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作家vsライター

英語では文章を書く人を一括りにして、ライターと呼ぶ。日本語の場合はそれが違うということをついこの間学んだのである。

日本人的な定義をすると主観的観点から物を書く人たちを『作家』と呼び、客観的観点から物を書く人たちを『ライター』と呼ぶらしい。この違いを区別することに何の意味があるのか。

一昔前までは、物書きで金を稼ぐのは難しいとされた
私の場合、「執筆しても自分が名乗り出れる作家としてなるまでは何年もかかるだろうし、生涯売れないのかもしれない」と両親に脅された。彼等がこういうのも仕方ない。何故かというと物書きをする人たちの中でも『売れない作家』たちが山ほどあるというイメージが大きいから。わたしの将来に関して心配してくれたのか、物書きを仕事になんてするななんて言われたのだ。

その反面、コピーライターになることは推奨された
広告業界にいてわかるが、モノやサービスを売れる術を持っているのであればどの会社も多額の投資をしても惜しまない。人の心に刺さるようなキャッチフレーズを残してブランドの存在を知ってもらうことだけでも、ものすごい価値のあるスキルだ。というのもあって、物書きをしたいのであればコピーライティングの勉強でもしておけと言われたのだった。

主観的観点と客観的観点で見えてくる違う世界
よくコンテンツクリエイターを見ているとみなほぼ同じように口を並べて言うのが、「自分が作っているものが今までは自分のものでしかなかったのに、観客が増えれば増えるほど、自分のコンテンツは観客のものになっていく」という自分のコンテンツが自分自身の作品として捉えていたのに、今ではオーディエンスの趣向に合わせて作品が作り上げられているということだ。

稼ぐために創るのか、自己表現のために創るのか
よく売れる本はどちらかというと前者のように、『書いてる人が稼げるように』書かれている本だし、恐らく読者も何かしらの形で自分の利益になるために買っているのだろう。大体ハウツー系の本はこちらに該当する。それとは逆に、小説やエッセイ、ノンフィクションなど本当にストーリー性とエンターテインメントを重要視した本もたくさんある。私が書き続けている理由がどちらかというと後者に当たる。

結局、どちらにしても読者の心に響くものを書いたのであればそれでいい
書く人たちの得意、不得意もあるし、趣向や好みもある。個人的には主観的観点と客観的観点の両方の視点から書けるようになってみたいが、自分はやはり主観的に物事に対する考え方や想いについて書き留めることが好きなので、書く自分に対してキャラクターを作るとしたら地味にコツコツと原稿を書き進める作家タイプなのかなと思う。

著者が亡くなってから有名になった作品も山ほどあるわけだから、私自身も生きている間にベストセラー作家になれる可能性はあるかないかは別として、書いたもの全てから一銭も儲けがなかったとしても私は生きて居る限りずっと書き続けたいと思う。


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