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【映画感想文】クライムズ・オブ・ザ・フューチャー

2014年公開の『マップ・トゥ・ザ・スターズ』以来のデヴィッド・クローネンバーグ監督作品。近未来、痛みを感じなくなった人間の究極のアートとしての人体改造。の果ての新たな臓器(腫瘍)を生み出し、それを取り出すパフォーマンス。の果ての~的映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』の感想です。

えー、クローネンバーグ監督作は割りと観てて、とは言ってもやはり80年代の作品、『スキャナーズ』、『ヴィデオドローム』、『デッド・ゾーン』、『ザ・フライ』、『戦慄の絆』、『裸のランチ』辺りをハマって観てたって感じなんですが(ていうか、80年代のクローネンバーグ凄いですね。全部名作じゃないですか。まぁ、正確には『裸のランチ』は91年公開なのでそれまでの勢いと比べるとちょっとアレかなと思うのですが、僕は『裸のランチ』大好きなんですよ。)。で、その後は観たり観なかったりで(『クラッシュ』を観逃してるんですよ。観たいんですけど何となくタイミングが合わないんですよね。『クラッシュ』と。)、『コズモポリス』、『マップ・トゥ・ザ・スターズ』のここ2作はまた観てるんですが。いや、もはや巨匠の域に達している今のクローネンバーグとしてはこっちの方がいいとは思うんですよね。芸術的というかより観念的で。ただ、個人的なクローネンバーグ映画の好きなところというか、『裸のランチ』とか『ヴィデオドローム』なんかにあった下世話さっていうんでしょうかね。そういうのがなくなったなという印象はあったんです(あ、『コズモポリス』の車同士が会話するとかああいうのは良かったですよね。ああいうのがもっと欲しかったんですね。)。

で、今回の『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』、近未来とか、痛みとか、内臓とか、手術とか、あれ、直接的にエグい感じ戻ってきてるんじゃない?って思ってたんです。予告を観たときは(ビジュアルもいかにもクローネンバーグでしたしね。)。なんですけどね。いや、凄くクローネンバーグだったんですよ。だったんですけど…なにか物足りない。なんなんでしょうね、想像を超えて来ないというか、分りやす過ぎるというか。これまでのクローネンバーグ映画にあった主人公が巻き込まれて行く感じ、常識とか倫理観とかそういうものを超えて得体の知れないものに取り込まれて行く感じがないんですよ。なるほど、近未来でね、人類が痛みを克服してね、そうすると今度はそれを見世物にしようと思う人間が現れてね、しかも、それをアートとか言ったりしてね、産業廃棄物を食べ物にしてたりしてね。ああ、うんうん、なるほどなるほどそうかそうか…あれ、終った…って感じなんです。「え、なんだこれは????」っていうところが一個もなかったんですよね(いや、あるんですけどね。そもそもの設定が「なんだこれは?」なんですけど、それを”未来”というSFにしちゃうと「なるほどね。」になっちゃうんですよね。)。

例えば、『スキャナーズ』の未知の力を制御出来なくなる感じとか、『ヴィデオドローム』の欲望に沈殿していく感じとか、『ザ・フライ』の自ら作り出した力に取り込まれて行く感じとか、『裸のランチ』の幻覚世界と直接繋がる感じとか、なんというか、クローネンバーグ監督自身が作り出した世界に自らが苦しみながら陶酔していく感じ。あ、これはヤバイ世界に入って来たわって観てる僕らが怖くなる感じ…(さっきも書きましたが)いや、そういう設定ではあるんですよ。アートとして人体解剖に手を出しちゃってるわけだから。しかし、これまでと比べて常識とか法律とかそういうラインしか超えて来ないんですよね。(近未来とかSFっていうジャンルに納まってしまって)哲学とか理念みたいなものを揺さぶってこないんです(まぁ、実際、現在の現実の世界でもアンダーグラウンドなアートの世界なんかではアウトローな表現ていくらでもありますからね。それが未来で痛みを克服した世界となったらこのくらいのことは、まぁ、あるだろうなって感じちゃうんですよね。この世のどこかにはあるだろうけど、こんなの本当にあったんだって思ってるとそこを更に超えて行くっていうのが観たいんですよね。クローネンバーグの場合。だから、そういう意味で『裸のランチ』なんかは、原作のディテールを使って原作者バロウズの実生活を描いてて、バロウズがいかに現実の世界から直接的にヤバイところに繋がってるのかっていうのが面白かったんですよね。)。

じゃあ、(『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は)面白くないのかって言われたら一概にそうとも言えないんですよ。クローネンバーグのフェチ的要素の強いガジェットとか、痛みはないけど変な臓器が出来ちゃってるから生きづらいみたいな感覚は凄く面白かったし、人類の進化の結果、産業廃棄物としてのプラスチックを食べる子供が産まれる(っていうSF要素)だけじゃなく、その子供を巡るやりとりがアート(とそこに内包される性的なもの)と政治に取り込まれて行くのもクローネンバーグっぽいなと思って嬉しかったんですけど、じゃあ、この物足りなさはなんなのかって言われたら、クローネンバーグの時代感覚が鈍ったというよりは、現実がクローネンバーグ的世界になって来てしまっているのではないのかなと。だって、このくらい酷いこと(クローネンバーグが描いてきた行き詰まり感)って今この現実世界にも存在しているわけじゃないですか。だけど、そこを飛び超えて更に深みにはめてくれるのがクローネンバーグなんじゃないのかって思ったんですよね。

※最後のまとめ↑と書きましたが、"現実がクローネンバーグ的になってきた"というよりは、"クローネンバーグが接続したくなるような現実がもうない"っていう方が僕が感じてる感覚に近いかもしれません。


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