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ショートショート集『パクリ禁止法』

ー目次ー

パクリ禁止法

○○を見ていると彼女が来た

S uzuki

寂寥の世界より

すゝめ学問

ペルソナ大脱走

祖母仲介

僕は浮気なんかしない

選択者

IF

あとがき


パクリ禁止法

「今日は700人ちょいかぁ…かわいそ。
ま、しょうがないけど。」

朝のニュース番組を横目に行ってきまーすと
誰もいない空間に告げた。両親は共働き。

街を歩きながら本屋の雑誌なんかをちらちら見る。
華のJK。やっぱりファッションには興味がある。

のろのろと一歩一歩学校への牛歩戦術を試みるも
こちらが変わっても相手は変わらず。
結局1時間目に間に合うよう走るのだ。


今日は朝から政治かぁ。
しかも今回の内容当たり前のことすぎて
眠くなりそうなんだよなぁ…。

「○○さん、我が国で最も強い
法的拘束力を持つ法はなんと言いますか?」

「パクリ禁止法です。」

「そうですね。憲法よりも上に位置する法。
それがパクリ禁止法です。」

小学生だって知ってるっつの。

そんであれか、次は内容とか話すんだろ。

「我が国でこの法が…」

ほら来た。

もう私が幼稚園通ってた頃からイヤというほど
暗唱もさせられてるコレ。呪文みたい。

我が国では今から300年程前に
民衆の強い要望が国家を動かし、
この法が成立しました。

遠い異国には「著作権」や
「肖像権」といった
この法に似たものが存在しますが、

ここまで強い法的拘束力を持ち
民の為となる法はありません。

また、その解り易さにも
特徴があります。

拘束を受けるものはたった一つで、
それは生活必需品を除き

既に存在しているもの全てに
及びます。

同様の性質を持つものは、
その制作を許されている者を除き
物体の所持発覚若しくは作成段階が知られた時点で
処分対象となります。

この文よくあんな小さい時に覚えたなぁ…。
ノートを取りなさいってとることないでしょもう。


んー、終わったぁー!と、
友達とファミレスに行った帰り道。

やはりこの時期になるとどうしても
人は考えてしまうのか。
いつの世も結局話題のタネは同じ。

そう、私の才能だ。

当たり前だけど私はDNA鑑定で
現在ある職業以外の何かの才能が見出されたため
生存が許されている。もちろん友達も。

朝のニュースの子達みたいに
ならなくて良かったと思うものの、

とはいえ私はどんなことが出来るんだろう?

毎朝見てる通りモデルはもういるからなれないし

学校の先生もいるしまだ若いから代替の子として
私が生まれた訳では無い。

さっき行ったファミレスのコック?
まあパパだけど、まだまだ長生きして欲しい。

じゃあママの薬剤師?もちろんそれも同じ。

新しい職業の可能性ってのもあるけど…
うーん…。

あれ?何だろう?
みんなビルの電光テレビの方見てる。
臨時ニュース担当の人だ。

…え。は?

「臨時ニュースが入りました。
昨年より国家の特別調査隊により秘密裏に
探索のすすんでいた異国の地が

我が国とほぼ同様の特性を
持っていることが確認されました。

探索隊は土壌調査や水質調査、
そして最も重要となる文明について
凡そ6年をかけて調査をし、

我が国と同様の文化を、
我が国よりも10数年先に
発達させていたことがわかりました。

これを受け、国王は明日正午、
国の最高法規となるパクリ禁止法の名誉のため
我が国の処分を開始することを発表しました。

繰り返しますー


○○を見ていると彼女が来た

画面いっぱいに広がるであろう
生まれたままの姿を想像し、

この直前のシーンがイイんだよ…!!
と部屋で1人。

最早このためだけに買ったと言っても過言ではない
70インチ、更には4K画質のテレビを
食い入るように眺める。

正直言って興奮が隠せない。
昨日の夜にレンタルDVDを借りに外に出た時から
ず〜〜〜〜〜っと見るのが楽しみだった。

この業界では様々な撮り方が存在するが、
俺はこのジャンルのものが大好物なのだ。
カメラマンも監督も信頼できる布陣。

見始まってから30分、
俺は体の一部に血が集まり熱くなっていることを
意識しながら、

1番盛りあがってきた所で
すかさずティッシュを取ると、

ティロン!

と、スマホの音。

何だよこんな時に…という気持ちが2割。
そして残り8割は嫌な予感。

スマホを取り画面を見ると…

「ゆっき〜、今仕事でこっち来ててさ😁
あと5分で着くから!また後で!🥰」

あと5分で出るとこだったのにチクショウ。


俺には、遠距離恋愛中の彼女がいる。

元々同じ職場で働いていて、
彼女の方からのアプローチがきっかけで
1ヶ月ほど同棲生活を送っていた。

「パソコン使ってる時とか、
仕事に熱中してる時の幸大さんが好きでした!」

なんて言われたら俺も男。
彼女の理想の姿になってやろうと
クールな姿をずっと纏っていた。

しかしとはいえ、
本当の俺とは違う俺を演じるのも
中々骨が折れていた所もあるというのが本心。

当然溜まるものも溜まっていた。
お陰でゴミ箱のティッシュの山のハイキングコースは
だいぶ初心者向けの標高にしかならなかった。

そんなある日、
彼女がずっと目指していた仕事に挑戦したいと
真面目に相談をしてきたので、

1度きりの人生、君の後悔しない道を選べばいいさ。
なんかあれば俺が助けてやる。

と威勢よく言ったのである。
これが遠距離になったきっかけ。

さて俺はというと以前と同じ部屋に残って
仕事的には変わらない毎日を送っていた訳だが、

このチャンスを逃してなるものかと
早速ネットで注文しテレビが届いたのが1週間前。
で諸々準備が済んだのが一昨日。

自宅にテレビがあるってこういう事か…と実感しつつ
昨日ビデオを借りて…今に至るのだが。


さてマズイな、あと5分と言いつつ
彼女の性格上3分くらいだろう。

一先ずDVDをケースにしまい、
俺のアレ用にわざわざ出した未使用のティッシュを
クシャッとしてゴミ箱に捨てた。

さて1番の問題は…
この一目で露骨に分かる部分だ。まだ充血中。

どうしようどうし

ピンポーン!

…。

ガチャ

「うわー、ゆっきー久しぶり!あっ、テレビ買っ
…え、何それ。ど、どういうこと?」

即刻バレた。


「へぇー、でもあんなにクールだと思ってたゆっきーも
こんなシュミがあったなんてねぇー?」

「黙っててごめんなさい。」

俺は今、缶ビール片手にソファに座る彼女の下、
カーペットから彼女の方を見ている。

しかもさっきまで見ていたものを
テレビで流されながら。屈辱的である。

「じゃあ前までは意地張ってたのかなぁ〜?」

と、頬をつんつんとされる。何も言い返せない。

しかしDVDの音声に無情にも俺の体は
情けなくも反応してしまう。

「あれぇ〜泣いちゃうのぉ〜?
ティッシュ使う〜?」

「…つかう。」

「はいどーぞ!」

ずーっと溜まっていた涙が一気に吹き出た。
子鹿の出産シーンは子供の頃から
ずっと俺のツボなのだ。

「こういうの言ってくれれば
アタシも好きだったのに。今度は一緒見よーね。」

「うん。」

本当に俺には勿体ない彼女だ。

今度からは無理をせずに彼女に素直になろう。
明日もこっちにいられるみたいだから、
一緒に子猫の出産DVDを見よう。


S uzuki

どうしようかと頭を悩ませ早くも1週間が経過した。
もちろん、悩みの種は鈴木のことである。

私とて多感な年頃、相手くらい選ばせて欲しいと
本来であれば願う所だがこうなってしまえば
流石に悩まざるを得ない。

告白を受けることなど人生で初ということもある。
後悔しない選択をせよ乙女などと自分を鼓舞しても
頭に浮かぶのは下らないことばかり。

ロリコンとかけまして快楽主義の哲学者ととく。
その心はどちらもJSミルでしょう。

JSとは女子小学生のことであり
ジョン・スチュアートのことでもある。
ミルと見るがかかっていてとても面白い。ふふふ。

現実逃避をしている場合ではない。
もはや倫理の教科書など今の私には無用の長物だ。
長物なのかもわからない。頭の中がぐるぐるぐるぐる。

さて、鈴木のことだ。早く結論を出さなければ
双方良い結果など出ないのは分かりきっている。
彼について箇条として整理してみよう。

鈴木はとても優しい青年だ。

鈴木は友達がとても多い。

鈴木は野球部に入っていて運動神経も良い。

鈴木は家族が見たことのない程に多い。

鈴木は成績が優秀で学年トップクラスだ。

鈴木は顔立ちがとても良い。

鈴木はカーストの高い位に所属している。

鈴木は女友達も多い。

鈴木は私たちの暮らす地球が大好きだ。

鈴木は身長が180cmある。

鈴木は私よりも学年が一つ下の2年生だ。

鈴木は肩幅も広くとても強そうだ。

鈴木は1週間前に私に告白してきた。

鈴木は実は地球外生命体で、本当の姿は我々が想像するようなとてもグロテスクな見た目かと思いきや実はそうでもなく、しかし性格はというとこの学校で作られていたような真っ当な感性に基づくものでもなく、先週私に告白する前に高校にいた生徒・用務員・教員・その他その場にいたホモ・サピエンスに属する種族を余すことなく仲間と共に食べ尽くし、と言うよりは食い荒らし、今や校舎内に限らず校庭には彼の家族という1億の彼と同族と見られる集団がx軸・y軸に限らずz軸空間までもをその地球の科学力では証明できない謎の能力を使い支配し、占拠しており、私の家族を人質に取りながら唯一彼のお眼鏡にかなった生命体として生かすか殺すかの選択を私に課している。

