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人は学ぶために生まれている

「我以外皆師」という言葉、よく聞きますよね。

そういうマインドで生きられれば幸せだよな、達観してる人が感じるんだろうな、って思っていました。最近まで。

だって、嫌なことがあったときに「ラッキー!これも何かの学びだ!」と瞬間的に思うことはなかなかハードルが高い。だから、綺麗事っぽく感じたり、経験や年齢を重ねたらその境地に行けるのかしら、みたいなことを考えていたのです。

でも、最近は心の底から、身体の全てで、その感覚をキャッチできるようになってきたので、そこに至るまでの考え方の変遷を書いてみたいと思います。

1.前時代的な学び方

私は比較的、人生の波が荒波であることが多いです。いい時は絶好調だし、悪い時は重なって悪いことが起きちゃう。流れが悪い時には決まって「人」が介在します。例えばこんな感じ。

・私がやってもいないこと、言ってもいないことを言いふらされる
・伝えたいことが伝わらず、全否定される
・年齢や性別で判断され、尊重されない

そういう人が現れると「また来た!」となるわけです。しかも人生で何度も同じような境遇が現れて、いつも戦ってなんとかその場を凌いで・・・という繰り返し。

相談すると同情はされるし、慈悲の気持ちを見せてはもらえる。でも口揃えて言われるのは「嵐が過ぎるのを待つしかない。」という言葉。
私には理解できず、その波に、その嵐に向かっていって乗り越えていくというタイプでした。振り返ってみると、その「人」たちは確かに私に何かを学ばせてくれるのですが、渦中にいると辛さや苦しさや憎しみしかない。

この時に掲げていた信条の一つに

困難を乗り越えてこそ、成長できる

というものがありました。
The 昭和。令和なのに、めちゃくちゃ根性論で、スポ根で、苦しみの先に新たな自分がと本気で思っていました。
そんな信念を持っているから、そりゃ荒波が来ますよね。成長して、学びたいから。苦しい学び方をしていたから。

2.キッカケは友人の言葉

そんな中で、友人がふとこんな言葉を言ったんです。

ある人に不穏な感情を抱いてて、なにを見ても反応しちゃう。反応しないようにしても気になってしまう。それを相談したら、こう言われたんだよね。
「その人は“自分の中のネガティブな側面”を映し出してくれている鏡だよ。自分と対話するキッカケだね。」
わかるんだけどさ。でも、これってすごく辛いよね。今の私には無理だと思って、モヤモヤするけど置いておく。

これこそまさに、「我以外皆師」の発想。
達観しているからそんな言葉が呟けるんだわと思っていたけど、妙にその言葉が気になって、少し世の中を見るレンズを変えてみようと思ったんです。

これまでは嫌な人があると、なぜあの人は私に嫌がらせをするのだろうか?と、相手の感情や考え方を分析して、対応しようとしていました。
人の狂気や人間そのものが怖いからこそ、心理学や哲学を読み漁ったりしていたんです。人間を理解しようと思って。そのメソッドを中心に、相手の深いところを理解して対策を立ててコミュニケーションする、みたいな。

相手に合わせることばかり考えて、自分がどうしたいかとか、どう感じるのかは蓋をして置いてけぼり。人のことばかりで忙しくしていたことに気づいたんですよね。自分の気持ちに手を当てて考えることなんてせずに、論理やテクニックに走っていました。
人間関係でトラブル起こして学ぶ、という学び方が多いからこそ、対処方法は上手くなるけど、どんどん出てくるトラブルが重くなっていって、成長はするけどしんどいという状況から抜け出せなくなっていました。

そして、2020年秋にとても大切な友人との間にトラブルが起こります。

それで気づいたんです、相手に答えがあるのではなく、自分の中に答えがあるのだと。相手が私のモヤモヤを投影しているとはこういうことかと。
たくさんの人間関係トラブルを経て、大切な友人が離れていってしまうという体験を経て、ようやく気づきました。自分と向き合わなければならないということに。

3.How to : どうやってみたのか

急にできるわけもないので徐々に。

嫌な人が現れたり、嫌な言葉が聞こえたり、嫌なシーンに遭遇した時に、これまでは「ツイてないな〜」で済ませて流していましたが、立ち止まってみることから。そして、まずは自分自身が感じた怒りとか悲しみとか感情に耳を澄ませる。あ〜認められなくて悲しかったんだよね、とか、そういう自分の子どものような感情を、大人の理性が癒しに行くイメージで。息子に語りかけるように、そう、子育てと同じように

そうしたら次は、感情を切り分けて、その現象の具体的にどんなポイントに反応したのか、冷静にメタ認知してみる。何に反応して、本当はどうして欲しかったのか、どうあればいいのか、現状と理想とギャップを丁寧に読み解いていく。

今の自分が満たされていない感覚が何かをキャッチします。
具体的には、「バカにされたこと」なのか「女性という括りで片付けられたこと」なのか・・・こんな感じでどの言動の何にアンテナが反応したのか?ここが大事。
そのアンテナは、何かをきっかけに自分の中に立てられることが多いんですよね。特に多いのは、幼少期の体験。子どもの時に、身近な大人や友人にされたことでとても傷ついた、小さなトラウマの体験が、アンテナを立てます。
そこから身を守るために、自分自身を庇うために、アンテナが反応してくれます。これ以上傷つかないような、自己免疫反応とも言えるような防御反応。

私の場合は、これを小さい頃から繰り返して、たくさんの防御反応をもとに、武器を手に入れて武装を重ねていきました。
だから、武装解除にはかなり時間がかかりましたが、少しずつ進めています。
それ以外にもカウンセリングやコーチング、ヒーリングという手法も活用しながら、今でも少しずつ武装解除をして、日々の学びをキャッチする練習をしています。

4.これからのスタンスと学び

これまで掲げていた、昭和的な学びをするという方法をやめて、これからはもっと軽やかに学んでいきます。

「間=日々の何気ない営みにまなざすこと」から学び成長する

この信条に変えて活動をしていく予定です。
だからこそ、私たちが立ち上げたブランド「Comma Lab」はその世界観をつくっています。感性をひらく"間"に出合うライフスタイルブランドです。

こちらのnoteでは、私が日々の営みから気づいたこと、学んだことを、これからは徒然なるままに発信していこうと思っておりますので、どうぞお楽しみに✨

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