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#10|上京から3ヶ月、遂にバイトを始める


東京に上京して、3ヶ月が経とうとしている。

ここまで貯金を切り崩し、気楽に制作をしてきたわけだが、このままでは新しい楽器や機材が買えない。

生活すらままならい。

ということで、27歳・無職・恋人なし
遂に、アルバイトをする決断をした!

3ヶ月も働いていないと、バイトをするだけで大イベントである。

どんなバイトに決まったのかは後ほど話すとして、今回はこれまでに経験したバイトについてお話しよう。


高校1年生:個人経営の居酒屋

初めてのバイトは、実家の近くにある個人経営の居酒屋であった。

気が弱いお爺ちゃんと気が鬼ほど強いお婆ちゃんが営む居酒屋で、毎週土日の夜だけというもの。

「アンタ男前ね。石川遼(プロゴルファー)に似てるんじゃない?」
と、常連のオバ様方からチヤホヤされた。

その日を境に遼くんと呼ばれるようになった。

ちなみに、全く似ていない。


高校3年生:カフェ&ディナーのキッチン

次に始めたのが、ランチ・カフェ・ディナーなんでも来いの小洒落たダイニングのキッチン。

「高校生は雇ってないの」と追い返されそうになったが、『千と千尋の神隠し』のワンシーンを思い出し、「ここで働かせてください!」とゴリ押したら、働かせてもらえることになった。

ある日、父親が「彼女できたんだ」と言って、バキバキのギャルを連れてきたのは良い思い出だ。


大学2年生:レンタルCD&DVD屋

飲食にも飽きて、次に始めたのがレンタルDVD屋。

小太りメガネの店長(男)は生粋の京都人で、大らか且つあまりに上品な京都弁を話すもんだから、すぐに打ち解けた。

お客さんに言う「おおきに〜」がすごい好きだった。

少しして、店長は従業員のバツイチ子持ちアニオタギャルと付き合い、いい様に使われ始めた。

 "惚れたら負け" を見事に体現していて、出勤するたびに「〇〇ちゃん、ほんまに俺のこと好きなんやろか」なんて相談してきて、あれは少々面倒であった。


大学院生:ビジネスホテルの受付

小学生時代からの親友に誘われ、ビシッとスーツを着こなすホテルマンとして働くことになった。

夜勤は自由時間が多く、親友と映画を見たり、漫画を読んだり、と楽園状態であった。

が、治安が悪い場所で宿泊費も格安ということもあり、しばしば変わったお客さんが来ることもあった。

自殺未遂を犯す髭ロン毛、やたらナンパしてくるホームレスのおばさん、相手がシャワーを浴びている間に財布を盗んで逃げ出す援交少女……。

もちろん良いお客さんもいたが、特に記憶に残っているのは、やっぱり自分とは全く違う生き方をしている人達のこと。

ほんと色んな人がいるんだな、と人生について考えさせられた。


卒業後:建築現場の資材運び

これまたホテルで一緒に働いていた親友に誘われ、いわゆるガテン系の仕事を始めた。

親方になったのだ。

時には100kg近い資材を一人で担いだりするような過酷な仕事で、驚くほどにマッチョになった。

「俺たち、こんな重いもの運ぶために生まれてきたわけじゃないよな!?」が、当時の口癖。

給料がとても良く、おかげで音楽活動に必要な機材や上京のための引越し資金を貯められた。


現在:グラフィックデザイナー

そして、現在。

晴れてグラフィックデザイナーとして働くことになった。

親方からのデザイナーだ。

我ながら笑える。

なぜ急に?と思うかもしれないが、これまでに音楽活動で必要なデザイン、例えばCDジャケットやライブのパンフレットなど、自分で出来ることはやってきた。

制作という意味では音楽と同じく、時間を忘れて没頭できることなので、これがバイトになれば苦にならないのではないか、と目論んだのだ。

しかし、実務経験が乏しい故、書類審査で5社くらいは落とされた。

人生そう甘くない。


めげずに応募しまくり、なんとか面接まで持っていき、最終関門、選考課題。

4時間で3案のデザインを提出する、という一見楽そうな課題。

これが全然楽ではなかった。

好きなだけ時間をかけて、ああでもないこうでもないとやっていた頃のデザインとは違い、限られた時間でアイデアを出し、形にする、という作業。

プレッシャーとの戦いであった。


翌日、採用の報告が入り、一人で舞い踊った。


ちなみに面接で「将来どうなりたいですか?」と訊かれたのだが、ブレずに「音楽でメシ食っていきたいです!」と言い放った。

そう、バイトが決まったくらいで浮かれていてはならないのだ。

僕は音楽家。


嬉しいもんは嬉しいが、気を緩めずに生きていこう。




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