鈴木は残酷である。

鈴木は残虐である。

鈴木は無情である。

鈴木は人食である。

鈴木は…一族に隠して私に別な告白もしている。

鈴木は…


「決めたか、ホモ・サピエンスの娘。」

待ち合わせ場所の教室のドア…
だった場所を潜って来る。いや、潜るものもない。

「ええ、鈴木くん。決めたわ。」

「答え1つでこの地球上から1つの種族が
消えることとなるぞ。」

「ええ…残念だけど、私、もう決めたの。」

「ならば聞かせてもらおうか。」

「…お断りします。」

「…そうか。まあそれも仕方が無い。
死ぬ迄愚かな種族であったと覚える事となるだけだ。」

「いいえ、私はそうは思わないわ。だって

「もういい。選択が決まってしまえば最早我の
行うことはたった1つ。種の根絶やしだけだ。」

「…ええ、そうね。さようなら、鈴木くん。」


「功利主義の哲学者としてはベンサムの他に…」

鈴木くんの言った通り、私は何不自由なく、
そして何事も無かったかのように1週間前の
学校に戻ってくることが出来た。

そして、本来ならば彼らが侵攻していたはずの
時間になっても何も起こらない。

鈴木くんは、一族に隠れて私にあの時こう告げた。

「…本当に、ごめん。いや、そんな言葉では済まない
けれど、謝らせてくれ。すまなかった。

もし仮に俺たちに着いてくると言うのであれば、
不謹慎なことだが俺はとても嬉しい。
だから、君だけを残してもらったんだ。

だけれど、その場合はもう死んでしまった
皆が戻ることは無い。これはさっき言った通り。

但し断った場合は人類を根絶やしにすると言ったこと。
あれは…絶対に俺は起こさせない。

だから君に、ボタンを託す。
これは言ってしまえば時間遡行装置のようなものだ。
1回きりしか使えない。

こんな勝手なことを言える立場では無いのは
分かっている。それでも俺は、君…いや、真奈の事が
本当に好きになってしまったんだ。

1週間後、君が断った場合、俺は一族の長として、
俺の種族を歴史上から消してみせる。

勿論、以前にも居なかったことにする訳だから、
もう一度真奈にあの惨劇を見せるということも無い。

どちらを選んでも俺は真奈の味方になる。
それじゃあ…また、一週間後に。」

結局私はボタンを押した。
それでも、鈴木くんの計算外だったのか、
それとも変な自信の無さからだったのか。

私の記憶の中にだけは彼が未だ生存していた。
そして、この先消えることの無いだろう痛みとして
胸に確かな疼きを遺していった。

鈴木くんは、我儘だ。

鈴木くんは、自分勝手だ。

鈴木くんは、私を悲しませた人だ。

鈴木くんは、私を、唯一…

寂寥の世界より

妻がいなくなって一月が経った。

一々俺の趣味に小言を言い、

俺がわざわざこうやると美味くなると
言ってやっているのに時間が無いなどと
女のくせに反抗し、

生乾きの臭いが酷いから洗濯し直せと
当然のことを言ってやっているのに
時期的に無理など無能さを露呈する馬鹿。

男に二言はないっていうのは
女は何かと二言目でうるせえからって
ことなんだろうな。男みたいにビシッと言えねえ。

本当に使えない女だった。

…はずなのに。

1ヶ月という時間は俺にもう、
1人では到底生活が回せないという現実を突きつけた。

仕事と同時にゴルフクラブを磨く場所の清潔は
保てない。

仕事と同時に料理の質など
こだわってはいられない。

仕事と同時に服の臭いまで気遣ってはいられない。
しかも今は梅雨時期だ。外には干しておけない。

馬鹿がよ。何が使えねえだ。

お前がいねえと何にも上手くいかねえよ。

あいつと話すことも出来ねえ…。


去年高校に入学した年頃の娘。
それじゃなくても父親には反抗したくなる時期らしい。

お前に任せてロクに自分の子接する時間も
取れていな…いや、取らなかった俺が。

都合よく距離感なんて取り直せるわけが無え。

アイロンもかけられてねえ
ヘロヘロのシャツを着て

お湯を沸かすだけでガキでも作れる
即席麺を朝から腹ん中に入れてよ。

こんな情けねえ親父が
「行ってくるからな」なんて。

返事なんてくるわけねえじゃねえかよ。


「帰ったぞ」

…。

ははっ、だからなんだよって話だよな。

玄関を見れば娘が既に帰ってきているのは
分かっている。

帰ってこないのは返事だけだ。

「…あ、洗濯物…。」

飯を食ってしまうと明日着るもんの
処理もしたくなくなっちまう。
片付けねば…。

…臭えよ…。

パチンパチンと洗濯バサミを外して
靴下、パンツ、シャツと取り込んでいく。
当然娘のものは無くなっている。

「あっ」

腕が引っかかって残りのハンガー3つが
同時に落ちた。だけだ。なのに。

「…帰ってきてくれよ…!」

酷く惨めな思いになった。

そういえばあいつは昔
「私実はパン屋さんをやってみたかったの!」
と言っていたことがあったっけ。

俺はそれに
「どうせ叶いもしないこと考えて何になるんだよ」
と言った。

「…うっ…」

だめだ。これ以上考えちゃいけない。
これ以上考えちゃ…。


痩けた顔の髭を剃り、
体に悪い即席麺を腹に。

「行ってくるからな」
返事などない無意味な言葉。

玄関を出て無駄に高い車に乗り込み
会社へ向かう。30分は何も考えずにいよう。


到着まで残り5分。
でかいため息を3つも4つも吐いていると
車付属のテレビで信じられないニュースが。

「臨時ニュースです。
私たちは今信じられない出来事に直面しています。
巨大な隕石が地球に衝突しようとしているのです。

私の現在報道している席からも見ることが出来る
その隕石は衝突まで残り3分と言った所でしょう。

皆様さようなら。
奇跡を信じて祈りを捧げるのも良いでしょう。

私は電話を通し家族とこの時を過ごすため
ここで失礼致します。

それではまた来世で会いましょう。」

何のSF映画の宣伝かと思ったが
車の渋滞と巨大な影はもう
有無を言わせなかった。

…俺もここで終わるのか…。

あの女、家族って言ってたな…。

…。

最後だけでも、会いてえよ。

会って頭を下げてえ。

今まですまんかった。
ロクに家族サービスもできねえ俺が
馬鹿馬鹿って、1番の馬鹿は俺だったよ。

それでもお前は
ずっと俺を支えてきてくれたよな。
漸くそれに気付けたんだ。もう遅いだろうけど。

お前が行きたいって言ってた場所にも
連れて行ってやれなかったし、

お前の夢も叶えてやれなかった。

親としても失格だ。こんな時に子じゃなく
自分の嫁のことしか考えられねえんだからよ。

来世ってさっきの奴は言ってたけど、
俺らもまた来世で会えるかな。

もし会えたら絶対今度は幸せにしてやるよ。
約束する。娘もだ。3人で幸せな家庭を作ろう。

それじゃあ…またな。


「あなた、おかえり。」
「父さん、おかえり。」

「…え?なんでお前たち…
俺さっき…あ、天国…?」

ふふふ、あははっ、と笑う2人。
とにかく会えて良かった。

「…ごめんな。こっちの世界でも
俺なんかに会っちまって、本当は嫌だろ?」

「あははははっ!待って、違うわよ、あなた。」
「父さん、周り見てみて。何か思い出さない?」

「周り…?」

…あ!

