JUST ANOTHER
前作の『MOTHER FUCKER』に続き、日本が世界に誇るアンダーグラウンド・ミュージック・シーンの謎をカメラひとつで解き明かそうとするドキュメンタリー作家・大石規湖監督による長編第2弾。名古屋を拠点に38年の歴史を持ちながら現在も超現役(しかも、ちゃんとカッコイイ!)パンクバンド”原爆オナニーズ”の謎に迫ったドキュメンタリー『JUST ANOTHER』の感想です。
じつは試写会にご招待頂き(個人的に大石監督との付き合いはそこそこ長いのです。)いち早く鑑賞させて頂いたのですが、本公開となった後に感想あげようと思っていたらこんなに遅くなってしまいました。すいません(しかし、今回も傑作なので皆さん是非ご覧下さい。)。で、そのお誘いメールを頂いたときに、僕は前作の『MOTHER FUCKER』も観ていて、それも傑作だと思っていたので「まさか、原爆オナニーズを撮っていたとは!」と送ったら、「『MOTHER FUCKER』がアクション映画過ぎたので今回面白くなってるのか不安です。」みたいな返信が来たんですね。それで、まぁ、観るのが余計楽しみになったんですが(大石監督は、自分が不思議に思ったことに深く関わっていく癖があって、それが作品の面白さに繋がっていると思っているのです。)。なるほど、まさか、こんな映画になっているとは思いませんでした。これ、(『MOTHER FUCKER』がアクションならば)今回のは完全にミステリーですね。それも大石監督自身が主人公の。
では、まず、この物語の中心であり"大いなる(あえて言います。)空白"である”原爆オナニーズ”とはどんなバンドなのかと言いますと、1982年に結成されて、それから38年間ずっと名古屋を拠点にインディーズで活動し続けているパンクバンドなんですが、原爆オナニーズに関してはメジャーがどうとか評価のされ方がどうとか言う前に、その実力とバンド的魅力(例えば、タイローさんのスタイリッシュなボーカルスタイルとか、ジョニーさんのスティックの持ち方がジャズなどでよく見られるレギュラー・グリップだということとか。)もさることながら、その存在の不思議さと言いますか、えーと、パンクとかハードコアって、本来、熱さとか思想とか主義みたいなものを表現する音楽だと思うんですけど、(これはもちろん良い意味で)"原オナ"にはそれをあんまり感じないというか、いや、そういうことを歌っているし、ライブもアグレッシブで聴けば熱い気持ちにもなるんですけど、それよりも、なんというか、哲学とかユーモアとかスタイルみたいなものをより強く感じて。そのスマートさがキャッチーさになってると思うんですね。で、その熱さの裏返しとしてのユーモアだったり、主義というものが持つ強さよりも哲学的な深さが前面に出て来ることで、キャッチーでありながら掴みどころがないという(何も考えてない様にも、もの凄く計算してる様にも見えるみたいな)不思議さになっていると思うんです。きっと大石監督はここのところを解き明かそうと思ったんじゃないかと思うんですけど、それがですね、話を聞けば聞くほど、カメラを向ければ向けるほど、どんどんワケが分からなくなっていくという。メンバーの人たちはみんな大石監督の質問にシンプルに答えているだけなのに、そのシンプルさがより謎を深め沼にハマっていくと言いますか。まるで『羊たちの沈黙』でレクター博士に対峙するクラリス捜査官の様で、そこがめちゃくちゃミステリー映画だなと思うわけです。
『羊たちの沈黙』でも、なぜレクター博士が人肉食をするのかっていうこと自体の謎は解けなかったじゃないですか。ただ、ああ、この人ならこういうことをするかもしれないなという(ある種)理解への破片みたいなものは見出せたと思うんですよね。なので、この映画でも"原爆オナニーズとは何なのか。"という謎は解けないんですが、"なぜ、原爆オナニーズは謎なのか。"というのはなんとなく浮き彫りになって来るんですね(大石監督がジタバタと動き回ることによってそれが浮き上がってくるのが面白いんです。)。例えば(もう、これを例にあげちゃったので最後までこれで行きますけど)、レクター博士が人肉食をする理由は分からないですけど、レクター博士が人智を超えたことをするのは人というものを形成する上でなくてはならない何か(たぶん倫理的な部分での何かですよ。はっきりとは分かりませんが。)が圧倒的に欠落しているからだってことは分かるじゃないですか。で、それを直感的に悟るからあの映画は怖いわけですよね(恐らくクラリスの様に、そういう物の深淵に触れてしまうと、その対象自体を理解したと感じてしまって異常に感情移入してしまうんだと思うんです。)。それでは、この映画で僕が感じた"なぜ、原爆オナニーズは謎なのか。"に至るモノが何なのかというと、原爆オナニーズにはバンドというか、表現をするということに対峙した時に絶対に生じるあるモノがないんです。いや、完全にないとは思いませんが、圧倒的に少ないんだと思うんです。その謎への破片がこの映画にはもの凄く散りばめられていると思うんですよね。
