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希死念慮と夢

死にたいと毎日のように思っていた。
学ぶことが好きなのに、数学が好きなのに希死念慮が頭をもたげ、いつも私から楽しみを奪っていった。
生きたいと強く思ったこともあった。
それは世の中に溢れるまだ知らないことを知りたいと思ったから。
知りたい学びたいという思いで生かされてきた。
大学一年目に重度のうつ病になり、急性期は勉強はおろか、声を発することも、目を開けることも辛かった。
文章が文字の羅列にしか見えず、単純な計算すらできず、人との会話も成り立たない。
記憶力、思考力、集中力、決断力をほぼ失いもう二度と学ぶことはできないのだと絶望していた。
病識は無かったので全て自分が努力していないせいだと思っていた。
そんな人間ならばもう死んでしまおう。
そう思ったけど、まだ知りたいことを完全には諦めきれなかった。
治療やリハビリはものすごく辛かった。
やっぱり死んでしまった方がよかったのではと何度も思った。
それでも、もしかしたらまた学ぶ喜びを感じられるかもしれないから生きた。
生きるなら学ぶことをやめたくなかった。

そんな紆余曲折を経て復活したのだが、今再び毎日のように希死念慮に襲われている。
数学がしたいのに、勉強がしたいのに、読書がしたいのにできない。
こんなに好きなのに。
誰よりも勉強できる喜びを知っているのに。
なぜやらせてくれないのか。
自分は何か悪いことでもしたんだろうか。
もう生きていることが罪なんだとしか思えない。
何もしなければ余計に死にたくなる。
何もしない自分が情けない。
最近数学者になりたいという夢を持ち始めた。
そのために本当はもっともっと努力したい。
負けたくない。
でもこんな自分に夢を語る資格なんてない。
やりたいことは山ほどあるのに手付かずのまま積もっていく。
やりたいことのためならどんな苦しさも厭わない。
そう思ってやってきたのに途中で潰れて何も得られなかった。
努力できない自分を嫌いになっていくだけだった。
苦しんだ経験が人を強くするなんて言うけど、そんなのは嘘だ。
つらい経験をするたびに自分はどんどん弱くなっていく。
限界まで努力するのが怖い。
苦しみながら高校を卒業し、目標を持って浪人し、留年しても諦めずに進級したことはすごいって、支援職の人は言ってくれる。
でも自分はそんな世界で戦っているんじゃない。
受験の時だって思い知った。
生きるだけで精一杯だったので、必死に生きたので、大学に入れてください。
そんなものは通用しない。
生きているだけの人間なんて意味がない。
だからどんなに苦しくてもつらくても死にたくても、みんなと同じようにやりたいんだよ。
この死にたさがとてもとても邪魔なんです。
じゃあ死にたいなんて考えなければいいのに。
どうしたらいいのかわからない。
この死にたいは甘えですか。
私はもう何も望んではいけないのですか。
どうか人並みに夢を追うことを許してください。
死にたいって言いながら生きることを許してください。
好きなことを自由に学ぶことを許してください。
本当はもっと頑張りたい。

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