「○○様、お目覚めですか?」

思い出した。そうか。そういう事だったのか。

ここは国立の脳科学センターで、
現在催眠術師の有名ななんとかって奴と
コラボしてるだかで連れてこられたんだ。

イベント名は
「VR地球滅亡体験!?
家族が居なくなった世界で父は何を想う!!」

俺一人でも余裕で生活できるって見せつけて
こいつらは所詮俺に養ってもらわれてるって
言いたくて参加したんだった。

「どうやら、仲を再確認できたようですね。」

「はい…。主人に抱きしめて貰えたのなんてもう
何十年ぶりか…。あなた、さっき言ってたのは
本当のことなの?」

え…。

「父さんゴーグルつけてる間すごい素直だったね。あんなこと思ってたんだ。
「幸せな家庭を作ろう」って。

私まだ遅いって思ってないよ。
ずっと父さんのこと嫌いだったけど。」

…。

「…馬鹿。男に二言はないんだよ。
こんな恥ずかしい真似したんだ…。
絶対幸せにしてやるよ。」

「ええ。ありがとう。あなた。」

「父さん、約束だからね。私信じてるから。」


その後、
脱サラして2人で始めた小さなパン屋は
仲良し夫婦を評判にそこそこの売れ行きだそうだ。


すゝめ学問

「天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らずと言えり。」

財布に入っていると有難いお方の、
これまた有難いお言葉である。

実はこれだけを言いたかった訳じゃなく
本当に言いたかったことは別にあるんだとか。
でも結局冒頭だけ伝わる、なんてのはよくある話だ。

さてそんなことはいいとして
だとしたら俺は人間ではないということになる。
だからそういうことではない、と言う彼もいないし。

同時期に同じように道場に通ったケンちゃんには
剣道で1度も1本を取れたことがなかった。

つっちーには幾ら勝負を挑んでも
泳ぎで勝つことは出来なかった。
あいつに関しては弟弟子の筈なんだけど。

そして

「おい、ハナブサ!ついに完成したぞ!」

「おー、おめっとさん。」

30過ぎても研究研究言えるのは
じっちゃんの遺産からだとか。
カオルは俺と一緒に地元に残った超天才兼変人だ。

「んで、今度は何ができたん?
この間の超速スクーターなんてもう乗りたかねえぞ。
見ろこの湿布。」

「違うんだよハナブサ。
今回のは一瞬で髪が生えてくるアレとか
すげえはええ乗物とかとは訳が違うんだ。

小学校の頃から絶対作るって言ってたやつ!
アレあっただろう!?出来たんだよ!!」

「おぉ、アレか。
でもカオルいつも通りみてえじゃん。」

説明しよう!アレとは『KMチップ』のことである!
とか小さい頃に見てたアニメだと言いそうだ。

自由帳にそういえば書いてたっけ。
なんか頭に埋め込むと頭の良さ2倍だ!とか言う
頭悪そうな発想のやつ。

「いや、まだ流石に入れられてないんだ。
座学で出来ても実際の医療技術的なものは
兼ね備えていないよ。

それに自分の頭を自分で治療なんて
まるで漫画じゃないか。」

おめーのキャラクターも十分だろーがよ。

「あー、じゃあ父ちゃんとかにやってもらうのか?」

「その前にもっと驚いて欲しいんだけど…、
まあそうかな。今は父さん国内にいるし、
明日は少なくとも今の所は予定空いてるらしいから。」

「なるほどなぁ。
んで、今日はそれ言いに来ただけか?」

「そうだな。
いや、見せびらかしに来たのもあるんだけど。」

あぁそうだまだ見てない。

「ほほう。それでは向水薫研究員。
その成果を見せたまえ。」

「言っとくけどそういうのイメージだけだからな?」

ワザとらしく手を後ろに組むと
やっぱり突っ込まれた。
今の時間は空いてるし調度良い暇つぶしだ。

「ほら。」

うわ形キモ。何これ。
でもよく見ないとちっちゃいから見えない。

「おー…なんか、んー?変な形だな。」

「脳の形状からしてこの形がベストなんだよ。」

「でもこれを…って考えるとなんかキモチワルいな。」

「気持ち悪くてもなんでもこれが1番いいんだよ。

そもそも脳内っていうのは昔は
10%しか活動してないとかいう説もあったけど
今はどこが働いていてどこが

「あっ、ごめん。ごめんなさい教授。」

このあとグリアサイボウとか言われるんだけど
どうせ分かんないし頭痛くなってくるし。

「僕は教授じゃないよ。
まあ、とにかくそんな訳だから。」

「おう、まあじゃあなんか、頑張れよ。
気をつけて帰るんだぞ。」

「目の前だけどね。
今度会うのは雑誌とかかもしれないな。」

ちなみにウチとカオルんちは道路を挟んで
徒歩1分もかからない。

「あー、おれそういう雑誌読まねえんだわ。
ほれ、そこに置いてある漫画とかしか
未だに読まねーの。」

「ははっ。新聞くらいは読めよ。そいじゃな。」

「おー。またな。」

カラカラと開けて出ていくカオル。
楽しくない話だったはずなんだけど楽しかったな。


さてどうしたもんかそれから
半年しか経ってないんだが。

あのヤロー面倒事ばっか持ってきやがって。

「ということは昔からやはり周囲には
1目置かれるような存在だったと
いうわけでしょうか。」

「あぁ、まあそうですね。
っていうかみんな1目置いたところで適わないほど
頭良かったんで、

だからまあ、かえって人気もあったんでしょうね。
はっきり言って変人なので。
突拍子も無さすぎて退屈しないんスよ。」

10月入って10件目。どこもかしこも
ムコウミズムコウミズカオルカオル。
新聞だけじゃねーじゃねーかバカヤロー。

取材陣を帰して空き時間にネットで調べてみると
また肩書きが増えていた。

脳科学者 科学者 化学者 生物学者 地理学者
哲学者 細菌学者 文学者 作家 憲法学者
コメンテーター タレント 俳優…

そりゃ何者なんだアイツはってなるだろうな。
あまりにも突然、しかも田舎からとかじゃなく
才能が開花しやすい都会の中ですら目立つ有様。

体壊してねえか寧ろ心配になってくるレベルだ。

「ハナブサ、俺今移動中なんだけど
心配してたりするなら俺は大丈夫だぞ(笑)」

連絡来た。怖。エスパーって肩書きも増えんじゃん。

にしても現代の知識王ねぇ…。
あれ、2つ名と肩書きって違うんだろうか?
まあいいか。


あれから半年経ったのか。裏の公園の桜見頃だな。

なんかエグい機械使ってる奴もいる。
半年前ってあんなんあったっけか?

なんか撮って人に送るとその写真が
向こうに届いた時自動で匂いも再現してくれるとか。
試作段階の奴で当選したのあの人だったんか。

車もなんか座席が無くなるらしいって
特集組まれてたな。アレどうなったんだろ。
見たのいつ頃だったっけ。

自動ドアもなんか危ない思想を持ってるやつを
体温感知だかで確認してロックされるようになる
っての見た気がする。

他にもなんかそういえば色々出てたな。
まあそれはそれとして。

「僕は疲れたよハナブサ。」

「だーら言っただろうがよ。」

「まあまあそう言ってやるなよ。
なんかアレだろ?装置が急に
作動しなくなったんだろ?」

「まあそれはそれでカオルっぽいしな。
しょうがねーよ。」

「おめーらはそしてなんで地元戻ってきてんだよ。」

四角いテーブルを
ケンちゃん、つっちー、俺、ハナブサで囲む。

「まあ何とか摘出できたからいいとしてさぁ。
なーんか頭めっちゃ疲れてるし
悪くなった気すんだよなぁ。」

「そりゃそうだろ。俺も本当にびっくりしたぞ
はじめテレビで見た時。なぁ?」

「そうそう。えー!?カオル出てんのー!?
っつって。」

「まあ俺は多分一番最初に聞いてたから
アレかってなったけど。まあでも…映画は…」

「やめろよ。映画の話は。
記憶力もいいからとか言われたんだよ。」

「「僕はどれだけ頭が良くても…君の心を…」
うはははははははははははは

「やめたれつっちー。」

因みに俺が初めてこいつを紙で見たのは
雑誌なんかではなく映画のパンフレット。

「でもケンちゃんも見に行ったんだろ?」

「そら行ったさ。めーっちゃ吹きそうになった。」

号泣する系の映画だったとか。

「でも良かったよなぁ。流石カオルだよ。
一切情報とかは出てないんだろ?

なんか俺よくわかんねーけど、
ああいうのって世に出ちまうとめっちゃ危ねーって
聞くからさ。」

「ああ。それは勿論。そもそも有能な人材が
量産できるそんな機械なんて生まれてしまったら
色んな国が黙っちゃいないだろうからね。

本当に恐ろしいもんだよ、科学ってのは。」

「でも本当にスっと引けたよなぁ。
スケジュールとかもあっただろうし、
それこそなんか重要な会見とかあったんだろ?」

「ああ、まああったんだけど、
そもそも急にこんな奴が出てきても
どこの業界でもお偉いさんは面白くないだろう。

この機会にってお払い箱になったんだ。」

「でもなんか1回作れたんだったら
もう1回作れるって誘拐とか拉致とかは
起きないのか?」

「ああ、そうか。それは言ってなかったな。
試しにじゃあケンちゃん。あの棒で
思いっきり頭を叩こうと思ってくれないか。」

「え、まあいいけど。」

ビーッビーッビーッビーッ!

「え、うわなになになにビビった。」

「うちの父ちゃん世界的な医者だって言うのは
言ってただろ?俺に何かあったらこの腕を
切り落とすぞってデカい機関に脅しかけたんだよ。

俺もデカい以外の情報は知らないけど。」

因みにこれまで幼少期から
プライバシーが守られていたのも
そうした力を使ってもらっていたからだとか。怖いな。

「まあなんにせよさ。今回でもう俺も懲りたよ。
いい加減30だからここで働くことにする。」

え。

「おいおい急じゃんかよ。まあうち店員少ねーから
その分バイト雇わなくて済むけどよ。」

「おー、ついにカオル、就職か。」

「いいなー、就活がハナブサんとことか
超楽じゃん。」

「バーローおめえ俺の面接は厳しいんだぞ。」

はははっと笑い合ってガタと席を立つ。

「じゃあ先ずはうちのを食ってって貰わねえとな。」

「おっ、じゃあ俺チャーシューメン!」

「あいよ。つっちーは?」

「俺も同じの。あ、バターも。」

「おっけー、じゃあ新入の君は?」

「新入って。僕も同じので。
そういや子供の頃に1回食べたっきりだな。」

「あいよー。」

さ、作るか。
この時間は親父は将棋会館、母さんはタンゴ教室だ。


「うまかったー!」

「やっぱチャーシューメンだな。
親父さんと同じくらいうめえよ。」

「へへっ、何れ親父を越すぜ。カオルは?どうだ?」

「こんなに美味かったっけか?」

「よし、採用。」

「なんだよ面接ゆるいじゃねーかよー。」

はははっと笑う。

「つっちーもケンちゃんもそろそろ仕事探せよ。」

「そうなんだよなぁー。」

「俺はうちの近くの水泳教室で
先生やって見てもいいかもなぁ。」

「えっ、ケンちゃん今でも泳げんの?」

「おうよ。」

「あれ、泳ぎ上手かったのって
つっちーじゃなかったっけ?」

「えーっ、そこ間違えんなよー。」

「そもそも人の記憶力というものは

「あーっ、ごめんごめん。俺が悪かった。」

また笑う。

「じゃあそろそろ帰っかな。ケンちゃんは?」

「おう、俺も行くわ。またな。」

「僕も今日は帰ろうかな。」

「おう、新入。おめえは机拭いて椀洗ってから帰れ。」

カラカラと出ていく3人を送って洗面台へ。

「ふぅー。」

やっぱり4人でバカやってるのはすげえ楽しい。

カオルは本当に残念そうにしていたけど、
急に出てきたスターはデビュー冒頭だけ有名になる、
というのはよくある話だ。

多くの人は自分の身につけた能力を
世の役に立たせ、後世に伝えたがるそうだが。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らない。

