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気仙沼大島で聞いたお話を元に漫画を描いています。keiが取材をしeriが漫画を描く二人…

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気仙沼大島で聞いたお話を元に漫画を描いています。keiが取材をしeriが漫画を描く二人三脚でやっています!

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目次のようなもの。読む順番まとめ(随時変更予定)

こんにちは。気仙沼大島の震災後のエピソードを漫画にしているeriとkeiです。先日ここを覗いた方から「何から読めばいいのかが分からない!」と言われたので目次的なものを作ります。 そもそも「漫画を描くなら震災時〜震災直後のエピソードから描くべきでは?」とか悩んでいる間に数年が過ぎたので、開き直って、描けたものからアップしていく!という不親切&準備不足スタイルでやっている私たち。 本当はどこから読んでもいいつもりでもあるのですが、分かりづらい部分もあると思うので、参考になればと。

    • 【漫画】被災者だと気づかれずに…タレント来島エピソード

      震災で孤立した気仙沼大島。外からの助けがなかったことから島の人自らが動いた大島では、その後フェリーが再開したあとも、ボランティアの受け入れ役を被災した人々が担い続けました。 時には有名人の来島で、スタッフ的な役割をこなすことも。「被災者」をもてなすイベントで、しかし彼らは「裏方さん」としてしかみられないことも多かったと聞きました。 どこか、もやっとしながらも、でも、やっぱりみんな有名人の来島はうれしそうでもありました。そんな被災当時の小話も、のちに笑い話として語ってくれたエ

      • 【漫画】被災後初の湯船!○○を隠し持って向かった男たちの話

         2011年夏に訪れた気仙沼大島で、なんどか聞いたのが被災後のお風呂にまつわるエピソードです。震災で海底管が破損し、長きにわたり断水が続いた大島。水道の復旧まで、湧き水やプールの水をろ過してしのいでいたため、長く体を拭くだけで過ごしていた人も多かったようです。そのぶんシャワーやお風呂に入れると聞いた時の喜びは大きく、お風呂のことを語る人が多かったのだと思います。  島民の足であったフェリーは桟橋ごと陸に打ち上げられ、島の周囲をがれきに覆われ、他の地域のように避難所にお風呂を

        • 【漫画】やったシャワーだ!被災後の離島にシャワーがやってきた!

          この漫画を描いているeriとkeiが気仙沼大島に出会ったのは、2011年の夏。 その頃、私たちが出会った地元の人たちから聞いた話は、被災後の混沌とした状況の中での「ちょっとした笑い話」が多かったような気がします。 今振り返ると、なにかしらの緊張感を持って「被災地」に来た人たち(我々)を、そうやって笑わせようと気遣ってくれていたんですね。 本当に大変なことがたくさんあった中、いろんなことを笑い話にできる姿をすごいなあと思ったものですが、頑張って笑っていたのかもしれないなと今で

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        目次のようなもの。読む順番まとめ(随時変更予定)

        • 【漫画】被災者だと気づかれずに…タレント来島エピソード

        • 【漫画】被災後初の湯船!○○を隠し持って向かった男たちの話

        • 【漫画】やったシャワーだ!被災後の離島にシャワーがやってきた!

          【漫画】 そこは瓦礫の山?誰かの家? 他人の敷地にあった食べ物や貴重品をめぐって。

          震災後の気仙沼大島では、3月17日に火災が鎮火して、ようやく行方不明者の捜索が始まりました。しかし混沌とした状況下、様々な行き違いやトラブルも生じたのだそう。 津波に流された家屋、家財道具、車、津波堆積物等々の廃棄物は「瓦礫(がれき)」と呼ばれています。 「被災家屋」は、赤の他人から見ると瓦礫。でも、被災した人々にとっては家の形がなくなっていても、自分自身の財産であり、思いのある場所。そこを捜索した時のお話です。 この時期は、他の被災地域でも大小のトラブルが発生していまし

          【漫画】 そこは瓦礫の山?誰かの家? 他人の敷地にあった食べ物や貴重品をめぐって。

          【漫画】ようやく始まった捜索活動 孤立した島で動いた人たち

          孤立をする、ということは、自分たちで何ができるのかをその都度考えることの連続だということを、お話を聞いて知りました。 震災後、フェリーを流され孤立した気仙沼大島。行方不明者の捜索活動に取り掛かることができたのは、山火事が鎮火してから。震災から1週間以上が経過していました。 支援も情報もほとんど入ってこない中、何が起きているのか、今何が必要なのか、ひとつひとつ何ができるか考えながら動いたそう。 火災の消火活動に奔走したのも、行方不明者の捜索に動いたのも、島民有志。混沌とした

          【漫画】ようやく始まった捜索活動 孤立した島で動いた人たち

          【漫画】涙が出たのは1週間後。その涙を見せないように、目を乾かした。

          東日本大震災のとき、津波で船を失い孤立した気仙沼大島では、直後に発生した火災の消火活動にも島の人たちが奔走しました。山の下草についた火は、消してもまたじわじわと燃え広がるしぶとい炎で、夜になると赤く炎が浮かび上がるため、また山へと駆けていく。消火に当たった人たちは、ほとんど寝ない状態が続き、道端でぐったりと突っぷす人もいるほどの疲労困憊状態だったそうです。 ようやく鎮火したのが3月17日。火が消えてホッとした時、ずっと探しに行けていなかった行方不明の家族のことを思った、という

