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【信長公探訪記】ふたつの本能寺

天正10年(1582年)6月2日未明、京都本能寺において織田信長公は明智光秀による謀反に遭い、その未来を突然に断ち切られます。本能寺の変です。

7月の終わりに、大河ドラマ『どうする家康』でも1話をかけて描写されました。あの有名な台詞「是非もなし」や敦盛といった定番の劇的要素を入れずに描いたことで、かえって、より印象に残るドラマになっていたのではないでしょうか。

さて。

その現場となった「本能寺」は、現在、京都市中京区寺町通にあります。ですが、これは信長公逝去後、豊臣秀吉公の都市計画により移転を命じられ建てられた場所です。もともとの本能寺は、四条西洞院にあったのです。

そこは四町四方の広大な寺域を誇っていました。そして、私たちが現在想像する「寺」とはわりとかけ離れた、ある程度、城塞化された場所でもあったのです。

信長公は、京都に城を建てることはありませんでした。

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