学問さえ発展しなければ
どんな人だって人は人なのである。

同じように皆チャーシューメンは
うまいって言うもんだ。

ペルソナ大脱走

「やっほ〜☆みんな元気〜?
今日もあなたのアイドル、フミフミだゾ〜!キュピ☆」

などと教壇に立って若手の現代文教師が言うものだから
木下が驚いたのも無理は無かった。

いや、彼に限った話ではなくクラス中が
突然の出来事に呆然としてしまったことは
彼女の人となりを知らずとも職が職。想像に容易い。

しかし悲しいかなそんな絶句するような出来事にも
成程彼女もかと直ぐに脳内整理出来てしまうものだから
困ったものである。言わずもがな全生徒を含む。

さて遍く生徒たちが脳内で整理できるということは
世に多くの症例が出ておりそれが広範に、
公然になっているということである。


その症状は通称でPE症と名付けられた。
発見は全国各地でシンクロニシティ的に起きたと
されているが中々に定まっていないところである。

というのもそれはその症状の特徴に原因があった。

要するに自身の抱える幾つもの顔のうち
1つずつ、それも不定の時間感覚で
消えていくというものであるのだが、

始めの内はストレスか何かで気がおかしくなって
しまっただけなのではないかと診られていたのである。
発症者も20代以下に何故か留まっていることも理由か。

純粋に発祥者が増えただけだったのであれば
同様に暫く安静にしていてくださいで
追い払えたのであるが

いざ世が混乱し出すとなると
中々どうしてそんなことも言っていられない
事態が多発することとなる。

大人気カップル動画クリエイターが生配信中に
急に殴り合いの喧嘩をし出すとか、

明るさだけが持ち味とされていた芸人が
急にネガティヴな発言を繰り返し
放送事故が起きるとか、

飛行機のパイロットが急に
ままー、ぼくおっぱいすいたいでちゅ!
とか言って操縦ミスの末海に突っ込むとか

電車の運転手が急に自慢の息子を扱き出し
尋常ならざる快楽とともに目も当てられない
凄惨な事故を起こすとかそんなものである。

果ては新進気鋭、期待の星とされた国会議員が
路上で妻を呼んで体を重ね合った末車に轢かれ
グチャグチャになったなど

多方面に損失を及ぼす出来事もあったため、
これはいかんと国策として立ち向かっていくと
声明を発したのが凡そ3ヶ月も前のことである。

となれば名前はあった方が色々と面倒事が減るだろうと
つけられたのが「ペルソナエスケープ症」という
なんとも陳腐で安直な名前である。

通称としてPE法としておけばとりあえずは
恰好がつくだろうとなったものの

「ポリエチレンだ!」と中学生のネタにされているのは
国の想定外であったことか。
何れ名が広がってしまえば良いのである。

そうなってしまうと様々な面倒な法だの義務だの
決まりだの宣言だのが出ることとなるが

俺の天下だと現れたのは
どこの業界でも年長者であった。

因みに神経学的メカニズムの権威たちや
精神医学のプロフェッショナル達が日夜
原因解明に勤しんでいるが中々成果は芳しくない。

「やはり最近の若い者は心がたるんどるから
こんなよくわからんものに感染するのだ。」

益々いい気になってそんなことが言えるもんだから
経営方針の変化に沿って潰れた企業もあれば

多大な犠牲を出しながら以前の倍以上の
成果を出したところもある。

成果を出せば出しただけ損になるというのは
なかなか痛々しいものだ。

と20代の声が小さく新聞の端のコラムに載っていようが
届いて欲しい人ほど届かないというのは
よくある事である。

何にせよそんな訳で急ピッチで退職者の
人材派遣だのが進んだ場所の1つに学校が
あった訳だが、

その被害者とも言うべき1人が
この木下だった訳である。


「なあ、現文って仲村先生じゃなかったら
あのトサカ先生ってことになんのかな。」

中林が最早注意するものがあのザマとはいえ
一応授業中だからとこっそり手で声を隠して言う。

因みにトサカ先生とはその昔体罰により
停職処分を受けていた熱血国語教師である。
リーゼントがその由来だとか。

「マジかよトサカか…。あいつ授業つまんねえのに
寝ると思いっきり叩くんだよなぁ…。」

木下も、トサカは嫌いだった。

「トサカだけは勘弁だよな…おっ、なっちゃんからだ。
うわ、マジか。秋吉先生もだって。」

「お前授業中に…まあこうなったらどうでもいいけど。
秋吉先生もかぁ…。どうなっちまうんだろうなぁ、
ウチの高校も。

PEが広がってから得してんのなんて
お前くらいじゃねえの?」

「へへっ。まあな。」

なっちゃんこと大野夏は中林の彼女だ。

元々物静かな性格だったが、症状が発覚するなり
中林に熱烈な交際アピールをしたのである。

肝心の中林はと言うとそこまで気があったかと言うと
そうでも無いが、少々性格に難があった。
結局は体目当てである。

「へへっじゃねえよったく…。
さて、じゃあ日直で俺も職員室行ってこよかな。
教室も騒がしくなってきたし。」

「おう。いってら。」

ぺたぺたと1人職員室に向かうと
明らかに慌ただしい教室といつも通り静かな教室と
コントラストが美しいというか汚いというか。

ところで教師をぼんやりと目指し始めていた木下が、
先程のアレと先月の三浦自慰事件により

さっぱりとその気が無くなっていたことは
彼だけの秘密である。

気持ち冷めた目で失礼しまーすと戸を開けると
年配の教師陣が「おう、まさか仲村先生もか?」
と言うのではいそうですと常套の流れを経てUターン。

最早この学校の、いや、校種に限らず大抵の
学校の生徒はこの状況に適応しつつあった。

現代文が最後の授業だったのでそのまま教室に戻り
中林から用具一式をうっすと言って預かると
そのままHRの時間となる。

バレー部の顧問が来る途中に車で
事故を起こしたと言うので用済みとばかりに
HRが終わると直ぐ様木下は自宅へと帰ることにした。

電車は危ないし車道も危ない。
人通りの少ないところを帰ってきなさいとの
母の指示に沿って2時間程度掛けて自宅へと着く。

来る途中も色々と土産話には十分な程の出来事を
目にしたので夕飯の際のネタには困らないぞと。

最早不謹慎かどうかの感覚さえ狂ってしまったままに
ドアを開けようとすると、若い宅配の

…え、えーっと。え?何してんだ俺。
note…ノート?何だこれ。
小説…?

