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茨城県ひたちなか市那珂湊地区の芸術祭「みなとメディアミュージアム」が10周年を迎えます。そこで創設者の田島悠史が、各年の一枚と一日を通して、MMMを振り返りました。2019年から…
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#日記
MMM2009-2018:見守るしごと(MMM2014)
MMM2013をもって出展することと、プロデューサーをやめた。今回は、心機一転の2014年の話。
2014年というのは、ぼくにとって転機で、宝塚大学の専任講師として働き出した年でもあり、下北沢での生活を始めた年でもあった。また、当時執筆していた博士論文も大詰めを迎えていた。MMMは現在も続いている、中村(やす)さんをプロデューサー、橋口(静思)さんがチーフキュレーターという体制になった。必然的に
MMM2009-2018:話すことと、作り続けること(MMM2013)
誰にも見せる予定のない、2013年5月5日の非公開の日記に、こういう一文を書いていた。
今だってMMMがあるじゃないかって思うかもしれないけど、僕はMMMで腐っている。「作家」としてではなく「プロデューサー」として期待されている。人はどんどん来るけど、彼らと話したいと思えない時がある。
MMM2012はとても順調だった。上手くいくと、色々なことをやりたくなるし、後押しも生まれる。ぼくはMMM2
MMM2009-2018:盛れた年(MMM2012)
人生、生きていれば、まあ1枚ぐらいは「盛れた写真」というものがあるはずだ。
ということで、この年の1枚は個人的には「田島史上最大に盛れた写真」の一つ、と認識している。陰影が彫りを深くしてくれているし、左下に学生がいて、右下に田島がやや強面で立ちはだかる、という対立構図も良いし、真顔にピコピコハンマーを持つという、少し抜けたコントラストも良い。
撮られた時期は確か、2012年の秋。MMM2012