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ミッドサマー

はい、今年最も楽しみにしていた映画です。前作の『ヘレディタリー 継承』が個人的にオール・タイム・ベストの何本かには入るくらい好きで、確実にホラー映画のなにがしかを更新した傑作だったんですが(『ヘレディタリー 継承』の感想です。)、そのアリ・アスター監督の長編第2弾『ミッドサマー』の感想です。

"ミッドサマー"って夏至という意味ですね。北半球で昼が一番長くなり、舞台になってるスウェーデンでは何日も太陽が沈まないいわゆる白夜の時期。6月の下旬辺りで、その時に開催されるお祭りも"ミッドサマー"というらしいんですが、旅行会社のホームページなんかを見ると、「いよいよ夏本番。卒業シーズンを迎え学校も夏休みに入り、一年でもっとも過ごしやすく美しい季節。」なんてことが書かれていたりします。ボルボとかIKEAが有名で、政治的にも中立、国民性も品があって大人しくてみたいな、スェーデンていう国からイメージされるものってこういう感じですよね。なんですが、まぁ、何にでも表と裏があって、その表裏を通常とは逆転させて描くのがアリ・アスター監督なわけです。

はい、ということで、なんだかめちゃくちゃ人入ってるみたいですけど(公開初日金曜日の真昼間、いつも行ってる新宿の映画館は満席で入れませんでした。)、どう考えてもそんなに人が殺到する様な映画じゃないと思うんですけどね。アリ・アスター監督はこの映画をホラーじゃなくて失恋映画だと言ってるらしいんですが(まさか恋愛モノと間違えて人が来てるとも思えないですけど。)、個人的には監督の映画は全て"ホラーというジャンル映画"だと思っています(そもそも失恋映画って何なんだ?)。フォーマットがホラーなんですよね(前作の『ヘレディタリー』は『エクソシスト』みたいなオカルトのフォーマットでした。)。今回の『ミッドサマー』も、田舎の閉塞したしきたりや慣習、そこで暮らす人たちとの倫理観の違いによって都会から来た若者が犠牲になっていくという、分かりやすいところだと『食人族』みたいなね。いや、まぁ、『食人族』はホラーなのか?というと難しいところですが、リメイク的作品の『グリーン・インフェルノ』は完全にホラーとして作られてましたし、そもそも、その『グリーン・インフェルノ』のイーライ・ロス監督の出世作『ホステル』だってそういう話でした。で、何と言っても、このフォーマットには、ホラー映画の金字塔と言われる『悪魔のいけにえ』があるわけですから、『ミッドサマー』だってホラー映画と言って間違いはないですし、そのジャンル映画然としたスタイルこそがアリ・アスター作品のキャッチーさになってると思うんですよ。

ただ、これだけ分かりやすくホラーっていう枠組みがあるのに、そこからどんどん逸脱して行くのがアリ・アスター映画なわけで。えーと、たとえば、前作の『ヘレディタリー』の場合、家族を失うっていう"実体験から得たリアルなエピソード"(アリ・アスター監督自身がそういう経験をしてるらしいです。)というのがあって、それをホラーっていう"映画としてのウソ(ファンタジー)"として描こうとした時(まず、この家族を失ったというエピソードをホラーにしようってなっちゃうところに思考の逸脱があるんですけどね。)に、思考の両端にそのそれぞれを置いてみて、間をなんとか理屈つけて埋めて行くみたいなことをね、してるんじゃないかと思うんですよ。つまり、"家族を失ったという経験"を"ホラーというフォーマット"に入れて語るんじゃなくて、(家族を失ったという)"事実"そのものを(ホラー映画という)"ウソ"に変換して行く、その過程を映画にしてるんじゃないかと思うんです。だから、アリ・アスター作品には信じたくない様な"事実"とあまりにも過ぎて笑っちゃう様な"ウソ"が同時に存在してるんだと思うんです(悪夢を見てる様な感覚になるのはそのせいじゃないかと。)。で、この"思考の逸脱"がアリ・アスター映画における"狂気"になってると思うんです。

