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【受験国語の合格note】1.国語って勉強する意味あるの?

「国語って、人の数だけ答えがあるよね」

私が「国語講師をしている」と自己紹介すると
かなりの頻度で言われたのがこの言葉でした。
また、これに続けられたのが

「だから、勉強しても意味ないよね」

という言葉です。

いや、私はそれを教えるのが生業なんだが…と
言いたくなる気持ちをぐっと押さえながら、
いつも曖昧に笑って
会話を終わらせていました。

「国語は、数学などと違って正解がない」

でも、これって本当でしょうか?
また、正解がないからと言って
国語を勉強する意味はないのでしょうか?

・   ・ ・

私は人生の半分以上を
受験国語を教えるプロの講師として
生きてきました。

志望校への合格を手にできるよう
たくさんの生徒たちを指導してきました。
もちろん、主に
「受験国語」を通しての関わりでしたが
私の大切な生徒たちは
自分の志望校へ
あるいは、行けば都な学校へ
進学していきました。

国語を教えるのではなく
国語で教える。

私の指導方針はこれだけでした。
国語で何を教えるのかは
またおいおい明らかにしていきます。

そして、そんな私の経歴や実績は
こちらの記事に詳しく書いています。

さて、そんな私が
■国語には正解がない?
■国語は勉強する意味がない?
という二つの疑問に答えるならば、もちろん。

■国語には正解がある
■国語を勉強する意味はある

となります。
この記事ではこのことについて詳しく
理由も含めて書いていきます。

そのため、この記事を読むことで分かるのは

・国語の「正解」とは何か
・国語を勉強する意味とは何か

この二つのことです。
そして、読むと
「国語の勉強って楽しいかも」と
ふんわり思えるようになります…おそらく(笑)

また、国語に限らず「勉強」することに
少し疲れてしまっている人にもおススメです。

肩の力を抜いて。
また、「勉強!」って意識は
ひとまず脇によけて。
のほほんっと読んでみてください。

■国語に正解はないのか

さて、「国語には正解はない」と
わりとたくさんの人が思っている件について。

国語が苦手であった人ほど
これを大同小異で唱える傾向がありますが
それはそれとして(笑)

この「国語に正解はない」って
ある面ではタダシイんです。

どういうことか。

たとえば、ここに
国語の文章があったとします。
今、それを各自が読みます。
その場面を想像してください。

するとね。

文章を読んで、
「感じたこと」「考えたこと」は
各自異なります。
哀しかったり、切なかったり。
楽しかったり、嬉しかったり。

以前、書いたことがありますが
とあるミュージカルを
友人と観に行ったときのこと。

同じモノを観ている筈なのに
友人は号泣して、
その隣で私は超冷静なままでいたんです。
そんな私を見て激高した友人は
「あんた、人間じゃない!」と
まさかの「種」から否定してきましたが(笑)

それと一緒。

読んで感じたこと、考えたこと、
あるいは、連想したことは
人それぞれ異なります。
それはフツーのことであり、
だから、そこに「正解」はありません。

もしかすると、
「国語に、正解ってないよね」と
おっしゃる方は
この「感想」と「読解」を
ごっちゃにしているんではないでしょうか。

うん。

私自身は読書によって得られた
「感想」「連想」「思考」は
「人の数だけある」し、
そこに「正解」はない
と思っています。
どう感じようと、何を連想しようと
それはその人の思考に許されている自由です。

でもね。

それと「国語の読解」で「正解」することは
まったく違う
んです。

んじゃ、「読解」ってのはどういうことか。
次はそのあたりを掘っていきましょう。

■国語の読解とは何か

「読解」って「読んで解く」って書きますよね。
これをもっとバラすと
「文章を読んで、問題を解く」ってなります。

何を当たり前のことを言っているんだと
思われそうですが(笑)

でも、存外
このシンプルなことができずに
国語の点数を落としている生徒さんが
めちゃくちゃ多いんです。

例えば。

「次の文章を読んで」と言われたとき
「ちゃんと」読めているか。

この「ちゃんと」というのは。

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