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流れ藻 4. たどりつく

4. たどりつく 汽車はチチハルに至り、やはりチチハルに降ろされた。 長い旅を終わった解放感でホームに並んで足元に荷を置いた。 一瞬ヤレヤレとした気持ちを吹き飛ばすようにサイレンがうなり、空襲を告げた。 時間は分からない、夜だった。ホームでの急な措置に迷っていたら、スピーカーが、うまく誘導してくれて、荷物はそのまま、線路をこえる、そしてまっすぐ、とスピーカーにつれられて駅内に入ってギョッとした。 (とっくに戦争ははるかブへトに残して来たつもりでいたのに) 構

    • 流れ藻 3. 逃げる

      3. 逃げる 出発用意の出来た私達一同に加えて、杉野夫人が年長でもあり、リーダーとして旅立つ事になり、社宅中庭に集結した。 それ迄は学童集団編入の手配をしているとかで別行動を望んでいた笠井家族もうまく運ばなかったものか、行動を共にする事となった。 従ってそれに誘われていた松岡文子(注: 操子の姉。仮名)も同じて、私にとって、この非常時に至って只一人の肉親の姉と共に旅するだけでも他の人より心強い筈であったが、それ迄会社側二人の男性はなにをされていたのか一向にわからなかった。

      • 流れ藻 2. 壕

        2. 壕 全く馬鹿な、凡そおろかな、数日をそのときには、ただ必死の思いで致し方ない日々を真剣に過ごしていたのだ。するべき事がもっと他にあった筈の私達はただおびえ、おののいて、その穴蔵にしがみついていた。 一面街の郵政局で貯金を引き出し、有価証券を換金すると云う知恵も出ぬうちに局は閉鎖されていた。野ざらしで ポカンとしていた一日にこれらの手配をするべきだったのに。 壕の生活は裸の心をむき出しにした女族のみにくい蠢(うご)めきにすぎなかった。 隣組での訓練をうけたこんな日

        • 流れ藻 1. 博克図から

          私の祖母室賀操子(むろがみさこ)が1945年8月のソ満開戦の混乱を逃れ、旧満洲・博克図(ブヘト)※から祖国日本へ帰国するまでの流転の日々を綴った回想録です。 ※博克図(ブヘト)の位置Manchukuo_Railmap_jp.gif (1089×1308) (wikimedia.org) wikipediaより 殺戮・病死など残酷な描写、差別的な表現、誤字等が含まれていますが、ほぼ原文のまま掲載しています。祖母以外の実在の登場人物の名前はすべて仮名です。 流れ藻 ~

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