はい、では、『ミッドサマー』における"事実"と"ウソ"とは何なのかっていうとですね、"性格がウザ過ぎて恋人に愛想尽かされた"っていうのと"夏至祭での儀式"ですね。で、その間を埋める理屈として"同調"というのがあって、もちろん、そのフォーマットはホラーです。はい、見事に何言ってるか分かりませんが、この一見繋がらなさそうなものが繋がって来るのがアリ・アスター的恐怖なわけで。主人公ダニーの"日常"とスウェーデンの"夏至祭"を繋げようと思ったら"同調"っていうワードが浮かび上がって来たってことなんですが。えー、つまり、この映画で言っている恐怖っていうのは"同調"のことで、それが2種類出て来るんですね。まず、ひとつ目は、ダニーが恋人のクリスチャンやその友達(主にマーク。この役をやってたのが『デトロイト』でめちゃくちゃ嫌な警官の役やってたウィル・ポールターさんですけど、今、世界でこのスネ夫的立ち位置の役やらせたらこの人を置いて他にいないと思います。)から発せられる「俺たちと一緒に遊びたいなら俺たちと同じ様に振舞え。」という、いわゆる"同調圧力"っていうやつです(これは割とみんな感じたことあると思うので、ここでダニーに共感する人は多いと思うんです。)。で、その"同調圧力"による違和感をダニーがどう払拭していくのかっていう心の解放物語になって行くわけなんですね(『ヘレディタリー』もそうですけど、アリ・アスター監督の映画には監督本人のトラウマを払拭する為という側面があって、今回の話も、監督自身が落ち込んでる時に恋人に愛想を尽かされた経験が元になっているとインタビューで公言していました。)。だから、ホルガ村での経験がダニーの心を解放していってるというのは間違いないんですけど、え、これが果たして解放されたってことなんだろうか?ってなるのが、またアリ・アスターの怖さなんですよね。

で、その"心の解放"を即す術としてもうひとつの"同調"が描かれるんですが、僕は断然こっちの方が怖かったんですよね。"盲目的な共感は支配と同じ"と言いますか、ダニーがもしもこれで解放されてるんだとしたら、それは支配されることを受け入れたってことなんですよね。つまり、どっちに行っても地獄への道をダニーが自ら選んだってことで。だから、この映画がホラーとして新しいところがあるとしたら、それは陽光輝く中での惨殺シーンでも、美しい景色の中で地獄を描いたことでもなくて、恐らく、このストーリーの中で起こった全ての事象が理解可能だってことなんです。話の通じない相手に理不尽に殺されるっていう(理解出来ないことを納得するホラー映画的)唯一の逃げ道が塞がれてるっていう恐ろしさだと思うんですよね。『ヘレディタリー』で、明けない夜はないけど、前の日に起こったことを引きずったまま最悪の朝がやって来ることもあるってことを教えてくれたアリ・アスターが、本当の地獄はじつは夜が来ないことだっていうのを見せてくれたんじゃないかと思うんですよね(延々に続く憂鬱さという地獄。)。

ということで、期待値爆上がりのまま観たんですけど、それを超えたというよりは何か煙に巻かれた様な、ほんとの地獄はまだこの後ですって言われてる様な。いや、そもそも、ここに描かれていたのは地獄なんだろうか?だとしたら現実とは何なんだろうか?と。この判然としなさ加減が、やっぱり、めちゃくちゃアリ・アスターでしたね。近年観たどの映画よりも美しい(そして、クマちゃんとか花の女王などの笑えないユーモアによる)地獄。最高でした(じつは個人的に一番謎だったのは「子供たちと一緒に『オースティン・パワーズ』観る?」っていうあのセリフ。スウェーデンの夏至祭で『オースティン・パワーズ』?なぜ??何が???)。

あ、あと、もう一個、幻覚作用で背景がウネウネ動きながらのダンスバトルも最高でしたね。牧歌的な『クライマックス』(byギャスパー・ノエ)でした(現状3回観てるんですが、観る度に笑える率上がっていて、3回目は、ダニーの悲しみ応援からのセックス応援シーンは声出して笑ってしまいました。やっぱり、この自分の中の恐怖に対する基準をガタガタにされるのがほんとの恐ろしさなのかもしれないですね。)。

https://www.phantom-film.com/midsommar/sp/

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