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47歳 人生に「見通し」って必要?

私は現在47歳です。この”note”にいろいろと書き綴ることで、自分の今までのことを振り返ったり、自分と向き合ったりしています。

生きていると「見通しをもて」と刷り込まれる機会が多いもの。でも、こんなに時代が動いているのに、先の見通しってそんなに必要なのでしょうか?

“見通しの亡霊”には本当にたくさん出会います。学生時代は「進学」「就職」の仮面をかぶってやってくる。社会に出れば「達成目標」だの「キャリアデザイン」だのと言われる。20代後半〜40代前半くらいまでは「結婚・出産」というタイムリミットを含んだ見通しをせまってくる。それらにやっと「余計なお世話だよ!」と言えるくらいの年齢になると、今度は「老後」の見通し……。あぁ、キリがない。

そもそも、見通しがもてた時代…日本で言えば、例えば「高度経済成長期」のように「経済は発展する」と誰もが信じられた時代…は、見通しって大切だったのかもしれません。でも今はちがう。1年前の価値観が、もう古く廃れたものに変わっていることだって珍しくない。

むしろ、今の時代、安易に見通しをもつことは危険なんじゃないだろうか。見通し通りに行くことなんて、ほとんどないだろうから…。

「無計画」を推奨するわけではないけれど、「見通し」はほどほどでいい。「今」「此処」を、全力で判断し続けることを優先しよう。

そもそも幸せそうに生きている人って、そんなに計画通りの人生を生きているようには見えない。少なくとも、私にはそう感じられます。

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