故郷「讃岐」で1368段を登るとき
地元 香川 「讃岐のこんぴらさん」こと「金刀比羅宮」の奥社までの1368段 - 大事な決断をする際、大事なことが控えている前、私は必ずここに戻ります。
私は10歳まで大阪府枚方市で育ち、その期間も夏休みなどを利用し、母方の故郷の香川県には何度も訪れていました。
10歳の時に家庭の都合で香川県高松市に移り住むことになり、以来、小学校高学年~中学~高校~大学と、いわゆる思春期含めた時期を今の実家である香川で過ごしました。
私は、大学に入るための入学金、さらには4年間の学費と生活費の全てを自分で賄う選択肢を取らないといけない、いわゆる苦学生でした。学費と生活費のことも鑑み、私の判断で、大学進学は国立大学のみを選択肢に。選択肢から外したら切り捨て向き合うべきものに情熱を注ぐ当時の決断の軸と実行力は、現在に至るまでの私の生き方や働き方に通じるところがあるのかもしれません。ただ、心の中では、私にとっての「大学生になること」は、お金を稼いで自立することでもあり、不安で一杯だったのが当時の本音です。
第二次ベビーブーマー世代が故、高校3年時の同級生は約550人。香川県トップの進学校で大学進学率はほぼ100%。国立大学2本のみで、滑り止め含めた私立大学を一切受験しないのは私が学年で一人ということで、担任の先生は母親を学校に呼び出してまで「精神的にゆとりが出るから、滑り止めでもいいので私立受験をしましょう」という説得なんかしていましたね。。
ただ、金銭的に自立して大学に進学する選択肢を取ることはすべて当時17歳の私一人の決断。当時から意志強め(笑)の私は、担任の先生に「自分で決めたことだから、母親に説得するのは筋違いだ!」と一蹴してしまったことを今でも何となく覚えています。母親は当時もそうですが、今も、私の決断と行動を心から信じてくれます。
その後とてつもない経験を積むことができましたから、今となっては小さなことだと振り返ることができますが、当時の私にとっては、とても大きくて大事な決断だったからこそ、その時も「1368段」を登りました。
香川県は、讃岐うどんだけではなく、四国八十八ヶ所お遍路さんが「修行の場」としても有名で、讃岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海さま)も度々この地で修行をされたということです。
小さ過ぎる次元ですが、私もある意味「プチ修行」を故郷で積むことができて、今の大人になった自分が存在するんだと思います。
能力はさておき(笑)、メンタル面で幾つかのグローバル企業のリーダーシップメンバーとして30代後半から遜色無く渡り歩けた原点は、実は 「讃岐の修行」にあったのかもしれません。
大阪在住時代の幼少の頃から何度も訪れ、10歳からは実家として住む場所になり、思春期を過ごし、今では心から大好きで大切な故郷「香川県」。
特に、昨年と今年は、大事な決断や大切な出来事が重なり、香川に戻っては、家族と共に1368段を何度も登っています。
途中500段目には、資生堂パーラーさんがプロデュースする「神椿」というスイーツ好きにはたまらんカフェがあります。
私は、下山は一気に降り切るため、毎回必ず、登りの途中、少し微妙な場所(笑)にある外のテラス席で、自然の緑の中、讃岐名物「和三盆」に讃岐伝統菓子「おいり」が振りかかったパフェを食べちゃいます~。
何か大切なことなどを控えている方は、是非一度、香川県に訪れて「1368段のお散歩」を楽しんでみてください!
香川県は、金毘羅さんや讃岐うどん以外にも、世界的アートの島として名高い「直島(ナオシマ)」、多数の映画のロケ地でもあり風光明媚でたくさん孔雀さんやお猿さんがいたりする「小豆島(ショウドシマ)」、桃太郎さんで有名な鬼ヶ島伝説の「女木島(メギジマ)」など魅力満載の島々もあります。ちなみに、私は、大人になってからは、裏路地・坂道歩きがホッコリする「男木島(オギジマ)」が心地良くて、時折上陸しては散歩をします。
改めて大切なことを目の前に1368段を登ったことを機に、今回、勝手に 「故郷観光大使」 気取りになりました。
次回は、いつ、どんな背景で1368段を登るのだろうか。
「我が香川(わがかがわ)」
逆から読んでも「わがかがわ」
自身の故郷、心の故郷のような存在を想うこと。
大事ですね。
外資系17年(HRトップ 7年)とプライム市場上場企業 Global CHRO(最高人事責任者)経験の私が「誰もが独自性を強みとして持ち、新しい無限の可能性を秘めている」を自身のコーチング哲学に、2023年3月 起業をしました。サポートくださる方々と一緒に日本を元気にしたいです!