愛する、ということ。
いつしか、結婚式は
私にとって誰かの人生を増幅させる
スピーカーのような役割を果たすようになった。
この一年半くらいの間に
今までまだ見えていなかったその深さを知り
美しさを理解していくのと同時に
重みや痛みにも触れることにもなったのだけれど。
今から20年前、
私のプランナーとしての出自は本当に恵まれていて
感覚とタイミングで選び取った就職先には
本物の建築と、本物のデザインと、本物の音楽と、
あらゆる本物のクリエイティブがあった。
おそらく、結婚式が大量に生まれ
消費され尽くされた時代。
人がその理由を深く考えることなく、
当たり前のものとして実施していた時代に。
今ではきっともう動かすことは難しい
多額の資金と
潤沢な本物のアンティーク家具やヨーロッパからの輸入品。
社長の方針は
『僕が創ったものは、結婚式場じゃない。
英国のマナーハウス(貴族の邸宅)だ。』
そこに一切のブレはなく、妥協することなく
信念を貫いていた。
それはハード(建物)のみならず
ソフト(クリエイター達)にまで徹底されていて
例えば、選ぶのに悩むほど取り揃えられた
インポートシルクドレスや
アンティークジュエリー、
英国人のフォトグラファー
(NYタイムスの外部フォトグラファーだった)や
書籍を出版するほどのフラワーアーティスト。
週末の仕事のために
都内からやってくる一流のミュージシャン、
専属スタッフとして鍛え上げられたMCやPA。
厳しい時代に感性とスキルを
叩き上げられた美容師たち。
もちろん、自社シェフが生み出す
ため息が出るように美しいローストビーフや
壁紙の一枚から、
床に敷かれた大理石から、
庭に植えられたオークの樹まで余すところなく
イギリスに徹底されていて。
その功績が評価され
オーナーは本国の、今は亡きエリザベス女王の
園遊会にも招かれ奥様と渡英した。
嘘みたいな本当の話。
そんな信念と愛のある空間で、
時代の利便性とともに
昭和の名残から少しずつ変化していった
平成の結婚式の中、
私は新人として生きていた。
ただがむしゃらに。
美的な感覚だけは自動的に刷り込まれ、
失敗や苦労もたくさんしながらも
とにかく昨日の自分より
1ミリでも上回ることをだけを意識して
会社員であることこそ
人生の流れに任せて卒業したけれど、
気がついたらプランナーとして生きて
19年目を迎えていた。
気づかぬうちに『本物』を嗅ぎ分ける
嗅覚だけ鋭くなって。
ただ、その本質についての言語化はできない。
年だけ重ねただけで思考はまるで幼な子のままだった。
そんな私の黎明期全てを
終えて出会った人がいる。
フリーウエディングキャプテンの唐木裕介さん。
『キャプテン』という立ち位置を
結婚式のクリエイティブの
ど真ん中に据えている人。
そして、結婚式への愛の深さが
自分より上回っているのかもしれないと
初めて思わされた人です。
当時の私は、ほとんど完成していた
自分の結婚式のスタイルに何か一つだけ
欠けているものを探していたように思う。
それが一体何なのか、わからなくて。
もちろん
一定以上のクオリティは担保できている。
結婚式はそこにあるだけで美しいし、
ほんの少しでも手や気を抜いたことはない。
いつだって全力で向き合ってきたし
自分の全てを捧げてきた。
たくさんの温かな時間を創り上げてきた。
だけど。
核というか、芯というか。
自分が創る結婚式の真ん中にもう一つ、
何か入れられる隙間があるような気がして。
それは『キャプテン』という
ポジションの役割を、
また『想いを体現する』ということを
きちんと理解できていなかったからなのだ
ということを彼が気づかせてくれました。
キャプテンの仕事は結婚式という空間で、
すべての統括をするひと。
場の雰囲気や温度を感じながら
采配を振っていく役割です。
指示する先は、MC、PA、
サービススタッフやアテンダーなど。
プランナーがプロデューサーなら
キャプテンはディレクター。
実際に遂行していくことが本質的な仕事。
しかも、ライブで、刹那に、
美しく、温かく。
きっちりと目に見え、
心で感じることができる形として体現し
それを深く人々の心の奥にまで
優しく届けていく。
正直、彼と出会うまで
自分にも兼任できていると思っていた。
というか、フリープランナーなら
キャプテンもやることが当然だと言われたし。
だけど、やっている割に、すごく下手だった。
理想と全然違う。
イメージはできるのに、形にならない。
良いところまでは行ってるけど、
理想の場所まで届けきれているのか解らない。
手応えを感じられないというか、正解がわからない。
そんな感じ。
それを彼はこの一年半で
見事に私に体現してみせた。
今でこそ、お互い忙しくなり
そんなに話し込むことも無くなったけれど
出会った当時はよく真夜中まで結婚式の話をし
お互いの感性を交換し合っていて。
大切にしていること。
視点。
感度。
結婚式を創る、ということ。
愛する、ということ。
話を聴いてわかったことは
プランナーの創るとキャプテンの創るは
別のものだったということ。
全て違うわけじゃない。
重なり合う部分もあるけれど
役割は同じではなくて。
一つの月のこちら側とあちら側を
反対方向から見ているような感覚。
太陽と地球があるから
結婚式は陰影を帯びて、
立体的に、情緒的になる。
ケーキカットという定番演出がありますね。
彼と出会った頃、ケーキカットに対して私は、
時代を超えてリピートされながらも
どこか形骸化している実情に疑問を抱き、
何年もその答えを探していたのだけど。
彼も『僕も考えたことがなかった。