祖母仲介

「…本当にやるのかい?そもそも会えたって
アタシにできるのは一時間がもう関の山だよ?」

「いいんだ。
1時間だけでも、タカと会って、話したい。」

「…はぁ…。ふみちゃんがそこまで言うなら…
しょうがないねぇ…。」

よし。何とか説得できた。
あとはタカに会って…それでせめて
一言ぐらい送ってやるんだ。セリフも、決めてある。



大学1年目の春。

田舎から上京した俺は面食らった。

まず電車の本数も行先も多い。
人が当然のように溢れている。
そしてみんなお洒落だ。全員もでるに見えた。

まあここは都会も都会。
みんな本当にそういう職なのかもしれないと
誤魔化すも。

入学式でそれは間違いだったとようやく実感する。
え、マジで?同級生?本当に?って感じだった。
自分だけ似合わないスーツに恥ずかしさを覚えた。

周りは初日だと言うのに続々とグループを作り出す。
俺はと言うと「まぁあの人は俺とは…」
の繰り返しで避けるばかりだった。物理的にも。

ところがそこでどう考えてもイカつい奴に当たる。
1人だけ革ジャンジーンズ金髪ツーブロック。
あっ、これドラマで見たやつだとすぐに感じ取った。

財布に手を伸ばす俺に奴は、

「あの、新入生?だったら俺もなんだけど、
この後どっか行くところとかある?」

意外と細い声で話しかけてきた。
ぎこちない笑顔に安心感となぜか親しさを覚えた俺は
いや、ないよ。と首を曲げた。背も高かったのだ。

人混みは苦手だと言うので俺もだと言って、
校門を出て少し歩いたところにある
公園に腰かける。

「いやぁー、凄いね。
やっぱりこの大学人数多いわ。」

缶コーヒーを渡してきたので、あぁっす、
と言いながらそうやんねーと言った。

「あ、俺隆文って言うんだ。
地元ではふみって呼ばれてたから、よろしく。」

かぽしゅっ、と蓋を開けながらおおっとなる。
えっ、俺義文って言うんだけど、
俺もふみって呼ばれてたんだ。と返す。

「ええっ、そうなん!?」と
オーバーリアクションをとる奴。
共通点はひとつでもあればそこから話は広がるものだ。

ベンチに座って前の通りを
似合わないスーツに着られている新入生が
ほとんどいなくなるまでそれからは色々話した。

まずは呼び名について。
お互いのフミは被ってるので
俺がヨシで奴がタカということとなった。

次に地元。
これが意外で、俺は関東タカはここら辺だったのだが
引っ越す前俺の地元近くにいたそうだ。

更に格好。
これは単純にタカがアホで
スーツの用意を1ヶ月先にしていたらしい。ウケた。

それからは何で大学をここにしたとか
学部がどこだとか偏差値がどうだとか
コーヒー分の潤いは直ぐに消え失せた。

そして1番話の花が咲いたのは…家族の話。

俺もタカも家族の関係は冷えきっていて、
特に問題も無いが愛もない家庭で育った。

そんな中どちらの心の支えも
祖父か祖母(俺は祖母の方)だったのだが、
この2人どうやら話せば話すほど友人らしい。

いつも俺が聞いていた
ばあちゃんのバイク好きの友人が
タカのその祖父らしいのだ。これには驚いた。

「今度乗せてやるよ。じいちゃんのバイク、
すげえ乗り心地いいんだよ。」

おん、楽しみにしてるわ!と言って、
その日は寮に帰った。

といってもその寮も同じだったのだが。
家は近いが一人で暮らしてみたい、で了承を得たとか。
通学路が来た時より短くなっていた。


そして翌日、大学のガイダンスが終わって
待ち合わせていたタカに会った。
私服も昨日と同じだから分かりやすい。

「今からお前の部屋行っていい?」
地元じゃ友達の出来なかった俺にとって
それはもう輝かしい言葉だった。

おう、いいぞ。
こそばゆくて仕方なかった。

徒歩10分の寮に帰り、
特に何をするでもなくテレビをつけたり
そわそわしつつ、前日と同じようにだべり始める。

この日から、大学が終わったら俺の部屋に来て
こうするのがルーティーン化していった。
ネタが尽きないか不安だったのは最初だけのこと。

話せば話すほどお互いについて知っていった。

高校は俺は進学校で免許取れなかったけど
タカは商業高校で免許が自由に取れたとこだったとか、

ムッツリだとか茶化しあったりとかもした。
同じとこでバイトして同じように
一限を寝過ごしたりもした。

そして1番楽しかったのはやはりバイクだった。

俺は後ろに跨ってうおー!と言うだけだったが
それがとても爽快感があるのだ。

休日を利用して海の横を通ったり
急カーブであぶねえあぶねえ笑ったり。

何より、どうだこれかっこいいだろ!?
と毎回言ってくるタカの顔と言ったらもう。
この時だけは少年というかガキだった。

じいちゃんはバイクが好きなだけでなく
修理から整備までやるプロらしく、
それはもう全く知らない俺でも格好よく見えた。

そんな、バイク。


元旦に初日の出を見ようと言うと
タカは快く了承した。

前日、大晦日はとても雪が降っていて、
それでも慣れた道だからと急カーブのところを
何も考えず跨っていた。

しかしそこで急に操縦にミスが出た。
やはり夜だったからか、それとも
視界が悪かったからか今となっては分からない。

思い切り殴り飛ばされた俺だけが残り、
タカはガードレールにぶつかり崖下にぽーんと。


それから俺は休学届けを出し、
実家に帰ってひたすらに自分を責めた。

責めることには事欠かなかった。
家族は誰1人として関心を示さなかったから。

そうして、気付けば1ヶ月が経っていたらしい。
俺はそこである事を思い出す。



「…ぁああああぁぁああああっ、
はああああぁああああああ…。」

ばあちゃんは元々イタコとして生計を立てていた。
信じたことなどただの1度も無かったし、
来る人の言うことも嘘だぁと思っていた。

しかしこうなってみると現に俺がここに来たように、
やはりこうした力に頼りたくなってしまうのだろう。

「くぁあああああぁあ、ああああぁあああ…」

頼むよ、ばあちゃん。
1回だけでいいんだ。


1時間が経った。

時間がかかるとは聞いていたが額に浮かぶ脂汗が
何滴も木目に染み込むのを見ると今でも元気とは言え
90のばあちゃんには流石にキツそうに見えた。

だから渋っていたのか。
俺にはあんなに溺愛していたばあちゃん。

小さい頃からただの1度も頼みに
口出ししなかったのに、
今回はやけに剣幕を立てていたのだ。

「ぁ…ぁ…。」

ばたん!と音を立てて倒れる。

「え、ばあちゃん、ばあちゃん!」

やめてくれよ、俺のせいで、そんな…

「ぅ…お前…ヨシか?」

…!

「タカ…本当にタカか!?」

いや、俺のことをヨシと呼ぶのは
タカしかいない。分かってはいる。

ばあちゃんには確かに
ことある事にタカがタカがと言っていたが
そんな意地の悪いことはしない。

「ヨシ…お前…ぃで。」

「タカ…だがぁっ!」

「待て、えーっと、そうか、いや、
なんとなくわかったが、待て。
俺今お前のばあちゃんの体だろ!?」

妙に勘が鋭いのもタカだ…。
本当に、また会えるなんて。

「そっ、そうだよ。ごめんな、俺

「待て。ヨシ。お前の言いたいことはわかってる。
だがな。俺は折角ばあちゃんの体を借りてるんだったら
どうしてもやりてえ事があるんだ。

お前のばあちゃんちって近くに銭湯あるって
言ってたよな?」

「?…あ、タカ…お前

「多分時間もねえんだろ?
言いたいことは後で聞くから、
折角だから満喫させてくれ!」

重要なとこでバカなことを思いつくのも
こいつらしい。これのせいで俺は
キャッシュカードが1枚止まっている。

…でも、それもなんだか久しぶりで。

「この時間は入浴客すくねえぞ?
ここ出てすぐ隣だ。出ればわかる。」

「おう、流石ヨシ。相変わらずムッツリだな。」

「うるせえよ!」

準備してた言葉なんて
ただのひとつも使っていないのに。
するすると言葉が出てくる。

「じゃあ行く…ぁぃてて、
ゆっくり行かなきゃダメだな。」

「ばあちゃん今年90なんだよ。
無理させんなよ。あっ、あと1時間だ。時間は。」

「おっけ、わかった。
とりあえず道案内と安全のあれで着いてきてくれ。
ガードレールに突っ込むかも知んねえからなっ。」

「黒いぞ、今のは。」

よたよたとタカが歩く。
俺は小さなクーラーボックスを持って横から支えた。


銭湯に着いて30分が経つ。
残りは15分くらいしかない。
早く上がってきてくれねえかな…。

「おう、ヨシ。」

「タ…おめえ、バカ、無理させんなっつったろ!?」

「へへ…でも最高だったぜ。
合法的に桃源郷に入れるとはな…。」

こんな下らない用事でばあちゃんまで
連れてかれたんじゃたまったもんじゃない。
鼻血を急いでティッシュで拭き取る。止まったか。

入口の竹編みの椅子ふたつに腰掛ける。

「なんか、冷たいもんでもあれば
完全に止まるんだけどな。」

「おう。ほれ。」

缶ビールを渡す。タカは察したか、あぁっす、と。

「ばあちゃん、ビール飲んで大丈夫なのか?」

「今でも枝豆と一緒に
バリバリ飲んでるから平気だよ。」

「…そっか。なら大丈夫だな。」

2人揃ってかぽしゅっと蓋を開けゴクリと飲む。

約束がようやく果たせた。

あの日は初日の出を見ながら、
今年20になるんだから大丈夫だ、とか言って
2人でビールを飲むのが目的だった。

「ヨシ…多分もう残り3分とかそんなもんだろ。」

「そうかもな。でも俺は満足だよ。」

「そうかい。でもおめえそんなやつれて、
多分休学とかしたんだろ?」

「流石タカだな。」

「誰もお前のせいなんかじゃねえよ。
俺もヨシが言わなくったって、実はバイクで
どっか行こうって思ってたんだ。」

「だと思ってたよ。」

「嘘つけコノヤロウ。…おめえのせいじゃねえよ。
俺を思い出して勝手に湿っぽくなってんじゃねえ。
墓にでも来て大学のこと話してくれよ。」

「…おう。」

「へへっ。」

「…んだよ、下手くそなくせに笑いやがって。」

「おめえもだろうが。」

「へへっ。…じゃあな。
そっち行く時はまた乗せてくれよ。」

「どうすっかな。何十年整備しなきゃいけねえのか。」

「おい!」

「ははっ。じゃあな。ヨシ。」

「おう。タカもな。」


1時間はあっという間だった。
ばあちゃんがぐらっと倒れそうになる。

「…ふみちゃん、楽しかったかい?」

「そこそこかな。」

「それならよがった。まあ、ブレーキが急に
効かなくなるなんてのは
ふみちゃんの問題じゃねえがらな。」

…?

