幸せのおかず
ほっかほかの白ご飯に、おかずを一つだけ選べと言われたら、私は真っ先に明太子を選ぶ。
明太子って、なんであんなにも美味しいのだろう。明太子があれば、私は白ご飯を何杯でもお代わりできそうだ。
私にとって、白ご飯に明太子がダントツ1位なのだ。
日常を過ごす上で、白ご飯が私だとして、何がトッピングされたら白ご飯の私は喜ぶのか考えてみた。
まず、私は日本人のくせに白ご飯をあまり食べない。
朝御飯は腹持ちの良いそれを選ぶが、さほど白ご飯にウキウキとすることがない。
昼御飯は休日の日は食べない。職場では、介護職という体力仕事なので、何か栄養のあるものを食べておく。夕飯は、焼酎を飲みたいので、白ご飯を食べることはない。
つまり、私にとって白ご飯は、単体ではとても寂しくてつまらないものなのだ。
白ご飯には、何かしらのおかずと言う名のスパイスが欲しいと思っている。
そのおかずが、白ご飯の私にとって日常の幸せだと考える。
今日、私は祝日だが人手が足りなくて出勤することにした。
「かなさんいないと回らない~!」
「じゃあ、出勤しようかな?」
「え? 来てくれるんですか? 安心する~」
同僚たちのそんな幸せスパイスの言葉を貰ってしまうと、そりゃあ契約書が土日祝日休みでも行きたいと思ってしまう私がいるのだ。
もしかして、それは同僚たちの手のひらで転がされている私なのかもしれないが、だとしたら私の職場には、どれだけのアカデミー賞受賞レベルの役者がいることだろう。
それは本心だと素直に受け止めてしまう方が幸せだ。
そして、その同僚達の言葉は、私にとって白ご飯の幸せなおかずとなるのだ。
味気ない白ご飯の私という日常を、美味しく幸せにしてくれる喜びの言葉に、
「ありがとうございます! 恐縮です!」
を100回叫びたいほどに幸せになるのだ。
でも、その言葉だけでは白ご飯のおかずとして明太子レベルには達しない。
白ご飯に、この前残ったうなぎのタレをかけるレベルだ。
私は図々しくて貪欲な人間だとつくづく思う。うなぎのタレ呼ばわりしてしまい、本当に申し訳ない。
髪型を変えたとき、
「良い感じじゃん、かわいいよ」
は、白ご飯に梅干しレベル。
「かなさんさすが! 頭いい~、仕事できる~」
は、白ご飯に納豆レベルだ。
じゃあ、私の明太子レベルは一体何なのかと考える。
なかなかしっくりくる明太子レベルが思い浮かばない。
私はなんていう贅沢な人間なんだろう。
米の質を上げることにもっと努力をすればいいものを、質の悪い米だから、もっと、もっと、もっとちょうだい! などと愛の言葉を浴びたがるのか・・・。
ああ、なんという浅ましい人間なんだろう。
安い白ご飯にうなぎ無しのうなぎのタレだけで幸せを感じられる自分であれば、とても幸福度が高くなるんじゃないのか。
そう、うなぎ無しのうなぎのタレのみで充分幸せなことじゃないか・・・!
そう思いつつも、貪欲な私は思ってしまう。
明太子レベルのおかずを下さい! と。
そして、そのおかず探しの旅が今日ゴールを迎えた。
職場にて、認知症の利用者様が、私が出勤して私の顔を見るなり瞳を輝かせ、
「あんたか~。待ってたよ~。あんたがいないと寂しかったよ~」
と、いつも「初めまして」と挨拶をしてくるおばあちゃんが、そんな嬉しい事を言って私の手を握りしめてきたのだ。
そのおばあちゃんは、私と他の身内の方とを勘違いしているのかもしれないが、私は嬉しくて仕方がなかったのだ。
来た~! 明太子レベル! いただきます!
私は、おばあちゃんの小さな手を優しく握り返し、
「今日は、ご飯がとっても美味しくなるわ。ありがとう!」
と微笑んだ。
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