          【漫画】涙が出たのは1週間後。その涙を見せないように、目を乾かした。

          【漫画】孤立した島の命綱となった船

          東日本大震災の時、津波で孤立した気仙沼大島の命綱となったのが、津波をかろうじて生き延びた小船。1970年から50年に渡り大島と本土をつないでいた臨時船です。 本土と島の往復を始めたのは、震災の2日後、まだ余震や津波への不安があり、がれきが漂う時期。この土地の海をよく知る人だからこそ、目印がなにもなくなった海を航行していても、どこを通ると危険か、どこを通った方が良いか、長年の経験から推測することができたそうです。 船の方にうかがった、海の上でのお話。 混乱する状況の中、病人

          【漫画】孤立した島の命綱となった船

          【漫画】島を目指した取材陣も十人十色

          津波の数日後、生き残った船が気仙沼大島と本土側の往復を始めました。 広域に渡る災害で、どこで何が起きているのか、地元の人も外の人も分からない混乱した状況の中、東北各地に取材の人たちもやってきました。 その中には、いい人たちも、そうでもない人たちも、いたようです。

          【漫画】島を目指した取材陣も十人十色

          【漫画】船が動いた!みんなにおがまれた!

          震災が発生した2011年3月11日は平日。 当時まだ橋がかかっていなかった気仙沼大島。 仕事のある若手は船で気仙沼市街地に渡っていて、島に当初残っていたのは高齢者や女性、子供がほとんどでした。 大島と気仙沼本土を、生き残った船で往復し始めた時。同じように被災しながら、みんな一緒に、孤立した大島のことを心配してくれたそうです。

          【漫画】船が動いた!みんなにおがまれた!

          新しい話を作り始めました。 話の中で強調したい部分をどう表現すれば良いか?お互いアイデアをLINEや電話で伝え合って、形にしております。 出来上がったら投稿するので、見てご感想などもいただけると嬉しいです!

          新しい話を作り始めました。 話の中で強調したい部分をどう表現すれば良いか?お互いアイデアをLINEや電話で伝え合って、形にしております。 出来上がったら投稿するので、見てご感想などもいただけると嬉しいです!

          eri と kei へのご依頼について

          私たちはまだ漫画活動を始めたばかりです。 そんな私たちですが、ご依頼があればぜひご連絡ください。eritokei.manga@gmail.com 主に eri へのイラスト依頼、大歓迎です。 気仙沼大島に関する漫画は全て keiの取材をもとに、eri が描いています。 いろんなことに不慣れなので、ご依頼に答えられるかどうかご要望ごとに、相談したいと思います。(eriのページの漫画はeriのオリジナルです) 気仙沼大島の震災や震災後に関するエピソード、震災にかかわらず地域の

          eri と kei へのご依頼について

          【漫画】 地元の人がボランティアを受け入れるということ 気仙沼大島

          気仙沼大島の震災後のお話を漫画にしています。 震災当時、橋がかかっていなかった気仙沼大島。津波で移動手段であるフェリーを流され長期にわたり孤立した大島では、震災直後から島の人たちが火災の鎮火、遺体捜索、物資の運搬と奔走しました。そして、夏が訪れる頃には、ボランティアの受け入れも島の人たちが担うように。 被災しながらもそのような役割まで担うことになり、戸惑い、混乱しながらも、島をきれいにしたいと駆け回る彼ら。いつもその姿をそっと見守っていたのは、長期ボランティアの人たちでした

          【漫画】 地元の人がボランティアを受け入れるということ 気仙沼大島

          【漫画】 「善意」って何だろう。被災地のドタバタ

          気仙沼大島の震災後のお話を漫画にしています。 多くの「善意」が寄せられた被災地。でも、その善意にかき乱されることもしばしばあったのだとか。 島の周囲に多くの瓦礫が浮かび、大型船が入れなかった大島には自衛隊のお風呂支援などが来るのも他の地域より随分遅かったようです。 そんな中、お風呂を支援してくれるという人たちがやってきたのですが......。島の人から聞いた「珍道中」エピソードのひとつ、お風呂編。 漫画を描き始めた経緯はこちら!

          【漫画】 「善意」って何だろう。被災地のドタバタ

          【漫画】 孤立した島民が向き合った火災 気仙沼大島

          気仙沼大島の震災後のお話を漫画にしています。 2011年3月11日、気仙沼を襲った津波は家屋や船舶燃料用のタンクをなぎ倒し重油と瓦礫が海に広がりました。本来燃えにくいはずの重油。しかし大量の瓦礫や陸での火災、風など様々な条件が重なり重油に引火し、大規模な海上火災が発生します。 文字通りの「火の海」が押し波引き波に流され燃え広がる中、災は離島、気仙沼大島にも広がりました。 フェリーを流され、停電し、情報もなく、外からの助けもこない中、気仙沼大島の住民らは島まるごと焼き尽くされ

          【漫画】 孤立した島民が向き合った火災 気仙沼大島

          【漫画】被災地には、いい人もそうでもない人もやってくる

          震災後、多くのボランティアが来た気仙沼大島。でも、いい人ばかりでもなかったそうで、中には混乱に便乗する人たちも、、、 漫画を描き始めた経緯はこちら!

          【漫画】被災地には、いい人もそうでもない人もやってくる