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ミュージシャンの世代性、追悼で流すレコード、語られるエピソードについて。

僕が英会話学校に通っているときにあるアメリカ人男性から日本とアメリカの違いの一つについて説明してもらったことがある。アメリカでは、遊び方に年齢は関係ない、という話だ。海が好きな人は、いくつになってもビーチに行くし、その遊び仲間の年代は幅広く、20代の若者と60代の大人が一緒のグループにいても特段違和感がないそうだ。

それに対して、日本は遊び仲間といえば、たいていの場合お互いに同世代だし、その年齢によって遊び方が違うのだという。たしかに、若者の遊び方と大人の遊び方は違う。いつのまにか、ビーチにいったりクラブに行かなくなる代わりに、ゴルフにいったり、むかしはゲートボール仲間というものも存在した。

それがどれほど一般的に言えるほどの文化的違いなのかはわからないが、僕も特段意識することなく、年齢に応じて、趣味が少しずつ変わり、やはり、それを共有できる同世代とつるむことが多い。自分よりずっと年下しかいないような場所に自分がぽつんといると、何とも言えない気恥ずかしさを感じてしまうのだ。

僕がローリングストーンズを熱心にフォローしてないのも、そういった事も背景にあるのかもしれない。ローリングストーンズは伝説のスーパースターだ。もちろん、リスペクトしているし、epulorでも彼らのレコードを流している。ただ、今の80近いローリングストーンズに熱狂できないのには、彼らがふるまうようなロックンローラーというのは、本来、若者のためのものなのだ、という僕の浅はかな偏見によるものなのだろう。

エリッククラプトンのように渋さを増した魅力に変化したり、ボブディランのように比較的若いうちから悟ったような落ち着きをもっていたりしている事のほうを僕はかっこいいと思ってしまう。もちろん、これは好みの問題だ。

だからといって、チャーリー・ワッツが亡くなったというニュースは、さらっと聞き流せるほど小さなニュースではなかった。自分の知っている伝説のミュージシャンが、その生涯を閉じるというのは、とても悲しいことだ。いまさらになって、その演奏を懐かしむというのも全く身勝手な話だとは思うが、やはり聴きなおしてみたくなってしまう。もしかすると、追悼というのは、手段を失い残された人々の、自らに対する慰めとしての役割にすぎないのかもしれない。はたして、彼自身はそれをどう思うだろうか。

チャーリーには、有名なエピソードがある。酔っぱらったミックが「マイドラマーはどこだ?」とチャーリーを探していると、それをきいたチャーリーが怒り、ミックをぶん殴ると、「俺のことをマイドラマーなんて二度というな、お前がマイシンガーなんだ」と言ったそうだ。彼らには似たようなエピソードは他にもありそうだが、なぜそれだけがそれほど有名になったかというは少し興味深い。

epulorがもしオープンしていたら、彼らのレコードを流し、ドラムのプレーに改めて耳を傾けつつ、そんなエピソードみたいなものをそれぞれに出し合って懐かしむこともできたのだろう。レコードをかけながらお酒を出すことができなくなってからも、このようにして少しずつ時間がたっている。むろん、時間とはそうやって流れるものだ。身近な喧騒など、ものともせず、一定のリズムで。


店舗名:epulor (エプロア)
所在地:東京都目黒区青葉台1-19-10 エスセナーリオ青葉台1F
アクセス:東京メトロ日比谷線 中目黒駅より徒歩5分
東急東横線 代官山駅より徒歩8分
JR山手線 恵比寿駅より徒歩12分
URL: http://www.epulor.jp/
Instagram: https://www.instagram.com/epulor_cafebar/
TEL:080-8053-1067
email: info@epulor.jp
営業時間:11時〜24時
定休日:月曜日


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