに、日常を表す言葉としてはフィットしている。しかし、それが何者なのか、わかっているようでわからなかった。だからここに来た。

「年上のカウンセラーを希望されますか?」とカウンセラーは訊いた。訊いてくれた。私は「はい」と答えた。40分ぐらいだっただろうか、予約を取って初回のカウンセリングは終わった。

数週間後、再訪すると50~60代の男性が向かいに座った。カウンセリングルームの代表だった。初回に話したことを繰り返す。「それは大変でしたね」とカウンセラーは言った。

もしかすると、誰かに同情されたり、慰められたり、よく頑張ったと褒められたかったのかもしれない。子どもじゃないんだから、そんな甘ったるいことを求めてはいけないと、恥だという観念が、長い時間をかけて植え付けられていたのかもしれない。

金のために働き、自らを偽っている感覚を話した。カウンセラーは、「私なんて毎日金のことばかり考えていますよ。悪いことではありません」と言った。確かにそうだ。稼ぐことで社会人として自立できる。しかし、そんなことじゃない。もっともっと、根源的なことなんだ。

過去に遡って深層を吐露してつまびらかにしたいところを、仕事の不満や違和感、虚しさに転嫁してごまかそうという心理が私に働いたのかもしれない。断層が滑ってずれていくような、すかされたような、やはり理解されないという隔たりを禁じ得なかった。

2回目のカウンセリングが終わり、私は打ち切った。初めてのことで勝手もわからず、心がどう動くかもわからず、無料なのだからダメもとでいいじゃないかという予防線を、あらかじめ傷つかないために張っていた。

後日、テレビ番組でカウンセリングルームの代表がコメンテーターとして出演しているのを観た。


その頃、職場環境や業界の体質に、さらに言えば皮相的な日本のオッサン社会に辟易しながら、職責を果たすべく動き回っていた。後輩と立ち飲み屋で安酒をあおり、合コンに参加した。連綿とつづく違和感、ときおり顔を覗かせる過去、怒り、恨み、憎しみ、虚しさを抑えるように、だましだまし生きていた。

このままでは、苦しみは終わらないと悟った。騙しきることはできない。

残された選択肢が、カウンセリングだった。私は、河合隼雄の著作を読んでいた。臨床心理学の大家でありながら、柔らかい本をいくつか書いていた。ただクライアントに耳を傾け、相手が黙っていれば自らも黙り、待つ。態度や人格に深みを感じ、こういう方にだったらカウンセリングをお願いしたいと思った。

河合隼雄は、対談した遠藤周作から「人間が人間のこころを知り、治せるというのは傲慢だ」というようなことを言われたと、出典不明だがどこかに書いていた。遠藤はクリスチャンだったので、それは神の領域だと言いたかったのかもしれない。河合がわざわざこの苦言を記したのは、その視点を分析家は持っていなければならない、という深い洞察にもとづく自戒があったからであり、彼の慎重さや誠実さを感じとれる。

私にはメンターと呼べる存在がいなかった。ほとんどの人にはいないのではないだろうか。酒を飲んで洗いざらい友人に話すのかもしれない。爆発して暴れまわっているうちに光明が見えるのかもしれない。私には、どちらの経験もなかった。

はじめてのカウンセリングは不発に終わった。

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