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【226回】なるほど、授業を「見る」立場の人がよいかわるいか影響を与えている…(190730)


フェミックスが発行している、「くらしと教育をつなぐWe」の221号(2019年8・9月号)が届く。さっそく、石川晋さんの「『公立中学校』でしなやかに生きること」を読む。

今回は、授業を「見る」ことの子どもに対する影響について考えている。

石川晋さんの娘さん。小学生である「うららさん」の参観日について。

ぼく自身は、他のクラスメイトの様子も丁寧に見ることが多く(中略)ぼくとしては、うららばかりを見ているわけでもなく、職業柄、クラス全体を見るという感じで、教室の前にいるわけです。(p45)

教室の後ろにいる僕(汗)は、娘の参観日で、ついクラス全体を見てしまう。あるときは、娘を見ないで他の子の様子を見ていたこともある。

実は、石川さんが「クラスのある女の子が、ぼくのところにやってきて、『うららちゃんのお父さんでしょ」と言うのです。」(p45)というのも、ほんのりと体験したことがある。僕はその子を知らない。なのに、目の前の子は、「○○(娘の名前)のお父さんだ」と言うのだ。

参観中に、他の子どもと目が合うこともある。お、子どもと目が合った。笑顔で返す。

だからこそ、そのような僕の行動1つ1つが、「参観によって様々な子の学びはどう影響されているのだろう」(p46)という石川さんの発想に、「ドキッ」としたのです。

いや、こう思っていた。
参観日は少し普段と変わるでしょ。たくさんの保護者がいる中で授業を行う。先生もいつもはジャージなのにスーツ?ほら、参観日はハレだ。
子どもの学びに影響があっても「仕方ない」と。

ならば、授業参観はどうだろう。他の学校を訪問したときは。
今後、通級指導教室を訪問してみたいと思っているけれど…その場面でも、「見る」ことで僕は「来てよかった!」と思えても、子どもはどう感じているのだろう。

普段教室にいない人がいることは、異質さがある。
もし影響が強いならば、カメラを置いて別室で見ればいいのだろうか。

理想をいえば、子どもと参観者…ではなく、石川さんの言葉を使えば、観察者たる僕がともに意味のあること…「相互に受け取り合う」(p46)関係であればいいのだがなあ。