例えば、ボーカルのタイローさんはもともとマネージャーとして原爆オナニーズと関わるつもりで成り行き上ボーカルになったとか、「バンドなんてものは2年で解散するものだと思ってた。」という発言とか、周りでメジャーに行ったバンドを見ていて、端からバンドでは食えないものだと思い、結成当初から別に仕事を持ち休みの日だけライブを行っていたとか。つまり、原爆オナニーズには他のほとんどのバンドが持ってるバンドをやる上での"エゴ"というものが圧倒的に少ないんですよ(言い換えれば、バンドに対して夢を持っていないどころか何も期待してないんです。しかも、結成当初から。ここが凄いとこだと思うんですが。僕が最初に原爆オナニーズを"大いなる空白"と書いたのはこの為です。)。じゃあ、何の為にバンドをやってるのかっていうと、自分たちの為なんですよね。自分たちが納得する演奏をする為、自分たちがカッコイイと思える曲を作る為、もっと言えば、そのカッコイイ曲を作って演奏しているのが自分たちじゃなくても良いと思っているんじゃないかと感じるほどに(その無記名性と言いますか。原爆オナニーズのファースト・アルバムが、パンクやハードコアのレーベルではなく、キング・オブ・ノイズと称されるノイズバンド非常階段のJOJOさんが運営するアルケミーレコードからリリースされてることを考えても、ノイズ・ミュージックの持つ無記名性との親和性を感じてたんじゃないかと思うんですよね。)。恐らく、タイローさん宅にコレクションされてる膨大な数のアナログレコードの中に同じ様に自分たちのレコードもコレクションしたいと思っているだけなんじゃないでしょうか(ここ、難しいのは、そのコレクションしている好きなバンドたちと肩を並べたいとかってことじゃないんですよね。単純にコレクションの一部として陳列したいというか。だから、ミュージシャンというよりコレクターとかマニア目線でバンドをやってるんじゃないかと思うんです。)。で、ここまでは分かるんです。かくいう僕だって全く売れそうにない音楽をずっとやり続けているわけですから、(おこがましいとは思いますが、)同じ様な精神性でやってるわけです。ただ、その活動歴の長さですよね。38年。60歳を過ぎた時に自分が今の精神性を持ち続けたまま、仕事でも遊びでもない、誰かに頼まれたわけでもない、いつ辞めたっていいものをあれだけの情熱を持ってやっていられるのか。ちょっとほんとに未知過ぎて。ただ、この映画を観て、僕が原爆オナニーズに対して感じていた畏敬の念というか偉大なパイセン感はこれだったんだなと腑に落ちたところがあったんです。もしかしたら、人生において何にもならないかもしれないこと(要するに明確な答えの出ないことです。)に対して果敢に(なのか遊び気分でなのか。どちらでも偉大なことには変わりはないのですが。)対峙している様が、これぞ自分も目指してるところなんだな(そして、その答えを求めないまま死んでいけたら最高だな。)と思うわけです。今、コロナで、これまでやって来たことが停滞してる中、それを何の為に続けて来たのか分からなくなってる人も多いと思うんですけど、「ああ、そう言えば、オレもバンドには何も求めていないんだった。」と、そういう夢でも野望でもない漠然とした気持ち(とは言え、こういうことがバンドなんていう存在の希薄なものをやり続ける為には重要だと思うのです。)を思い出せただけでも僕にとってはめちゃくちゃ価値のある作品だったなと思います。
映画の中で大いなる謎に対して立ち向かって行く大石監督がドン・キホーテの様に見えたんですが、その立ち向かって行っている存在自体が更なる謎に立ち向かって行ってたのだと思って。こういう入れ子構造というかメタ的な視点がとても映画的だなと思うんです。大石監督のドキュメンタリーにはいつもこの手の映画的視点があって、そこが非常に良いんですよね。あ、こんな風に書くと理屈っぽい映画なのかなと思うかもしれませんが全然そんなことないです。映画も原オナ同様、感覚的で直情的でクールでユーモアもあって、その上で哲学的でもありました。
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