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講師の対価は自分の意識の向き方、捉え方

講座・スクール・セッション・カウンセリング・ワークショップ・コーチング、単発なものも継続的なものも、たくさんの自己投資をしてきた。高いもので50万投資したこともある。継続的なものは数十万単位で投資してきた。
めちゃくちゃ良かった、自分の為になった、受けて良かった、と思うものもあれば、受けなければ良かった、無駄だった、微妙だった、意味あったかな、と思うものもある。これが対価?と考えることもある。

自分が思う対価を受けられなくても、講師の話し方や進め方、質問や講義の内容等、学ぶこともある。私はこんなふうにはやりたくない、という反面教師になり、自分はどんなサービスを提供していきたいだろうか、自分はどんなふうに在りたいか、見直すことが出来る。サービスへの対価は自分で見つけるもの。自分がどこに意識をむけて、どう捉えるかが対価になる。

お金がもったいなかった、と感じて、講師に八つ当たりの感情を持つこともあった。もとをたどれば、自分がお金を払うと決め、自分がこの人から学んでみたいと決めた。全部自分の選択による今の現状。

私自身ネガティブに捉えることも、他人のせいにすることもある。きっとそれは自分を否定するのが怖くて痛くて、自分を傷つけたくなくて、自己保身のために、他人のせいにしたくなる。
あ、自分ってこんな風に感じてたんだ、そっかーそっかー、とその都度自分を知り、抱きしめて、ただ受け入れる。何度繰り返しても、自分を掘っていかないと自分の本心には出会えないし、何度受け入れても自己否定する自分に出会う。心の中の私が痛い、と叫んでいる。

選択したことをいつもポジティブに捉えなければいけない、とは思わない。ポジティブに捉えても、ネガティブに捉えても、どちらもOK!と自分を受け入れることが、ニュートラルでいることなのかと思う。
サービスの対価とお金について自分が向き合ったとき、ふとこんなことを感じた。

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