見出し画像

“これを書いている2018年11月12日、この人がいなければアベンジャーズもMCUもマーベルも、というか今のアメコミ・ヒーロー物のこの流れはなかったという。スパイダーマンを始め数々のマーベル・コミックの生みの親であるスタン・リー氏が亡くなられました。95歳。2000年の「X-MEN」以降マーベル映画には必ずカメオ出演していた氏ですが、もう、映画の中に姿を探すことが出来なくなると思うと寂しいですね。ご冥福をお祈り致します。”

えー、スパイダーマンに登場した悪役を主人公にしたスピンオフ作品でありながら、(今のところ)MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)ではないので現状の映画版「スパイダーマン」とは異なるユニバースに存在することになる、マーベル初のヴィラン物「ヴェノム」の感想です。

まず、ヴェノムの存在感。ざらっとした映像でフィルムで撮った様な質量があって。それが不定形に動くのもいいんですが、そういうざらっとした映像の感じや予告編の印象などから、(人間の倫理観や正義観などが全く通用しない)とにかく"圧倒的な悪"を描く映画なんだろうなと思っていたんです。(アメコミ・ヒーロー物で"圧倒的な悪"となると、やはり「ダーク・ナイト」が思い出されますが、そういう哲学的な話にならざるを得ないだろうなと。ただ、DCの"陰"に対してマーベルの"陽"ってイメージがあるので、その辺をマーベルとしてどう描くのかっていうのにも興味があったんですね。)で、オープニングなんですけど、地球外生命体を乗せた宇宙船が地球へ帰還して来るんですが、何らかの理由でコントロールを失って墜落する宇宙船。そこから一体の地球外生命体が逃げ出して人間に寄生しながら逃亡するという。まぁ、ベタではありますがSFサスペンス(「遊星からの物体X」とか。)が始まったって感じでワクワクするオープニングではあるんです。

その宇宙船の持ち主はライフ財団ていうインテリでブルジョワな意識高い系の集団なんですけど、そこのリーダーのカールトンという人がまだ若いのに切れ者で、更にその思想に狂気じみたものまで漂わせているという。(今回の敵役なんですけど、この人良いです。頭良過ぎておかしくなっちゃったみたいな感じで。自分の信念に対する純粋さもあるので完全なる悪者ってわけじゃないんです。)で、そのライフ財団に関する黒い噂(人体実験で死者を出しているというの)を追っているのが主人公でフリーライターのエディ・ブロックという人なんですけど、この人をトム・ハーディーが演じているんですね。(このトム・ハーディーも割と良いです。)そのエディのところにライフ財団への取材の依頼が来るんですね。エディはもちろん噂の真相を暴こうとするんですが、最早、一介のフリーライターが騒いだところでどうにもならないという。正に相手は巨悪っていう。そういう社会派な視点も入って来るんですけど。この金と権力を持った上に一般庶民の信頼まで勝ち得ている(と思われる)ライフ財団が宇宙から持ち帰ったシンビオート(要するに生成される前のヴェノムの元みたいなもので、このシンビオートが人間に寄生することでヴェノムの様な極悪生物に変体するということなんです。)を使って一体何をしようとしているのか!っていうのをスムーズながらも割と緻密に見せてくれるので、普通に社会派エンターテイメントとして楽しめるんですね。で、この流れにもうひとつ、エディのプライベートの話が絡んで来るんです。

エディの恋人のアンは弁護士でライフ財団の事件を扱っているんですけど、そのアンのパソコンに送られて来た事件に関するメールをエディが勝手に見てしまうんです。で、そのことをカールトンへの取材時に切り札として出すみたいなことをするんですね。もちろん出所はバレバレで、それが原因でアンは弁護士事務所をクビになってしまうんです。(映画ではアンとの会話で匂わすくらいですが、)エディはもともとこういうキャラクターで、原作ではスパイダーマンを悪人に仕立て上げた記事を書いてニューヨークの新聞社をクビになったりもしているんですね。(しかも、そのことでスパイダーマンを逆恨みしているらしく、エディの中ではスパイダーマンは自分を陥れた悪人で自分は悪くないと思ってるらしいんです。)つまり、エディも自分の信念の為なら割と何でもするっていう、カールトンと似たところのあるキャラクターなんです。だから、これって、エディにしてもアンにしてもカールトンにしても、自分の正義の為には多少の悪には目を瞑るっていう(ま、ていうか、大体の大人の世界はそうですが、)そういうスタンスで生きていて、世界っていうのは"圧倒的な悪"も"絶対的な正義"も存在しない、それらが混在している場所なんだってことを描いてるんじゃないかと思うんですね。で、そういうところにヴェノムがどう絡んで来るのかっていうことなんだと思うんですけど。公開前から"悪"とか"残虐"とか煽られてるので、このシチュエーションに人の倫理観とか正義観なんかを覆す様な存在として現れるんだろうなと。ヴェノムっていうのはそういう破壊の象徴なんだろうなと思っていたんですね。そしたらですね。そうではなかったんですよね。

えーと、ヴェノムっていうのは"悪"ではあるんですけど"悪"ではないと言いますか。ヴェノム自体は"純粋"な存在で、そこにヴェノム自体の主張はないんですね。「ダーク・ナイト」のジョーカーなんかもそうなんですけど、ジョーカー自体に悪いことをする意味ってないんですよ。(だから、何の為にジョーカーが悪いことをしてるのか分からなくて、つまり、ジョーカーの存在の意味が分からなくて周りの人間が混乱するっていうのが「ダーク・ナイト」なんです。)今回の「ヴェノム」はもうちょっと分かりやすくて、言ってみればヴェノム自体は容れ物なんですね。(シンビオートが寄生する人間の影響を受けてどういう個体になるかは変わるので。)つまり、ヴェノムはエディに寄生したからヴェノムになったわけなんで、エディの考え方や性格を受け継いで肥大化させたもの(エディにもシンビオートの特徴が見られるのでお互いの特徴を共有して新しい生き物になったって方が正しいかもしれませんね。)がヴェノムなんですね。ヴェノムに"悪"の部分があるとすればそれはエディの持ってた"悪"の部分なんです。だから、この映画でヴェノムがエディに対して、その生い立ちに共感するなんてことを言いながらヴェノムのそれまでを全く描かないのは、それまでのヴェノムは自我が確立されてなかったってことなんじゃないかなと思うんですよね。エディと共生することによって初めてアイデンティティーに目覚めたというか。

で、そう考えると、ヴェノムが登場してからのキラキラ輝く感じっていうのが頷けると言いますか。初めて分かり合える友達と出会ってヴェノムが生きるのが楽しいって感じてると言いますかね。(ただ、それを「悪いやつは食っていい。」みたいなことで描いちゃってるから納得いかない人が出て来るんだと思うんですけどね。)だから、圧倒的な"悪"が現れて人間の道徳観をめちゃくちゃにする話なのかなと思ってたら、エディとヴェノムの成長と共に"悪"という概念を学んでいく(そのプロローグ)みたいな構造になっていて、(つまり、"悪"そのものを描くというよりは、それを通して"正義"とは何かを描くみたいな話になってるんですね。とてもスタン・リー的ではあります。)それをバディ物の青春映画みたいにしてるのもマーベルらしいと言えばそうなんですけど。(まぁ、ぶっちゃけ"悪"とは何なのかのマーベルの見解を観たかったというのはありますけど。)ユニバースは違えど「スパイダーマン:ホームカミング」への目配せなのかなと。

最初のSFミステリー展開に引っ張られなければ、バディ物青春映画としては結構良いですよ。

http://www.venom-movie.jp/

サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。