自由であり続けるために挑戦する
「自由でいたい」
それが20代のころの願いだった。
その願いを叶えるように世界中・日本中を
飛び回った。
いつでも行きたいところに行ける、
住みたいところに住める、
会いたい人に会える。
看護師だったことも功を奏して
経済的にも時間的にも場所的にも自由にいられた。
ただいつもわたしは満たされていなかった。
精神的な自由は感じていなかった。
どこか窮屈だった。孤独だった。息詰まっていた。
「自由をこよなく愛するよね」
「『自由』って言葉がぴったり!」
周りからは『自由』だと認識されても
自分では『自由』にしっくり来ていなかった。
それは外側の世界は自由でも
内側の世界は自由じゃなかったから。
それに気づいたのは2年前の30歳のとき。
それから内側の世界の自由も探求し始めた。
どんどん解放された。満たされた。安心した。
生きやすくなった。
そして少し弱くなった。
自分の中の恐れが見えるようになった。
平凡に生きたくなった。
無意識に守りに入るようになった。
傷つきたくなかった。痛い思いをしたくなかった。
挑戦することが、猪突猛進でいることが、怖くなった。
そんな自分に、そんな人生に
ほんとうにそれでいいの?
新たなことに挑戦し続けて、猪突猛進に進んだ人生は
痛い思いも、絶望することも、恥をさらすことも、
後悔も、深い傷も、罪悪感もあったけれど、
感動も、優しさに涙流すことも、救われるありがたみも、
深い愛情への感謝も、たくさんあった。
そうやって進んできた先に、外側の自由も内側の自由も
見つけた。
この先、なにも挑戦もせず
なにも新しいことを始めなければ
痛い思いもしないし、怖い思いもしないし、
傷くこともないけれど、
そんな人生は不自由になっていく気がした。
きっと守りに入っていく人生は
わたしにとっては不自由。
だから自由であり続けるために
わたしは挑戦する。
それは「海外移住します!」みたいな
どかーん!と、でかいことばかりじゃなくて
日常に挑戦を取り込んでいく。
ということで、最近の挑戦は
・毎週水曜日にしていたカフェを不定期にしてみる
(誰も来なかったらどうしよーの恐怖)
・買い出しはオープンと同時に行って
野菜が多いときを狙っていたけれど、
午後から行ってみる
(野菜なくなってたらどうしよーの恐怖)
・マルシェに出店してみる
(やったことないから準備さえわからない恐怖)
自分の恐れを見つめながら
またわたし自身を突破して
自由を拡大していく。
何も挑戦しなくても、現状のままでも、
自分の人生に納得して、幸せに
生きていけるのであれば
それは素晴らしいこと。
でも、どこか違和感がある、
新しい挑戦をしてみたいという人は
一緒に前に進みましょう。
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