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デッドプール2

はい、(マーベル作品の中では比較的)低予算で、R指定もついているのに世界中で大ヒットした「デッドプール」(感想はこちら!→ http://esuhiro-kashima.tumblr.com/post/145391937473/%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB )の続編で、その精神性とかポリシーはそのままに、脚本の作り込みなど、内容の部分で格段にスケールアップした感のある(つまり、今回、お話が面白いんです。)「デッドプール2」の感想です。

ということで、まずはこの「デッドプール」がマーベルの中でどういう立ち位置にいるかというとですね。えー、最近、僕が多く感想を書いている「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」とか、「スパイダーマン」とか、「ブラックパンサー」なんかは、『アベンジャーズ』っていう流れの中にある作品なんですね。あ、ちなみにマーベルというのは、アメリカのコミック出版社で、これらの原作マンガを出している会社なんですが、そのマーベル作品の映画やドラマを製作するマーベル・スタジオというのがありまして、『アベンジャーズ』シリーズは、マーベル・スタジオの製作でディズニーが配給してる映画なんですね。で、同じマーベルから出版されているマンガなんですけど、『アベンジャーズ』とは違う『X-MEN』というシリーズがあって、今回の「デッドプール」は、その『X-MEN』の方のヒーローなんです。(こっち側の作品だと、去年「ローガン」の感想を書いてます。→ http://esuhiro-kashima.tumblr.com/post/162078726213/logan-%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3 )で、こっちのシリーズは製作がマーベル・スタジオと20世紀フォックスの共同で、配給は20世紀フォックスなんですね。(ということは、『アベンジャーズ』シリーズの映画化権はディズニーが、『X-MEN』シリーズの映画化権は20世紀フォックスが持っているということになるんです。)だから、基本的には『アベンジャーズ』と『X-MEN』のシリーズは交わらなくて。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)という、マーベル・ヒーローたちの世界観を共有するっていう概念みたいなのがあるんですけど、それは映画の中の世界では、『アベンジャーズ』と『X-MEN』に二分されているんですね。(コミックの方では共有されていますし、お互いのヒーロー同士も共演しているらしいんですけどね。)まぁ、権利の問題です。ただ、ディズニーが20世紀フォックスを買収するという話もあるので、将来的にはこの交わらないはずのふたつの世界がひとつになるという可能性もないことはないんですよね。(こういう現実のビジネス上の問題をエンターテイメントとして物語化していく感じ。アメリカのエンタメってこういうとこ面白いですよね。)

それで、今度はその『X-MEN』がどういうシリーズなのかということなんですが、(個人的な印象ではありますが、)『アベンジャーズ』の陽に対して『X-MEN』の方が少し陰性に感じるんです。それって、お互いのヒーローとしての成り立ち方が影響してると思うんですけど、『アベンジャーズ』が基本的に人類と同等、もしくは、人類にプラスの要素として超能力が備わった、上の存在として描かれるのに対して、『X-MEN』のヒーローたちはミュータント(突然変異)と呼ばれていて、人類の亜流と言いますか、異形の者っていう感覚が強いんですね。なので、『X-MEN』の物語のベースには、"偏見"とか"差別"っていうテーマが常についてまわることになるんですが、そういう暗くてシリアスなテーマをそのままに、それを破壊的なギャグで表現していくっていうのが「デッドプール」なんです。

