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忍び込んで観たリバー・フェニックス

私と友人は浪人して同じ予備校に通っていた。憂さ晴らしに映画館に忍び込んで無銭鑑賞しようと決まり、映画館が1階に入っている雑居ビルを一度上階まで上がり、非常階段を下りてそっと扉を開き、券売窓口を避けて何気なくホールに入場した。

映画館に侵入するというミッションを実行に移すことに意味があるのであって、上映されている映画については何も知らなかった。「カジュアル・セックス」というアメリカの青春コメディは陳腐なることこのうえなく、文句を言いたくても入場料を払っていないので矛を収めざるを得なかった。しかしその日は二本立てで、もう一本の映画は思いがけず私のこころに沁みたのである。

ある家族が暮らしている。両親はテロリストとしてFBIに指名手配されている。捜査の手が伸びるとそれを察知し、素早く一家は逃亡し、名前を変え髪色を変え、新しい土地で生活を始める。子どもの少年には音楽の才能があり、それを認めた教師から進学して専門教育を受けることを勧められる。少年は家族と自我のはざまで悩み、家族も葛藤する。またも捜査の手が伸びたとき、両親は少年を解放して次の土地へと旅立つ。

「旅立ちの時」という映画だった(原題:Running on Empty)。少年を演じたのは17歳のリバー・フェニックス。私はその俳優を知らなかったが、眉間にあらわれる繊細と憂いとそれゆえの美しさは、80年代アメリカの影だった。

後に知ったことだが、彼は幼くして両親が入信したカルト集団で育ち、性的虐待を受け、家族のためにハリウッドで子役になった。のちに「マイ・プライベート・アイダホ」でキアヌ・リーブスと共演し、ジョニー・デップが経営するクラブで死んだ。23歳。ドラッグの過剰摂取だった。その時、弟のホアキンもいた。

私にはエリオット・スミスやカート・コバーンと重なるのである。繊細さゆえの表現力と閃光、夭折。自らをうまく鈍らせればいのちを長らえたものの希釈せず、その濃度ゆえに十分に生きた。

映画は終わった。私と友人は衆にまぎれてホールを出てあらぬ方向に歩を進め、非常階段を上り、別口を下りてシャバに出た。仲間を呼んでロケット花火を買い込み、夜になると川を挟んで打ち合った。

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