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幸せになるには

幸せは
「なる」
ものじゃなくて
「気づく」
ものだ

過去はお世辞にも「いい恋愛」と呼べるものをしてこなかった
(もちろんいい時期もあったし、今となってはその恋愛経験から学んだことがたくさんあるから、とても感謝しているけど)

最初はうまくいっていても、次第に自意識過剰な不安がわいてきて
相手を信じられなくて、自分も信じられなくて
本当に愛されているのか自信がなくて
相手の気持ちを常に確かめようとしてしまったり、
嫌われないように言いなりになったり、尽くし過ぎたりしてきた

最終的には「重い」と言われて相手から距離を置かれてしまう

そんな自分に気づいて、変わりたくて、幸せになりたくて、
学んで、努力して、でも変われなくてもがいて苦しんで、


そうこうしているうちに大好きな父が亡くなった


最初は父を助けられなかった後悔と悔しさで気が狂いそうだった
それから自分を責めて責めてとことん責めた

本当にどうしたらいいかわからなかった
父の死をどう受け止めたらいいのか
どう受け入れたらいいのか
どう考えたらいいのか
毎日どう過ごしたらいいのか
何をしたらいいのか
何を食べたらいいのか
いつ寝たらいいのか
「生きる」ために基本的なことさえもわからなくなった

「そんなに悲しんだらお父さん心配するよ」
「そんなに泣いたらお父さん悲しむよ」
という言葉を信じて
というか、その時は他に指針が何もなくて
あぁ、きっとそうだな、と思って
悲しまないようにした
泣かないようにした

でもそんなことは無理で、すぐに限界がやってきた
ずっと食欲もない
夜もあまりよく眠れない
仕事を忙しくしていれば考える隙もなくなると考えて残業をとにかくした
そして、我慢し過ぎて過呼吸で倒れそうになった

その時ようやく気づいた
私はバカだ、と
こんな状態をお父さんは望んでない
私が自分で自分を傷つけて、我慢して無理して苦しむことなんて望んでない
そこまで無理を続けてようやくわかった

お父さんはいつも私を心配してくれて、幸せであるように、と願ってくれた
好きな人にはフラれたけど、お父さんは私を愛してくれていた

好きな人が自分の元から去って、もう誰も私のことなんて好きになってはくれないんだ、と思っていた

でも

お父さんは私を愛してくれていた

それに気づき、今まで我慢していた分の涙が溢れた
泣いて泣いて、何時間も泣き続けた

その日から泣きたい時は泣いて、悲しい時には悲しいと自分に素直に言った

お父さんが愛してくれていた自分をもう粗末にはできないと思った
お父さんの大事なもの・愛したものを粗末に扱うことは、お父さんをも粗末にすることになる
お父さんの願いは、「私が幸せに生きていくこと」なのではないか


真っ暗の穴の中にうずくまっていた
小さな光を見つけた


その光を見たら、たくさんの顔が見えた
わたしを心配してくれている、友人や家族、仲間たちの顔だった
私には見えていなかった
見ようとしなかっただけで、それはずっとそこにあった
私は差し伸べられていた手を「ほっといて!」と振り払っていた

誰からも愛されていないと嘆いていた私は、父の愛に気づいた
その光を浴びて、心がぼんやりあたたかくなって、少しずつ周りに心の内を明かす気になった
悲しい、と言えるようになった

たくさんの人が私のことを想い、一緒に泣いてくれたり、励ましてくれたり、元気付けたりしてくれた

それは「愛」だと感じた

私は愛されていた
父だけじゃない
こんなにも周りの人に愛されていた

やっとやっと気づいた
愛されない、愛されていない、なんて
思い込みだったこと


私は「幸せ」だと思った
父を亡くして悲しくて仕方ないのに、父や周りの人たちの愛情に触れて、嬉しくて仕方なかった


幸せとは「なる」ものではなく、「気づく」ものだ
私はもうすでに幸せだったのだ
幸せであることに気づいたのだ
幸せでないと思ったのも
愛されていないと思ったことと同じで
自分だけの思い込みだったのだ

日々生きている中に幸せはある
小さな幸せ、大きな幸せ
私は常に幸せだ
あんなに幸せになりたいと渇望していたのに
すでに幸せだったとは

父が気づかせてくれた
死してなお父は、私に愛を与えて、学びと気づきを与えてくれる

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