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自己紹介②(食べ物のこと)

先週、レーゲンスブルクという町のアジアショップを訪れた。この町だったら老後の食事情は問題ないかもしれないと思った。

小学生になって数か月経ったころ、
「給食で一番好きなのは何?」
と母に聞かれた。
「しおもみ」
と私は答えた。
脱脂粉乳給食世代の母はしおもみが具体的にどんなかを知りたがって、私はキュウリやキャベツのことを念入りに話した。
「浅漬けみたいな感じね?」
と言われて、まあそうなんだけど、しおもみはしおもみなんだよなと思ったのを記憶している。

給食の最後の頃はO-157の影響で、給食に生野菜は出なくなった。私は幸い温野菜サラダをおいしいと思える年齢に達していた。小1だったら危なかったと思う。

小さいころからさっぱりした食べ物が好きだった私は、20歳の時あろうことかドイツでもやっていけると思ったらしい。おそらく当時私の胃袋は今までで一番働き者で、なにより東京貧乏暮らしの2年間で飢えていた。
ドイツでも野菜や米は買えるし、バターや肉だって克服した気になっていたし、実際当時はそれなりに大丈夫だった。

胃袋も衰えるという事実は盲点だった。こんなに長居すると思っていなかったのもある。そもそも当時の私は、食に限らず先のことはあまり考えていなかった。
もっとも、先のことは考えたって分からないのだけれど。

私は今43歳で、日本とドイツに住んだ時間はちょうど半々くらいになる。子供の食べる量を考慮に入れると、摂取したカロリーはドイツでの方が断然多いと思われる。
私の体はドイツの食材で成り立っているかもしれないが、私の胃袋は年と共に和食をどんどん懐かしがるようになってきた。困ったものだ。

来たばかりの頃、意外と懐かしくなったのは日本の野菜の味だった。手に入らないものはもちろんだけど、同じ名前のニンジンやキャベツの味も微妙に違う。でも知らない間に慣れてしまって、今ではそういうのは全然気にならない。
それに、最近はアジアの野菜が出回るようになってきた。チンゲン菜やモヤシ、ニラやシイタケなんかも。
ラーメンも人気だし、大都市には和食のお店がたくさんある。
スーパーで Demae Ramen も買える。一番おいしかった Tokio Shoyu 味は姿を消したけど、Sesam (ゴマ)味が普通においしい。

Demae Ramen は出前一丁。味の種類は日本と異なり、チキンとかビーフとか鴨とかもある。味毎に袋の色を変えているのに、東京醤油とゴマとスパイシーの3種類全てを赤にしたのはいけなかったと思う。東京醤油も独自の色をもらえていたら生き残ったのではないかと、悔やんでも悔やみきれない。

そんなわけで、普段はスーパーで買ったものを野菜炒めや煮物にしてみたり、作れるものは自作してみたりして、私には十分満足だ。
問題は元気じゃない時だ。誰かに作ってもらうとか、出来合いを買うとか、そうなった時。つまり、病気の時と、高齢になった時。

去年の夏4年ぶりに日本に帰って、日本ではそこらじゅうで和食が食べられるという事実に気がついた。当たり前なんだけど、和食が(ただのパック入りの納豆でも)大ご馳走みたいになっている私にとっては幸せの連続で、衝撃だった。
どうして去年突然そう感じたのかは疑問、というか、どうしてそれまで感じなかったのかが疑問。

それ以来、老いて自炊できなくなったら日本に住みたいかもと思ってしまうのだ。どんなにクチャっとしていても、クチャっとした和食とクチャっとしたドイツのご飯だったら絶対和食を取る(ドイツの方ごめんなさい)。
日本の老人ホームでは当たり前のようにお味噌汁が出てくるんだなぁと想像すると、なんかもう、そっちに行きたくてしかたなくなる。
それか、自炊できる元気なおばあちゃんでいられたら一番いい。自炊したい一念で、元気でいられるかもしれない。そうだ、それを目標にしたらいいかもしれない。

もっとも、先のことは考えたって分からない。
何年先にどこに住んでいるかは分からないから、その時の心配を今するのはもったいない。案外また日本に住んでいるかもしれないのだ。ドイツのあれはおいしかったよね、なんて我がままを言いながら。

それに、レーゲンスブルクに大きいアジアショップがあるんだった。山芋や納豆さえ手に入ってしまう充実の品揃えの。
しかも今気づいたけど、きっと通販で色々買える時代に入っているはずだ。
既にレーゲンスブルクに行くまでもないのかもしれない。

まあ、じゃあ、大丈夫か。

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