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#26 東京〜済州島〜堺〜越谷〜福島〜平塚・藤沢〜台北

 タイトルの通りに1週間で移動した。noteを済州島で更新しようと思ってMacBookを持って行ったのに、全然そんな余裕がなかった。というか、さっさと寝る方を選んだ。忙しかったのかと問われれば、そうでもなかったような感覚もある。台北の実家に戻って3日目。いとこの畑に「自分で来た」という羊の肉を母がセロリと炒めた。綠豆や白木耳、ふかした芋、四物湯、空心菜、芭樂、火龍果、龍眼、子どもの頃から食べ慣れたものを食べたり休んだりして心身が整っていく。

 猛烈かつスムーズな1週間だった。ブールマンで残歌と一緒にライブをして、たくさんのお客さんが来てくれた。ライブの後、志宏さんの誕生日をみんなで成城の居酒屋でお祝い(本来行くはずだった、当日お店のトイレが壊れて行けなくなってしまった餃子屋さんにも今度行きたい)をして、翌朝の飛行機で済州島に行った。2泊3日、みっちり島の東西南北、山間も海辺も駆けめぐり(運転してくれたのは真也さん、私はもっぱら後部座席で手すりをつかんで揺られていただけ)、目にするもの、聴こえるもの、飲み食いするもの、全てが強烈に感じられた。ご飯がとにかく美味しい。天気も真ん中がないようなお天気で、台風のようなどしゃ降り、もしくはゆで上がりそうな蒸し暑さの2パターンしかない。ここは冬には雪が降るという。市場は思いのほか静かで、売り物の種類も多くない。島の南にある市場から、カカオのタクシーアプリで呼んだタクシーに島の北の空港まで爆走してもらい、関空まで直行便で行く。翌朝、堺で鍼を打ってもらう。身体がキューンとなった後、調整モードに入るような感覚で休む。大仙古墳、与謝野晶子記念館を少し見てまた関空。羽田から越谷のごりごりハウスへ直行してサウンドチェック。化粧をする時間がなかったので、本番前いつも行く焼き鳥屋さんのカウンターで化粧しながら焼き鳥。そういうことをしても許してくれる雰囲気がある。お店の人もお客さんも、みなそれぞれにサバイブしてきた雰囲気がある。ライブ終わって、そのまま福島へ。対バンのミーワムーラの二人はいわきから来ている。ハルカストリングスのアルバムジャケットに使われている絵の展示が福島市内であって、ライブ翌日が最終日だというので見に行く。アミイゴさんに教えてもらった食堂ヒトトでお昼ごはん、絵を見て、あんざい果樹園、飯館村、そして海沿いを通って藤沢まで戻る。翌朝、平塚の海で友人のお父さんの散骨。駅前をぶらぶら歩いて、川万の2階のお座敷で友人親子とだらだらうなぎを食べたりビール飲んだり。夜は藤沢の友人のお店で東京から来た友人夫妻と軽く飲んで、次の日の始発で台北。

 いろんなことがあった。たくさんの出来事があったといえばそうだけど、それよりもっと私の内部がかき混ぜられているような感じで、肝心なことがたくさん起きていると思うんだけど、まだまだ言葉にならない。いろんなイメージや感覚が行き交っている。この1週間のことと、過去のいろんなこと。行ったはずのない景色。
 崖。私が飛び降りたんだっけか、と思ったけど、そんなことはしていない。そこは済州島のはず。赤いワンピースは東京でユニクロで買った。安くなっていたし、着替えがもうなかった。新橋の地下の死ぬほどまずい餃子屋で、私はやっぱりそのワンピースを着ていた。済州島へ行く少し前のことだ。あんざい果樹園の木になっていたいくつものりんご。友人の赤いマニキュアのゆび。平塚の海。済州島の大雨。汗ばんでいる。タクシー。カーテン越しに見える福島県庁。どうしてか、父方の祖父が入院していた荻窪の病院の階段の踊り場のにおいを思い出す。スイカのような。うす暗い。
 

近所の公園の入り口。台風のせいか人がいない。
ここにこの3匹が置かれた当初はえーって思ったけど、なんか台湾ぽいし好きになってきた。
夜、帰り道にこのひとたちを見るとホッとする。


 昨日の夜はリハーサル。台湾で台湾のミュージシャンたちとリハなんてはじめてで超新鮮。私はこっちでは本当に実家でごろごろしかしていなくて、まあわざわざ頑張らなくてもそのうち誰かと知り合うでしょう、と、のんびりした気持ちで、でも決然としてずーっとごろごろしていたら、思いがけないご縁で台湾のミュージシャンと知り合い、そして彼らはブラジル音楽を演奏する方々だった。ほほう、こうきたか、という、思ってもみなかった感じがしてたのしい。藤沢の家には、今もうブラジルに戻ってしまった日系ブラジル人の友人が親子でしばらく住んでいたこともあって、こうやってまたブラジルが私の生活に入ってきてうれしい。ブラジル音楽はとても好き。でも私は詳しい知識がないしポルトガル語で歌える曲もあんまりないので、人とブラジル音楽の話をしたことはほとんどない。他の全ての音楽についてもそうだけど、私はほとんどこっそり音楽を好きになって、かと言って特にいろいろ調べることもなく、好きになった音楽をまたどこかで耳にして、またどこかで耳にして、そうして忘れられなくなるほど好きになった曲のいくつかを、おぼえて歌ったり、ピアノで弾いたりしてきた。私がもし日本に移民することなく台湾にずっといたら、私はブラジル音楽に出会ってただろうか。出会っていたとしたら、どうやってだろう。やっぱりこの人たちに会っていたんだろうか。

 リハの間にマルセロや尾花さんの名前が出る。蔥油餅、アボガドの残り、包子などが置かれたテーブルを囲んでいる。
 「你要酪梨嗎?」
と聞かれて、あんまりされることのない質問でうれしかったけど、もうご飯を食べてきてしまったので、大丈夫、と断る。台湾のアボガドは日本のスーパーで見かけるのの3倍くらい大きくて、形も縦長だ。
 
 歩いたことのない道を歩いてリハに行った。リハーサルの場所だと渡された住所は、行ったことのない夜市を通った先にあって、ちょうど夕食どき、家族やカップルやおひとり様たちが食べまくる、日式しゃぶしゃぶ、いろんな麺、ガチョウ、羊鍋、烤鴨などの店々を通り抜けていく。よく知っている風景なのに、なんでか、自分が浮いているような感じがする。20代の頃、台湾のまだ行ったことのないところへあちこち行って、そこの誰かと仲良くなって、そこの夜市やいろんな食堂に行ったり、その辺りで素敵なレストランやカフェへ行ったり、そういうことが楽しくて仕方がなかった。自分の身体がもう一度台湾のあちこちの場所に馴染んでいくことが、うれしくて、何かを取り戻せたような気持ちになった。今はまた全然違う気持ちで歩いている。ここに来る前の猛烈な1週間のせいのような気もする。捷運に乗っても、近所の通りを歩いても、何か不思議な、何かいつもと違うような感じがする。


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