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「タクシードライバー」や「レイジング・ブル」、「最後の誘惑」などマーティン・スコセッシ監督作品の脚本で有名なポール・シュナイダー監督作。僕はポール・シュナイダー監督の作品は、脚本を書いた上の3つしか観てないので、今回の映画がどういうものかよく分からないまま行ったんですが、超簡単に言うと、「タクシードライバー」のトラヴィスがもしも牧師になったら(めちゃくちゃ乱暴な言い方してます。)みたいな映画でした。ポール・シュナイダー監督最新作「魂のゆくえ」の感想です。

たぶん、キリスト教のこととか、現在のアメリカの教会が置かれてる状況とか分かってるとだいぶいろいろ読み取れるんだと思うんですけど。というのを踏まえた上で、ざっくり、ほんとにざっくり言っちゃうと、" 自分が信じていたものが何の救いにもならないと気づいた時に、人は一体どうなってしまうのか。 " っていうことを描いている映画だと思うんですね。で、それは、上で書いた様に「タクシードライバー」のトラヴィスが世の中の暗部を知ることによって、自分が何とかしなければという妄想に取り憑かれて行ったその物語と構造的には同じだと思うんです。ただ、トラヴィスの場合はもともとが何も知らない、守るものがない若者だった(つまり、信じてるものもなく、救いも求めていないってことです。当時、「タクシードライバー」を観た時にもっとも共感したのはじつはこの部分だったんですよね。今、振り返っても憧れではあります。守るものがなくて救われることに執着してないっていうのは。)のに対して、今回の主人公のトラーはキリスト教会の牧師という職についてるわけで。信じるものも守るものもある人なわけなんです(それに救われたいとも思っている。)。つまり、トラヴィスの場合は単純に世界と対峙してそれを破壊すれば良かったんですけど、世界のしくみを知ってしまったトラーはその対峙した世界とある程度うまいことやらないといけないわけで。それって単純に人が大人になれば関わってくる問題だし、それが大人になるってことだし。そこの「タクシードライバー」との対比が面白かったんですが、ただ単にトラヴィスが大人になってトラーになったということだけではなく、「タクシードライバー」の頃と比べて世界がどれだけ複雑化しているかってことも描いている映画だと思ったんです。

トラーが牧師をしている教会は歴史はあっても小さな教会でそんなに信者もいないんですね。で、この教会の親教会的なところがあって、それがメガチャーチって言って、フェスみたいな礼拝でバンバン金も使ってっていうプロテスタント系の信者も何万人ている教会なんですけど、今、アメリカではそういうのが増えてるらしいんです(メガチャーチって名前の響きから「ロボットレストラン」みたいのを連想してしまってしょうがなかったので検索したところ、「ロボットレストラン」よりは若干厳かな感じでした。グラミー賞とかアカデミー賞の授賞式くらいの。)。で、そういう教会に資金提供しているのは大きな企業だったりするわけなんです。だから、おのずとトラーの教会もその支援に預かっていることになるんですけど。まぁ、それも仕方ないよねって感じでトラーは日々暮らしているんですね。大人として。そんなある日、教会に夫婦が訪ねて来て、奥さんの方のメアリーから「妊娠しているけど、夫が出産に反対している」ので説得して欲しいと相談を受けるんです。トラーは夫のマイケルと話をするんですが、じつはマイケルは環境問題に傾倒していて(そういう運動にも参加していて)、「こんな汚染された世界で子供を育てることは出来ない。」って考え方なんです(だからといって、既に産まれてしまった命をないものにするってところに考えが直結してるのがおかしいんですが。)。そんな折、教会に資金提供しているのが環境汚染で問題視されてる企業だったということが判明したりして、トラーの気持ちにもいろいろ変化が出て来るって展開になるんです。で、じつはそれに加えてトラー自身が抱えてる問題というのもあって、トラーには息子がいたんですけど、イラク戦争に従軍牧師として出兵させて戦死させているんです。しかも、そのことが原因で離婚もしていて、更に胃癌も発症してるっていう。正しく出口のない人生を生きているんですが(その出口のなさをアルコールでごまかすという更なるフェーズにも入ってしまっているんですけどね。トラーは。)、この、トラヴィスの時と比べて全くシンプルにいかない、"悪いヤツがいる"→"俺が殺ってやる!"に直結しない感じ。社会問題と個人的なごたごたが密接に絡んで来てるのが凄く現代社会的だな〜って感じたんですよね。

