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流れ藻 11. 地獄のとき 〜四、五人目の死者〜

11. 地獄のとき 〜四、五人目の死者〜

続いて、大塚啓子ちゃんの危機が迫った。

腸炎の二才児はメチャメチャに物をたべたがる。餓鬼道におちた様に欲しがった。

啓子ちゃんの父母は饅頭を、パンを、 チエンピン(栗流し焼き)を買って、欲しがるままに与えた。 そのために死期を速めていた。

タヌキの腹とそっくりに膨れてしまったお腹。手足も、 顔も、ただ皮の張りついた骸骨となって、大きなパンをかじっていた。

流動食を、リンゴ汁をとすすめても、その父母は喧嘩腰で、

「私の子に、私が買って食べさせるのに、何が悪い」

と無知だった。

あと幾ばくも生きられないだろう啓子ちゃんにと、私達でリンゴを買ってきた。それは一個百円もした。(百円あれ ば大人が幾日かたべられた。)

少しづつ摺って呑ませてあげたら奇跡がみられそうな気がしたが、

「啓子食べないの」

と父母がガリガリかじって食べた。


その内啓子ちゃんは水もうけつけなくなり、母はあわててお薬買いにと出て、大福餅を見つけて帰ってきた。

「うまそうだったんですもの」

この母親の食欲は異常で、今死のうとする子の前で食べ 続ける。考えられない旺盛さであった。

  啓子ちゃんは死んだ

啓子啓子と呼びかけていた啓子の父母は死児を抱いて夜通し呼びかけ、語りかけていた。そうしては何かたべていた。

私達はいくらもない小銭を出し合って、パンと菓子を供えて避難民の通夜とした。

  四人目の死者となる。



そのかたえで、林田淑子ちゃんの様子も変わっていった。

次に室賀の良子ちゃんだと皆に危ぶまれる程、良子も重体となった。

淑子ちゃんは四才児にもなっていたので瀕死の衰弱なのに、その母にはそうは思えぬらしくて、厳しく
「おしっこ位一人でできるでしょ」
と叱りつけた。

抱いていってあげなさいとすすめても、弟の貴史ちゃんにかまけて、トイレの世話など余計事として淑子ちゃんはかえりみられなかった。

いよいよとなると、小脇に引っ提げてトイレで邪険に子突きまわされ、パンパンたたかれていた。

淑子ちゃんと云う子は歩ければ歩く気心の子なのだから、どうにも自分で歩けなくて母にせがんで、叱られて、その日死んでしまった。

黒いビロードの女児服、白いソックス、死衣装の淑子ちゃんは青い綺麗な安らいだ死に顔だった。

引き続きの通夜となった。

林田夫人は、大塚啓子ちゃんの時よりお供えが少ないなどと云ってむくれていたが、その後で

「淑子、母さんにも食べさせてね」

と供えた菓子をこの若い母も食べたのだった。

   五人目の天使天上す。

(12.「地獄のとき 〜六、七人目の死者〜」に続く)

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