一緒に考えましょう。』と提案してくれた。
そしてそれについて
複数人でセッションしている最中、
彼は見事に言い当てた。
『そうか。心を繋ぐのだ』と。
そのシーンに、どんな想いを乗せて
未来に届けるべきなのか、
それをお客様から引き出し
プランナーからキャプテンにリレーしてほしい。
その想いをゲストの心に、二人の未来に
深く届けることが
ケーキカットの存在意義なのではないか、
僕は必ず届けてみせる、と。
(詳しくはこちらのnoteをご参照ください。)
その時、
私はガツンと頭を殴られたような気がしました。
これだ、と思った。
私がずっと喪失感を感じていたもの。
それは、『繊細で確かな体現力』だ、と。
ケーキカットは、単なる点の演出じゃない。
線の一部、その日の一部、
人生の一部。
私はその瞬間まで想いを描く、脚本を書く。
キャプテンはその想いが届くように
演出をする。
その後、はじめて一緒に立った現場で
彼は見事に美しいケーキカットを
共創してくれた。
私が引き出して預けたお二人やご家族の想い。
彼が受け取って届けたお二人やご家族の想い。
おそらく、
両者を持ち合わせているプランナーさんも
きっとたくさんいらっしゃるのだろうと思う。
だけど、私にはなかった。
そして、彼にはある。
私は設計のプロで、彼は体現のプロ。
それぞれの本質を突き詰めていくと
仕事は細分化されていく。
だから、この人にかけてみようと思った。
私が創る『ERISAEKIWedding』の
圧倒的で繊細な最終のクリエイティブを。
後に彼は、私が大切にしてきた『音楽人前結婚式』にも
真剣に向き合ってくれました。
正直、活動エリアは群馬と香川。
叶えることは容易なことじゃない。
結婚式は遊びじゃない。
費用だってかかる。
だけど私のお客さまたちは
私を信じてくれて
彼の必要性を信じてくれているように思う。
私が不完全なプランナーであることも。
それでも何かに共鳴し感じ取ってくれて。
結婚式を単なるイベントではなく
人生のこととして
一緒に創りたいという私の心を
よく理解してくださっている。
とても恵まれた
ウエディングプランナーだと思う。
そして、今では彼に
当日会うことを楽しみにしてくれている
お二人やご家族様までいてくださる。
私も両者が会えて
嬉しそうにしている様子を見るのは嬉しい。
いつか彼に言ったことがある。
『私(プランナー)
のための結婚式は創らないで。
冷静に俯瞰で見て、
私の意志に反してでも
お客様のためだけの結婚式を創ってほしい。』と。
でも彼は言った。
『もちろんそうするけれど
僕は、あなたのためにも創ります。
それは、お客様の想いを
一番背負ってきた人だから。』
人間は心が複雑になり
言葉を手に入れた分だけ
弱く脆くなったのではないかと思っている。
野生を無くし、感情を得た。
何かを手に入れるためには
失うものもある。
特に私は、私をよく知る人はわかると思うけれど
本当に弱いのだと思う。
親にも何度も『強くなれ』と言われた。
その度に自分の弱さを
心に刻み続けたのかもしれないけれど。
先日、富山で初めて二人で
同時登壇するという講演会を行なった。
私たちが立ち上げた
プランナーとキャプテンによる
人材育成&施行改善コンサルティングサービス、
『B buddy consulting』として
いただいたご依頼。
結婚式を共創するように、
セミナーで言葉に心を乗せて一緒に届ける、
ということをしたのだけど。
これまで何度もセミナーに登壇した私ですら
初めてのことだったけど
終わった後、何人か涙をこぼしながら
私たちに質問をぶつけてくれた。
私たちの在り方、言葉に
感情が揺さぶられていて、
その心は何かのエネルギーを放出し続けていた。
彼女たちの涙の理由は何だったのか。
もちろん
それぞれに答えは違うのだと思うけれど
それでも何か足りないものに気づいていながらも
それが何か見つけられなかった
あの頃の私に想いを馳せると
少しだけ解るような気がした。
結婚式に向き合うお二人も
ご家族も
全く同じ。
愛という得体の知れないものに
揺さぶられ
感情を放出したり飲み込んだり
でもその揺らぎがきっと
人間らしさでもあるのだと思う。
人が人であるために。
人が人のための仕事をするために。
今、思うこと。
人は古代ギリシャから
細分化された8種類の愛で、
周りの人々と
本当の意味で
愛し愛されること、
つまり心をシェアしあうことで感性を育み
滅びずに生き続けていられている。
愛には優しいもの、甘いものもあれば
強いもの、鋭いもの、
そして時に苦しいものや苦いものもある。
そして、結婚式という空間は
人々が持ち寄った
そのさまざまな種類の愛が
集まり入り混じってはじめて
真の姿を現すのではないだろうか。
どれだけの人が気づいているかは不明だが
バブルが崩壊したあたりからきっと
結婚式の真価は世の中から問われ続けている。
私たち事業者がその答えを
消費者に示せる場所はただ一つ。
結婚式当日の『現場』でしかないと思うし
彼はそれにいち早く気づき、
その未来を信じて現場に向き合い
美しさを磨き、愛を交差させ
人々に届けるために何かを削って闘っている。
そして私は、結婚式という空間は確かに
人間の愛が感じられる尊い場所だということを
示し、それがある未来を
選択してくださった方々の人生を
温めることができるものに昇華させるために
やっぱり何かを削って生み出している。
結婚式を愛する、ということ。
これからも美しい時間を
可能な限り共創して行きたいなと思っています。
私たちのどちらかが
全てなくなるその日まで。