「…ばあちゃん、
何でブレーキが効かなくなったって知ってんだ?」

僕は浮気なんかしない

朝美が玄関の戸を開けた時には既に輝は事切れていた。

こんな光景に立ち会うのは初めてである。
あまりの状況に朝美は頭の中が真っ白になり、
つー、と、水滴を流した。


北山輝は30代前半の会社員である。

遅くとも19時には家に着くほどに
会社はブラックで無かったし、
その手腕は遺憾無く発揮され周囲とも仲が良かった。

彼は両親が大変なエリートであったため、
そもそも他の家庭から見れば大分裕福な状態が
常であるのだなと育つ。

しかしエリートであったことのみが理由とは言えない。
彼の両親は教育熱心であると同時に過保護である。
他者との間にはじわりじわりと楔が打ち込まれていた。

比較対象が無ければ下も上も分からないだろう。
そんな訳で極々狭い社会は大学まできっちりと
レールが敷かれていたのである。

尤も、そんな状態で育ったのであれば
その後の路線も最早どうなるかは
逆説的に考えでもしなければ想像に難く無いだろう。

一方、野々瀬朝美は20代最後のこちらも会社員。

しかしこちらは早くとも22時に帰宅、
遅い時には会社近くのネット・カフェで
夜を明かすこともあった。

彼女はそもそも父親を知らない。
母も生活費を稼ぐことで手一杯だったため、
家があるだけ貧困とは言えないという育ちだった。

愛着に障害を持ったのはそんな理由からである。
彼女は過去3人の男に振り回されている。

1人目は中学時代、仲の良かった同級生。

彼は表面上は大変優しく顔も良かったが、裏では所詮
浅い知識を備えただけの首から下の男だった。
面倒になって、指導を受けただけでその男は逃げた。

翌週にはクラスの別な女子と付き合っていた。

2人目はその直後に偶然遭遇した医者。

彼は1人目に植え付けられたモノを堕ろす代わりに
付き合ってくれないかと条件を付けた。
金も有る。顔は良い。これ以上ない物件だった。

しかし母親の元ストーカーであった事が
発覚し直ぐに行方を眩ませた。

何の因果か朝美はその男が別な女と歩いている所を
就労者となってから見ることとなった。

3人目は2年ほど前、転勤前の同僚である。

2度のそんな経験を経たため彼女は世にいう
メンヘラとなっていた。

最初は優しく受け入れていた同僚も
段々と会社内での立ち位置が狭くなってくると
堰が切れたように彼女に暴行を加えどこかへトんだ。

流石にもう会うことはないと思っていたが
交差点でちらりと影が見えた時には
全身に痛みが走り震えが止まらなくなった。

そんな過去を持っているのだから
幼い頃から抱えた障害は一朝一夕で祓えるものでは
無くなっていたことを誰が彼女を責められようか。

そんな2人が出会ったのは合コンの席だった。

輝は両親からそろそろ結婚しなければならないと脅され
朝美はとにかく拠り所を欲した。

輝も薄々社会に出てこういった席に出る毎に、
両親も周囲も、欲しているのは自分では無く
扱い易いコマである事に気づき始めていた。

一方の朝美もどんな外面だろうと
内面を視る技術は経験に裏打ちが
厭と言うほど為されていた。

この人は本当の自分を求めている。

感覚が一致したのは当然といえば当然であった。

その日の夜を皮切りに2人は1ヶ月も経たない内
百を超えるかという回数、体を重ね合うこととなる。
因みに輝は酷く性欲が強い。

結婚はまだであったが、
帰る場所が同じになるのもそれから直ぐの事であった。

前の男同様、朝美は輝にことある事に連絡を迫った。
然しその度に輝は欲されていると嬉しくなった。

因みに厳しい教育の末、
輝も同様に障害を抱えていたことには
結局誰も気づくことが無かった。輝は器用である。

そしてほぼ1年が経った今日、
輝はとても浮かれていた。

翌日は朝美の誕生日なのである。

ところで朝美の「朝」は出産時刻から来ているらしい。
「美」はその日分娩室に差し込んだ朝日が
綺麗だったからだとか。本当かどうかは定かでない。

輝は折角だからとその時間に祝おうと
気分が舞い上がっていたのである。

そして幸か不幸か朝美は
来週からの休職の手続きにより
今日は家に帰れないと連絡が来ていた。

翌日は2人揃って休日である。
帰って直ぐに朝美が喜ぶことをしようと
輝は計画を練っていた。

やるからには1番喜ぶことをしようと考えるのは
輝にとっては常である。

そうして思いついたことは、
朝美が僕に心配を抱かないようにしよう、
ということだった。

僕は浮気なんかしない。

そんなことを口だけで言った所で
朝美の心の傷が言えることは無いと
この1年を経て誰よりも理解していた。

そこで先ず夜の間は翌日のサプライズの
準備をしたいからと朝美に連絡を送った。
とはいえ1時まで連絡を送りあってはいたが。

次にここからが輝の計画の始まりである。
綺麗に部屋を飾り付け、
朝美の好きな料理などの下拵えを。

因みに2人は若くして都内に一軒家を建てていた。
出資者は勿論輝の両親だった。

金も持っていない家柄の女に
家の息子をと初めは強く反発されたが、

だったら世継ぎはいないこととしてくれと
生まれて初めての息子の反撃と7ヶ月は
両親に爪痕を残したようであった。

朝美の母親はと言うとこれ幸いと
受け入れてくれたことは言うまでもない。

会場の外観を整え料理を準備したところで
輝はワクワクが止まらなくなる。

これで朝美の心配が払拭されるならと
喜びに満ち満ちていた。

以前より彼は自身の内に宿る性欲に
醜悪さや汚さを覚え、辟易していた。

浮気はしないといいつつ
他の女性を目で追ってしまい
陰茎が硬さを帯びる度に自身に酷く絶望していた。

しかし、このサプライズが成功すれば
最早そんなことは無い。
心から朝美のみを愛することが出来る。

輝は早速寝室へと向かった。

先ずは大きな箪笥の上部を力任せでぐいと押し、
下に隙間を作り、足で大きめの
ドアストッパーを差し込む。

それからその隙間に右腕を差し込み、
左腕でストッパーを勢いよく取り除いた。

帰ってきて直ぐに中の服をダンベルなどの
重りに変えていた為総重量は150kg程になっている。

肩から指先まで
じわりじわりと骨が砕けていく。

特に肘関節は幅の広い面と箪笥の底の部分とを
垂直にしている為ミシミシと音が聞こえるようだった。

電車通勤の際などに以前同乗客の胸に当たり
劣情を抱いたことを輝は後悔していた。

一頻り痛みを得た上で用意していたチェーンソーを
左手に持ち、右肩と胴体を切り離す。

懺悔と同時に起こる開放感。
痛みが大きければ大きいほど輝は快楽を感じていた。
陰茎が硬く成り始めていた。

次に輝は箪笥から30kgのダンベルを取り出し
紐を括りつけ、階段を昇って
天井の梁の部分にそれを通した。

重りの付いていない方の紐をぐいと引っ張りつつ
また階段を下りていくとどんどんと
その高さを増していく。

十分な高さを確認してから彼は寝転び、
左足を狙いその紐をパッと離した。

床にゴィン、と鈍い音を立てながら
初めに当たったのは脛。折れたのが確信できる。

痛い、痛い。嬉しい、嬉しい。
その作業を何度も繰り返し痛みを蓄積させていった。

以前本屋に立ち入った際左膝の当たりが痒くなり
下を向いた所成人向け雑誌が置いてあるのを見て
鼻の下が伸びたことを輝は後悔していた。

指先。足の甲。足首。脛。膝。膝。太腿。
股関節はまだやることが残っているので残す。

赤なのか黒なのか。
鬱血しているのか痣なのか。

何れ原型からは大きさを増し変色もしていたそれを、
彼は先程同様切り取った。
陰茎は先程の倍の大きさまで膨れ上がっていた。

片足しか無くなったが台所まではそう遠くない。
ずりずりと這いより大量に用意しておいた
輪ゴムへと手をかける。

ここからは時間が少しかかりそうなので
懺悔の時間を楽しみながら右足に輪ゴムを
巻き付けていく。因みに特注品なのでとても強い。

今更ながら輝はとても顔立ちが良い。
身長もあり学歴もあり高収入で性格も良い。
そんな彼なので職場でも誘惑されることが多々あった。

右足にコーヒーを態とこぼしハンカチがないからと
ワイシャツを使い胸あたりで拭くという
えげつない輩も過去一名居た。

当然、相手も濡れるのだからその部分は透ける。
その時に見えた色が淡いピンク色だったということを
未だに覚えていることを輝は後悔していた。

時間をかけ輝は右足に用意しておいた輪ゴム
数千本を巻き終えた。血が巡らない。
締め付けられる感覚になる。

段々と気持ちが悪くなってくる。
これで終わりでは無いのだ。

早々に切り上げて次に進もうとすると、
右腕・左足よりも派手に血が飛び散った。
スイカに輪ゴムを巻くと破裂するのと同じ要領だ。

さて次は、と言った所で輝は意識を失った。


翌日の朝、朝美が玄関を開け部屋へ入ると、
綺麗な装飾よりも先ず壁やカーペットや
置き電話や時計や各所に散った血が目に入った。

輝はと周囲を見ると台所に
胴体と左腕と首のみとなった残骸が残っていた。
彼は既に事切れていた。

因みに朝美にはスプラッターの趣味があった。
更に輝は意識を失って尚陰茎を
屹立させたままであった。

こんな光景に立ち会うのは初めてである。
あまりの状況に朝美はつー、と、
下着の脇から水滴を流した。

選択者

演劇部顧問・佐藤は血飛沫を散らし
ステージ上にばたりと倒れこむ。

この高校では来週、文化祭がある。
その準備期間中の出来事だった。
保護者に紛れ込んだ者が1発撃ち込んだのである。

「死にたくねぇ奴は今すぐ伏せろ!!!」

怒号と悲鳴が入り交じる体育館。
凡そ200数十名の生徒、及び訪問者がその場に屈んだ。
この高校は県内でも随一の生徒数を誇る。

「いいかぁ…ヘタな真似すると
今のあいつみたいになるからなぁ…へへっ。」

ステージ上まで歩を進めた男は
赤く染ったワイシャツに耳を当てる。

「えぇーっとぉ…佐藤って言うのかコイツ。
えぇー、佐藤先生は死にました!
これよりこの場の監督は私、三浦が務めます!」

三浦と名乗ったその男は
態とらしくマイクを掴み教員の風情を現した。
更に1発、肋木の辺りに撃ち込む。

「えー、私の選択は銃声だった様であります。
一般の君たち、クソ共とは違うわけであります。」


選択とは何か。

この世界では前世から現世へ生まれ変わる際に、
その誕生中継地点で一つだけ自身が消せる音を
選択出来る。

但しその思考秒数…この世と同じ時間感覚だとして…
は、およそ2秒。

何も思い浮かばなかった場合は
自然と「咀嚼音」が選択されることとなる。

原罪をバレずに遂行したいという
人類始祖の意思の表れかは定かでない。

何にせよ三浦の前世の存在は
「銃声」と咄嗟に出たようである。


「しかしこの選択を哀れだと思う者は
どうやら多いようでありました。

話以外には音のない給食の時間、
1人だけくちゃりくちゃりと
音を立てれば耳に障ることは当然だったワケです。

それも中学校までは教員の威圧力が
高かったわけですが高校のクソどもには
それが効かなくなってくるわけであります。

惨めな人生。
稀代のクチャラー誕生など
どこに行っても陰口を叩かれ、

酷い場合には口にゴミでの詰まってんのかと
歯を折られたこともありました。

しかし私はある日とても幸運な出会いをするのです。
それまでに分からなかった私が消せる音に
気付くこととなるのです。

それは公園に置き忘れてあった
BB弾の銃でありました。

食事は人間の基本であります。
どこの職場でも上手くいくはずなく、
路頭に迷っていた夜中に出会ったのです。

むしゃくしゃして私はどこへとなく
撃ちまくりました。

しかしどれだけ撃っても何の反応も無し。
弾が入っていないかと見ると
どうやら入っているようで、

今度は狙って木の方を撃ってみました。
するとどうでしょう。確かに当たっているのです。

そして気付きました。
そうか、俺の選択は「銃声」で、
これはクソどもへの報復の能力なのだと。

これまでに私は数十人殺しています。
しかし誰もがその場では急に倒れたものと思います。

私はスマートにその命の幕を、
唐突に終わらせることが出来るわけでありました。

前置きが長くなりましたが
本日皆様にお集まり頂いたのは他でもありません。
私の復讐に付き合って頂くためです。

さあ、列を作ってお並びください。
卒業式などで一人一人前に出る訓練は
受けているでしょう?」

一通り話した上で、ガヤガヤする場内。
三浦は出口となりうる六ヶ所に向け
無音でその威を見せつけた。

「早く並べよ…これはお前らが蒔いた種だ!!!」

中には泣き出す者も現れるが、
段々と指示通り列が作られていく。

「よしよし…最初のお前。
ほら、撃ってやるから前に出ぉっ…!」

最初の犠牲者が出ようとするまさにその時、
1人の野球部が横からタックルを極めた。

「さっきから聞いてりゃてめぇよぉ…!
それが殺していい理由になんかなるわけねえだろ!