で、もちろん僕自身はこんなに八方塞がりな人生を生きてはいないんですが、この出口のなさというか、生きづらさみたいな感覚は凄く分かる気がするんです。というか、その感覚を世間の空気として人々が共有してしまっているんじゃないかと思うんです(例えば、先日、登戸であった子供も含めて18人が殺傷された通り魔事件。あの時の、犯人にさえ感じたこの世界に生きることの息苦しさ。そして、その息苦しさを事件を知った人全員が共有してしまってるあの感じ。)。つまり、「タクシードライバー」の時には個人で感じてた閉塞感が、今は世界そのものの閉塞感になっているんじゃないかと思うんです。トラー牧師はこの後ある行動に出るんですけど、その行動の理由に、トラヴィスに感じた"怒り"はなく、圧倒的な" 悲しみ "だけだったんですよね。この感情の違いが、1976年と2019年のそれぞれの世相を表してるんじゃないかと思うんです。

ただ、こんな陰陰滅滅としたことばかり書いてると観るの辛そうだなと思われると思うんですけど、この映画、そこら辺ちゃんと考えられてもいて。まず、映像がデザイン的でとても美しいんです 。物語も淡々と静かに進んで行くし、大体トラー自身の感情の起伏があまりなくて、全体がとても静かなんです。ちょっとディストピアSFを観てる様な感じがするというか。しかも、演出はホラーっぽくて、例えば、映画冒頭の低い位置から撮ってる(誰の視点か分からない)カメラが奥にあるトラーの教会に向かって移動して行くシーンなんか、「悪魔のいけにえ」のソーヤー家に向かってカメラが迫って行くやつとか、「死霊のはらわた」の森から山小屋までの死霊視点のシーンなんかを思い出させますし。あと音楽も必要以上に不穏さを感じさせる仕様になっていて。何ていうか、映画として記号的でとてもキャッチー。で、そうやって、ホラーとかサスペンスのつもりで観てると最後に思ってもみなかったところに思考ごと吹っ飛ばされる超展開があるのなんかもギャスパー・ノエとかラース・フォン・トリアー的でもあるし、なんか、やっぱりディストピアSF的なノリがあるんですよね。要するにキャッチーな上にサイケでカオスっていう。さすがエネルギッシュでバイオレントな「タクシードライバー」の物語作った人だわってなるんです。で、恐らく、そのサイケ展開が救い(というか赦し)になってるんだろうなとは思うんですけど、そういうところ、どっちとも取れる(つまり、この物語全体があらかじめ定められた正解に導かれて行ってる様にも、全て間違ったカードを引いてしまっている様にも見える)様になってるのが、「魂のゆくえ」っていうタイトルの持つ、あ、なるほど、答えはまだ出てないってことなのねってところに集約されているし、なんていうか、あらゆる事実を描いた上で、さぁ、どれが正解でしょうと問われてる様な。これが世界だと言われてる様な。まぁ、圧倒的にこれが世界なんだけども正解はまた別のところにある様な気がするっていう、結局、「タクシードライバー」観た時と同じ気持ちに落ち着いたっていやそうなんですよね。

はい、というか、今の時点ではこういうふわっとしたところでしか纏められないです。ある程度リテラシーもいるし、全く一筋縄ではいかない映画なんですけど、ただ、ぜんぜん嫌いになれないと言うか(それはたぶんにホラー演出のせいもあるかと。)。いつかどこかでバシッとハマった時に「最高!」ってなる映画なんだろうなと。そういう映画今までもいくつかあるんですけど(ていうか、正に「タクシードライバー」も僕にとってはそういう映画でした。)、この映画もそのひとつになりましたね。

http://www.transformer.co.jp/m/tamashii_film/


サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。