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人生で一番濃厚な1年

こんにちは、昨日からnoteを始めたばかりのFUKURIです。
昨日の自己満自己紹介の続きをつらつらと書いていきます。

昨日の記事はこちら

さて、小学校中学年から始めたバスケットボールを高校3年生を目前に辞めました。母には、バスケットボールをやめた方が高校生活は辛いと思うけど大丈夫?と言われましたが、もう私の決意は固まっていました。
部活を辞めることになったため、母と顧問で3人で話しあいを持ちましたが母がその時涙ぐんでいたのを今でも覚えています。なぜ泣いていたのかは、ずっと聞けていませんが・・・(結婚式でも泣かなかった母の唯一の涙が見れらのは後にも先にもないです)

部活のために寮生活だったため退寮し、バスケットの推薦で入学したため学費免除も取り消しとなりました。通学できない距離ではありませんが、1時間半かけて満員電車を通学したのを今でも覚えています。
クラス大半はインターハイに向かって調整中なのに、私だけぽつんとした生活を送っていました。また、女子校だったため噂はあれよあれよと広まりクラスの省かれものになっていたのを覚えています。

学校生活が辛いことを両親に打ち明けた時、父は辞めたら?といってくれましたが、辞めたら私の噂を広めている人に負けている気がしてなんとか高校は卒業しようと心に決めていました。

少しずつ引退する人が出始めた夏休み前に、クラスで話せる人もできました。また、部活のない夏休みは初めてなのでアルバイトを始めました(高校はバイト禁でしたが、あるあるですよね?笑)。今まで出会ったことのない人と出会い話したりするうちに、自分が生きてきた世界の狭さとお金を稼ぐことの大変さを学び、今後の進路どうしようか悩んでいました。

夏休みが終わり、学校生活が始まりました。通学していた学校は、金曜日の午後は部活動をして単位を取得するため、私はクラスの担任の陸上部に所属させてもらうことになりました。今まで室内競技だったため、炎天下の屋外はあつく、することもないので図書館で勉強の許可をもらい、日頃の課題やすきな読書をしていたのを覚えています。そのころ、家庭科の教科書の一番後ろに管理栄養士の仕事について記載があり、管理栄養士っていいな〜と思い始めたのが、目指したきっかけです。

管理栄養士になろうと決めて、大学を探しました。県内にいくつか取得できる大学があることをしり、また指定校推薦枠が高校にありその枠を利用して受験することとなりました。
(本当は当時付き合っていた彼が東京の大学に進学することがきまっていたため東京への進学を希望したのですが、同じ資格をとるためにわざわざ下宿をしてまで行きたいとは学費免除で高い授業料を払ってもらっていたので言えませんでした。笑)

大学の受験を終え、無事合格通知をもらい卒業しました。
卒業式後は、部活で集まっている人のなか母と二人で帰ったのを覚えています。正直高校3年間は辛かったけど、これからの人生はもっと長いからこの3年間逆に良い思いをした人よりも良い時間(人生)を送ろうと門を出たのを覚えています。(どこまでも負けず嫌い・・・笑)

そんなこんなで、バスケットボールで良い思いも辛い思いをさせてもらって、多感な時期を過ごせました。当時は辛いことの方が多かったですが今となっては、あの時期があるから何でも頑張れるし辛い人の気持ちがわかるようになったと思います。

家族にもたくさん迷惑かけたなと思いますが、我が子が何かしたい!辞めたい!となった時は、してもらったように全力で応援したいと思っています。
そんな子育てに奮闘する姿を両親に見せることも一つの恩返しなのかなとも思っています。

高校生って本当に多感な時期ですよね。ひとりひとりドラマがあるんだろうなと思いながら文字を起こしてきました。いろんな人の話をききたいな。笑

明日は、大学生活について書きたいとおもいます。
なんでもない、記事をここまで読んでいただいた方に感謝します。
では。



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