俺だってクチャラーって言われたさ…
ただなぁ、努力次第でこんなもんなんとでも
なるだろうが!」

彼…高橋も同様に選択をした者だった。

「お前…!」

咄嗟に銃を撃つ。
しかし突然の事で照準が定まらなかった。

「どっから…!」

「俺の選択は「足音」だ…!」

高橋は右肘で首、右手で銃を持つ手を押えつつ
左足で右足を制す。
類稀なる体格は細身の三浦に十分通じた。

「もうお前は終わりだ…!
お前が言ってたクソの中にも
お前みてえなのはいるんだよ…!」

首を列の方に振る。最後尾の女子生徒、
井上は既に先の長い演説の際に警察を呼んでいる。
彼女は「通話音」を相手を除きシャットアウトできた。

もうこれで、一連の騒動は終わりかと思われた。

「…へへっ、お前えよう…。」

三浦の笑いに不気味さを感じた高橋は
反対の手にもう一丁ステンレスの銃口を見る。
反射神経が働き、無音の弾は緞帳を掠めた。

「へへへっ、形勢逆転だなぁ…!
ビビらせやがっててめえ…おいお前!
お前から撃ってやる!立て!

次はさっき言ってた最後尾のお前だ…!
警察がここに来るまで約40分…十分だ。
敷地の広さが災いしたな。ここは1番入口から遠い!」

渋い表情で立つ高橋。

「へへ…俺と同じような奴を殺すのは胸が痛むが、
努力どうこう言ってたな。1番俺が癪な言葉を
言いやがったんだ。

お前、なんか最後に言いたいことはある…
おい、何笑ってるんだよ。おい!」

立った時の表情とは一転、
ニヤニヤしだす高橋に三浦は不審さを覚える。

「後ろ、見てみな。」

死に際してこれは明らかにハッタリではない。
後ろに首を少しだけ傾ける。

「なんだよ、後ろになぃ…っ!」

もう一度、高橋はタックルを決め、
先ほどと同じ体勢になる。

「なんだお前…舐めやがって…!
さっきと同じだろうが!このまま死ね!」

左腕を高橋の方に向けようとする。
しかし、その腕は思い切り押し潰され、
銃も落としてしまう。

「な…お前…!」

腕を制したのは確実に殺したはずの男、佐藤だった。

「なんだよ…なんで生きてんだよおまえ!」

「まず高橋、お前こういう時に
そういう行動は取るなって先週の
防災訓練で言っただろう。

そして…三浦って言ったかお前。
外したんだよ。お前の弾。

よく出来てるだろう?
今時期に乗り込んだのは間違いだったな。
演劇部の発表練習中なんだ。これは血糊だよ。」

三浦の脳内は混乱していた。
いくら言われた所で心臓の音は…と、
ここで漸く察する。

「…まさか。」

「そうだ。俺の隠した音は「拍動音」。
どこに行ってもクチャラー呼ばわりは
お前と同じだし、

俺に関しては健康診断なんかも非常に面倒だ。
前世の俺は何を考えていたんだろうな。」

「…クソッ!」

最後の足掻きに暴れる三浦。
しかしその甲斐虚しく銃はもう遥か遠くへと
投げられていた。因みに高橋はピッチャーである。


その後30分が経過し、三浦は署へと連行された。

翌日の新聞社各社はこれを受け、
国家の「選択者差別防止法案」可決への動きを
促す記事を書くこととなるが、

その後十年が経っても法案は通らなかった。


そうして国会議事堂議員席に今日、
「爆弾音」を消去できる者が立った。

IF

もしももう一度君に会えるとしたら、
それは俺がどうしようもなく絶望している時だろう。
それでも、俺はもう一度君に会いたい。




「それでおめーどーだったんだよ!
初めての体験はよ!」

「そんな大っきい声出さないでくれよ…。
…そりゃあもう…こんな感じよ。」

右手に握り拳を作って親指を人差し指と中指の間で
素早くスポスポとさせる。

「えぇっ、そんな早く出来んの!?
実はおせーなニッカ。」

「あはは、そうかもね。」

日華はニチカと読むんであって
ニッカでは無いんだけど。
この人のお陰で変なあだ名が広まっちゃったなあ。

厄介な相手には下世話な会話で乗り切る手段が有効だ。丁度、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴る。

「それで相手は…いで

「ほら、天城が困ってるだろう?
いいんだぞ天城もこんな奴ほっといて。」

「えぇっ、俺の扱い酷くないっすか!?」

クラスが湧く。
彼はこのクラスで多分リーダー格の男子だろう。

「えーっとじゃあ前回は…っと、
恒常性の話とかだったな。人間の体液が…


5時間目が終わりっと…。もう終わりか…。

「ほらじゃあHR始めるぞー。みんな席に着けー。
はーい、始めるぞー!」

ガヤガヤと興奮冷めやらぬ40人強の教室では
誰もその原因を知らないんだろう。
強いて言うなら授業が終わって嬉しい…んだろう。

「はいえー、じゃあ今日は特に配布物はないけれども、
昨日なんか野球部の3年生の方で怪我があったそうだ。

皆も2年生に上がって1ヶ月経ったけども、
この時期は特に運動部は注意してなー。
じゃあえー、なんか委員会の方で連絡ある人ー。」

いないかな。

「よしっ、じゃあ今日は終わり。じゃあきりーつ。
あいっ、さようならー。」

「「「さようならーっ!」」」

…帰るか。

「あっ、そうだ、天城。お前弁論大会出てみないかって
先週言ってたやつ、どうすることにした?」

あー…そんなのあったような。

「…いえ、今回は有難いんですけど、
やめさせてもらいます!」

「そっかー。お前声も通るし、いっつも
いい笑顔してるからさ。俺なんて笑おうったって
娘にキモチワルイパパーってさ。はは。

まあ、じゃあ気を付けて帰れな。」

「はいっ、すいません!さようなら。」

大会に出る程の時間なんて…。
…いや、ダメだ。余計なことは考えないようにしよう。
笑顔が、崩れてしまう。

「今から走ると16:12の電車に乗れる!走ろ!」

電車か…いいな。
今からだと走って帰って5時過ぎくらいか。
…うっすら、背中に寒気がする。今日もなんだろうな。

走りたくない、帰りたくない、と思っても
足が動くのが無情だ。


今日は人参と玉ねぎとじゃがいもがある…、
あとは…あ、ルウもある。カレーを作ったのは
先月上旬頃だったから…許されるかな。

あの人が帰ってくるまで2時間くらいか。
早く、作らなくちゃ。

ルウは溶けやすいように刻んで…あっ

(ガチャッ!)

「ひっ…ごめんなさい!許し…包丁…あ、誰も…。」

…はやくふるえをとめて…つづけなくちゃ…


何とか昨日の掃除も終わったし、ご飯の用意もできた。
あとは1時間ちょっとだけ勉強させてもらおう。

脳下垂体前葉甲状腺刺激ホルモン成長ホルモン副腎皮質刺激ホルモン脳下垂体後葉バソプレシン副甲状腺パラトルモン副腎皮質鉱質コルチコイ…


「ニッカお前マジですげえなぁ…、
ホルモン表アレ全部頭に入ってんの?」

「あはは、まあ偶然穴埋めだったから覚えてるの入れただけで

「え、ニッカ満点!?すっげえじゃんうぇーい」

腕を突き出される…腕…返せってことだろうか。

「うぇ、うぇーい…」

…!大丈夫か、ビクッとなったけど
気づかれてない…か?

「え、なになにニッカ満点!?やっべマジかよ。」

ああ集まってきた。
まあでも気付かれてなくて良かった。

「おう。しかもうちでこれやりながらだってよ。」

昨日私がやったようにスポスポと指を動かす。

「えーっ!?マジで!?ニッカ童貞じゃないの!?」

「ちょww静かに静かにwww」

…後ろの方にいた女子から嫌な視線を感じる。
嫌だ。この雰囲気は、とても。

「なあ、どんな感じだった?なんかこう相手の…

ダメだ。怖い。怖い。

「あ、ごっ、ごめんお俺ちょっとトイレ…!」

逃げ出さないと、とにかく、ダメだ。笑顔が。

「いっ」

「あっ、ごっ、ごめんなさいっ!大丈夫ですか。」

周りが見えていない位に嫌だったのか私は。
リボンの色からして1年生か。

「…あ、ありがとう、ございます。」

笑顔が可愛いって言われる部類の子だ。
それでも、とにかく俺は1人にならなきゃ。

「ごめん、その、ごめん。」

さっきの女子が怪訝そうな顔でこちらを見ている。
トイレに、早く。


「あーい、じゃあHR始めるぞー。席につけー。
ほら、今日は配布物あるからなー。」

小刻みに震えが止まらない。
さっきのあれが4時間目だったから
あれから3時間くらい経ったはずだ。まだ。

「ーーーーーーーーーーー!
ーーーーーーーーーーーーーーーーー。」

だめだ、いつも言ってること以外は集中して
聞き取れない。落ち着け。いつまで

(いつまでそこに寝てんだ!!!)

