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流れ藻 9. おさなご昇天

9. おさなご昇天

佐藤家次男、誠ちゃんは二才児で、ヒーヒーと終日を泣くだけになっていた。そのたびに、母親はお尻をひっぱたいた。

叱られて止められる泣き声ではなかった。

おさな子のうめきなのだ。悲鳴なのだ。こらえても出る笛の様な音なのだが…  

もう頬には失調の紫疹が、幾つも幾つもかさぶたとなっていた。

泣けばそこがひび割れて血が滲んだ。

それでも、 ぶたれた。

佐藤夫人は軍国の母の心根で鍛えねばと云う方針なのだったが、幼児の顔には表情も無くなっていた。

泣いても、 笑っても皮膚がしわとなって片寄るにすぎない。

目ばかりの顔だった。

その目も瞬かず泪をたらしていた。 死期が近づいていたのだ。

終日ヒーヒー泣いて、夜に入 って、

「オブーオブー」

と細く水をせがみ泣いた。

あまりの哀れ、痛ましさに、谷岡夫人と一緒に

「お水呑ませてあげて」

と頼んだが断られた。

「この子はね、甘えているんです。しつけですからね。放って置いて下さい。
お水なんてものは、一度遣ると又欲しくなるもんです。お漏らしするだけ。濡らしたってもう着せ替えもありもしない。
貴女方で洗って、干して、着せてくれると云うんですか」

ああ、誠ちゃんは夜通しお水を乞うた。耳につらくて、誰も眠れなかった。

明け方に泣き声が弱くなり、いつか静かになった。

その朝見た誠ちゃんはポカッと両眼を見開いて息絶えていた。

    二人目の死者を出した

口を一文字にしめて、泪もためず、佐藤夫人は死児の側 (かたえ)で小さな三角の布を縫っていた。

(12.「地獄のとき」に続く)

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