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作文

作文が入賞し、表彰された。

小学4年生の秋。

私は嬉しくも誇らしくもなかった。
担任の教師に修正された作文は、もはや私のものではないと思ったから。


そもそも担任とは気が合わなかった。
図工の時間、描いた鳥の絵。
記憶は曖昧だが、おそらく20分ほどで描き終えた。
他の子はまだ色塗りの途中であったり、下書きの段階の子もいた。
集中して、それなりに満足な絵が描けた。絵を描くのは好きだったから、楽しい時間で終わるはずだった。
完成した絵を持って担任の所へ提出しに行った。

担任は真顔で一言、
「雑」
と心無い言葉を私に向けて、絵を返してきた。
悲しかった。
よく描けたと思った絵を"雑"の一言で一掃され、なんの感想も、指摘もなく席に戻された屈辱のような感覚。
私は傷付くと同時に思った。あ~この担任は時間が余りすぎて面倒だと思ったんだなぁ。
この瞬間から、この担任に対しての信頼は消えて無くなった。

今でも肉眼でやっと確認できるほどの棘が心に刺さったままな感覚があるくらい、この出来事はショッキングだった。

彼女は、短髪、筋肉質、体育会系のガハハと笑うようなタイプで、私とは正反対。見た目について言及するのは相応しくないだろうが、当時の私は苦手意識があったのかもしれない。堂々としているベテランだったから、傍から見れば頼もしい先生。しかし、子どもの気持ちに寄り添えるような言葉がけが出来る教師ではなかった。

作文は夏休みの宿題だったか、国語か道徳の授業の一環だったか定かではないが、書く機会があった。
私は、自身が参加した福祉コンサートでの出来事を書いた。
身体障がい者の方が書いた詞に、当時通っていたピアノの先生がメロディーをのせ、それを私や他のピアノの生徒数人で歌うというものだった。
その当時の気持ちを作文に込めていたのだと思う。
担任は、この作文を修正し、コンテストに出した。
修正の場に私もいたが、担任が一人で盛り上がって、書き直していた。一緒に推敲するというよりは、訂正されたと感じた。彼女の作品になったと。

入賞して、担任や両親も喜んだが、私は納得していなかったし、受賞することに罪悪感さえあった。大人が書いた作文だものと。
両親も私の様子に何か感じたのか、授賞式後は作文の話題が出ることはなかった。それは救いだったかもしれない。


私は脆かった。こんなことで自尊心が傷つけられた。しかし、子どもにとっての教師の一言は想像以上に大きいのだ。忘れ去られる記憶とならなかった残念な思い出として、胸にしまうしかない。

作文はどんなものであれ、人の作品だ。そして、子どもであろうと一人の対等な人間だ。人として、何に対してもリスペクトを持つことは最低限のマナーなのではないだろうか。

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