だから、『X-MEN』自体がマーベルの中ではオルタナティブな流れの中にいるのに、その中でも更にアヴァンギャルドと言いますか、破壊的なパンク的要素の強いヒーローが「デッドプール」ということになって、とにかくルール無用、ヒーローとしても映画作品としても壁を壊し捲くるっていう映画なんです。正直、前作はそういうパンク的なルールの破り方の方の印象が強くて、そここそが「デッドプール」の本質、それが面白かったっていうのはあるんですね。(もちろん、きちんと『X-MEN』シリーズのテーマである"差別"や、"異形の者としてどう生きるか"みたいなことも描かれるんですが、そういうのを超越したところで、デッドプール自体のキャラの魅力というのが大きかったんです。)例えば、なぜ主人公のウェイド・ウィルソンがデッドプールになったのかというと、自分の末期ガンを治す為なんです。恋人のヴァネッサとの結婚の約束を果たす為に、行きつけのバーで聞いた末期のガンを治せるという治療を受けるんですが、それにはある人体実験も受けなきゃいけないという交換条件があって。おかげでウェイドは驚異的な治癒能力を持つミュータントになるんですけど、その副作用で全身が焼けただれた様な醜い姿になってしまうんです。そんな姿ではヴァネッサに受け入れてもらえないだろうと思ったウェイドは、ヴァネッサの前から姿を消すんです。手作りのスーツで身を包みデッドプールと名乗って、元の姿に戻れる可能性を探ってフランシスというミュータントを追うっていう話なんです。要するにウェイドがデッドプールになったのは、ヴァネッサとの愛を成就させる為で、これって、ストーリーの骨格だけ取ったら70年代とかにあったハードボイルドな恋愛物みたいな話なんですよ。で、そういう大真面目な恋愛ストーリーにパンク的破壊行為と(無理やり)ヒーロー物のプロットをプラスしたのが(この無理やりっていうのがこの映画のキモだと思ってます。)「デッドプール」の面白さで、主人公ふたりの職業が元傭兵のトラブルシューターと娼婦だったり、ヒーローなのに自分の欲望でしか行動しなかったり、要するにこういう話ならこういうパターンだろうっていうお約束を破るところに爽快感があったんですね。(だから、ストーリー自体は大真面目でいいわけなんです。破壊の快感が増すので。)で、それと併せて映画の観客に話しかけたりという、いわゆる"第4の壁"も壊していって、破壊on破壊でとにかく破壊の限りを尽くすという。しかも、それをお笑いとして消化しているんですよね。(この、哲学的でもあり、社会的でもあり、でも最終的には笑いに集約するっていうのも、パンクっぽいですよね。ジョン・ライドン的というか。まぁ、シニカルってことか。)

(で、はい、やっとですが、)基本的には今回の「デッドプール2」もそのスタンスのままで、悪ふざけの部分をよりパワーアップさせた様な作りになっているんですね。まぁ、今回の場合「デッドプールとは?」っていう説明の部分が済んでいるので、映画開始直後からメチャクチャやっても問題ないわけなので、(言ってみれば、僕らはそのメチャクチャこそを観に行っているわけですし。)勢いは今回の方があったかなと思うんです。(いきなりトップギアに入れてもいいんだっていう自由な空気感みたいなのがありましたよね。これがだいぶ心地良かったんですが。)なので、「ああ、これは観たかったデップーだ。」っていうのを充分に堪能しながら、ちゃんと描かれているドラマにも気持ちが行くというか、(前作もかなりしっかりドラマは作られていたんですが、より)「スゲーちゃんとしてるじゃん!」てことになるんです。(それがあっての"ルール無用"なので、やっぱり映画として凄くよく出来ていると思うんです。)前回は、ヴァネッサとの恋愛ストーリーを軸にしていたんですが、今回はもっと広義での"愛"。家族愛みたいなものを描いていて、その描き方に僕はめちゃくちゃ「ブルース・ブラザース」を感じたんですよね。(あと、+「ターミネーター」っていうのもありますが。)この映画、他の映画のパロディーだらけで、観客が分かっても分からなくてもいいって感じで作ってるんですが、通底するテーマとしての空気感もパロってるといいますか。精神性みたいなものが「ブルース・ブラザース」と一緒なんじゃないかって思ったんです。刑務所と孤児院ていう設定だったり、行動する理由がその孤児院の子供を救う為だったり、目的を遂行する為に仲間を集めていくのとか(この集められた仲間たちがマジ使えなくて、笑うの通り越してビックリするくらいなんですけど。)、ラストの刑務所のシーンとか。(ちょっとホロっとさせる様な展開の後にもとんでもないギャグぶち込んで来たり、お笑いなのに常にシニカルな方に舵を切ってく感じとかもそうですよね。)というプロット上の類似点もあるんですが、なんと言っても「ブルース・ブラザース」というのは、あの当時(1980年)の映画が出来るメチャクチャの全てをぶち込んだ様な作品だったと思うんですよ。そういうものへのリスペクトというか、「ああ、そうか、デップーの前にブルース・ブラザースがあったんだ。」っていうのがですね、凄く良かったんですよね。(まぁ、それ自体もぶち壊していく様な展開になっていくんですが。)

だから、前作以上にいろんなものへの"愛"(と、「差別はダメ!」っていうの)を感じる映画で、(「差別はダメ!」に関しては、昨今のなんでもかんでも「差別ダメ!」入れとけっていうハリウッド映画界に対するアンチもあると思いますけどね。)非常に僕はさわやかな気持ちになって、良い映画だなと思いました。

http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/

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