「…!」

思い出すな思い出すな。大丈夫。大丈夫だ。
あと少し、あと少しで今日は終わりだ。
終わったら…終わっても…。

…きりーつ!注目、さようならーっ!」

「「「さようならーっ!!!」」」

…帰らなきゃ。今日はあの人が遅いって言ってたけど、
どうかは分からない。

?何だこの紙。まさかさっきの聞いて女子が…。
一先ず、歩きながら読もう。

天城日華さん

突然すいません。直接渡すのもどうかと思い、
下駄箱に入れさせてもらいます。
今日はいきなりぶつかってすいませんでした。
1年2組の天城月と言います。
もし宜しければですが明日の朝に図書館奥の
勉強スペースの所に来て下さい。
どうしても気になることがありこのような形で
お手紙を出させて頂きました。
待っています。

ラブレターって言うやつだろうか。
前にも貰ったことはあったけど俺は…
…家が、もうすぐだ。今日は何にしようか。

あれ、鍵が刺さ…った。よし。
今日は何あったかな…。


ケツの辺りが痛い。
こういうのは無視すると厄介なことになるので
一応来ては見たけども…あ、昨日の子だ。

近づいて…くる…。何だ、何だろうこの感じ。
あ、どうも…図書館は静かにと頭を下げるタイプの子。

「…?」

紙を差し出されたので読む。
小さく折りたたんであるなぁ。

来ていただきありがとうございます。
簡潔に聞かせて貰いたいのですが、
もしかしたらお父さんかお母さんとの関係が
上手くいっていないのではないでしょうか。

ぞわっとした。背中、脇を通って腕、肩、
最後に耳の奥で、ゴォっとトンネルに入った時のように
音がした。この子、まさか。

…手?…あ、続きがあるのか。

もし違うのでしたらお時間失礼しました。
その場合は紙を置いて、教室へとお戻り下さい。
でももし、そうなのだとしたら、
私の方にウインクをしてからここを出てください。

…これは…どうするべきだろうか。

生まれて初めてだ。一体、どこでバレたんだろうか。
彼女とは確かに昨日1度会ったばかりだ。

どうせ居なくなる友達は作ったことも無いし
居たとしてもこのことを話すはずがない。

…この人から第六感で感じた
よく分からないこの感じが本当だとしたら。

私は一体どこまで彼女を…。

「…」

…分からない。どうしていいのか。
それでも、合図を出してしまった。
本当に、着いてきてくれるんだな。


「突然すいません、日華さん。初めまして。
私は1年2組の天城月と言います。」

「いえ、ごめんなさい。あっ、えと、
私は2年1組の天城日華です。よろしく。」

昨日のアレのあとだから変な噂が立たない所と思って
ここに来たけど…大丈夫かな。あ。

「月さん、そういえばこの時間って
教室に友達とかは?」

「いませんよ。私は、友達は作らないんです。」

…そうか。やっぱり、じゃあ。

「ごめん、月さん。嫌な事を聞くかもだけど、君も?」

「…ええ。顔を見て察してもらった通りだと思います。
あなたも笑顔が笑っていなかったから。
同じです。」

私以外にも…。

「私は、母からなんです。
私の場合は中学生で初経が終わってからずっと、
母の慰み物として扱われてきました。

父は私が生まれる前に亡くなってしまっていて、
誰にも助けは…いえ、あったとしても…。
それはあなたにもわかることだと思います。」

「ええ。分かります。でも、お母さんが?」

だとしたら。

「はい。あっ、おかしいですよね。女同士でなんて。」

「いえ、おかしくなんかないですよ。
今はLGBTQの理解も進んでいる時代だし、
それはあなたの意思でじゃない。それに、私も…

…同じ感じなんです。あなたと。
私も母が生まれる前に亡くなっていて、父、から…」

寒気が走る。背中が、体全体で拒否している。

「…父から、ケツのアナがあるだろ…って。
あっ、ごめんなさい。こんな、汚い話…。」

…ダメだ。あれ、あっ。

「…辛いですよね。これ、ハンカチです。
そろそろチャイムがなりますから。
お互い、教室に帰りましょう。

また明日、良ければここに来てください。
きっと、私たちは良い理解者同士になれますから。」

「ありがとうございます。じゃあ、また明日。」

涙を拭く。
まさか、こんなことがあるなんて。
教室に戻って丁度チャイムくらいかな。

「あっ、ニッカ!珍しいなお前いつももっと
早く来てなかったっけ!?えーっと、じゃあ
脳下垂体後葉!」

「おはよう。えっと、バソプレシン!」

「おおっ、すげえ!
あーくそ1時間目まで間に合わねー。」

何も不審がる様子はなかったし、顔は大丈夫かな。
あの人のお陰で感情を隠すのは誰よりも
上手くなってしまった。

…もしかしたら、明日からは隠さなくても…?
いや、希望は持っちゃいけないと…でも…。


「あーい座れーっ!HR始めるぞー!
んで昨日渡した授業参観の紙ー!
渡せる奴後ろからまわせーっ!」

ぼーっとしたまま一日過ぎてしまったのか。
なんか今日は朝から何があったのかも上の空だった。

で…昨日のはジュギョウサンカンの紙だったのか…。
バツ付けてハンコ押しておこう。
こういうのはさっさと出してしまうに限る。

「じゃあーーーーーーーーーーーーーーーーー!
ーーーーーーーーーーーーーーーー

昨日とは違う理由で何を言っているかよく分からない。
あっ、そういえばハンカチ渡されてるんだから、
何れ明日は会わなきゃならないんだ。

「よしっ、じゃあきりーつ!注目!さようなら!」

「「「さようなら!!!」」」

さ…帰るか…。

あれ?今日も

天城日華さん

今日は朝に沢山お話して頂いて
ありがとうございました。
こんなこときっとこれまでお互い、
誰にも話してこれなかったことだと思います。
あなたの気持ち分かりますなんて、
あなたの気持ちを分かっていないことは言えないけど、
これまでに溜まってきた嫌な思いを、
少しでも一緒に吐き出していければなと思います。
それと…良かったら、学年は違うけど、
敬語は抜きにして話したいです。
もし来て貰えたらですけど…。
それでは。

P.S.
そういえば、いずれハンカチ渡しちゃってたんだね。
きっと日華は来てくれるだろうから、また明日ね。

もう、家だ。
帰るのは嫌なのに、帰るまではこれまでの人生で
きっと一番、良い時間だった。

…それでも、やることに変わりはない。
今日は、何を作ろうか…。


「だからお…れの名前は日華って言うんだってさ。
小中の頃は学校でも凄くからかわれてさ。
当たり前かもしれないけど女みたいな名前って。

それでどうしてこんな名前って言ったら、
あの人子どもが女だと思って付けてやったんだって。
そん時にイライラして一升瓶割った所で刺された痕が
まだ腰の脇あたりに残ってるんだ。」

「えっ、刺された痕って、もしかして右側?」

「えっ、そうだけどもしかして月も!?」

「まさかそんなとこまで一緒なんてねー。」

「お互い嫌なもんだね。
嫌なのかも分かんないくらいに
なっちゃってるけど…。」

「あはは。因みになんと名前も同じ理由。
子どもの頃にあの人が読んだ同人誌で出てきた
その名前の人がすごい巨根だったって理由で。」

「はぁー。それはまた。
小学校の頃困ったりした?
親に名前の由来を…みたいなので。」

「それ!!!」

月と初めて会ってからもう1ヶ月か。
まさかこんなに話し方も、顔も変わって
喋れるようになるなんて。随分と笑えるようになった。

「あっ、じゃあそろそろチャイムがなりますので。」

「敬語出てます!」

「「あっ」」

一朝一夕では治らない。傷は、ずっとずっと深い。
でも居心地のいい人とお揃いなら、
嫌なことにそれも嬉しくなってしまう。

「じゃあ、またね。」

「うん、また明日。」

今日は少し走らないと教室間に合わないかもか。

「ん?おー、天城。おはよう。
丁度プリント教室持ってって欲しくてさ。」

「あ、はい!良いですよ。」

「なんか最近いいことでもあったのか?
今週あたりからなんて言うか、前よりも
いい顔してる気がするぞ。」

そんなにだろうか。

「あっ、分かります?1年生なんですけど、
すごくいい友達ができまして。」

「おー、そりゃいいな。部活動も入ってなかったし
良い後輩がいて良いじゃないか。

先生、1年生も体育で見てるけど、
名前なんて言うんだ?」

あっ、そういえば先生1、2年の体育か。

「名字が私と同じ天城で、名前が月です。」

キーンコーンカーンコーン

「あっ、じゃあまた教室で。」

なんで「?」って顔してたんだろうか。
あ、単純に女子は見てないからか。


「あっ、あーっ…そうだね。
体育は大久保先生じゃないよ。広尾先生っていう人。」

「ああ、やっぱりそっか。あの先生授業になると
すごい怖くてさ。まあそもそも
男の人苦手なんだけど。」

「そっか…。」

「…。」

おれには、分かる。んだと思う。
人の顔から考えていることは大体わかっているはず。

「月。何か悩み事あるんじゃない?」

「…!…やっぱり、隠せないね。」

「隠し事は、ここでは無しにしようって言ったの、
月じゃないか。」

「…!」

あっ、しまった少し強く…。

「ごっごめんなさい、こういう声、苦手だよね。」

「…ううん、大丈夫。あのね、私、
明日の土曜日に、近くの警察署に
行こうと思ってるの。」

えっ。

「だから、その、日華…も、どうかと思って…。
私、日華といるとすごく、気分が楽になって、
落ち着いて、でもだから逆に怖くなっちゃって。

もし仮に卒業したら日華と会えなくなって、
またあの人の…。」

…やっぱり、月はおれと同じだ。
同じタイミングで、同じ恐怖を抱いていた。

「…月。どうなるか分からないけど、
おれも最近同じことを考えていたんだ。

…明日は丁度、あの人が家を留守にする。
その間に、おれも助けを求めてみるよ。
月と、離れたくない。」

「日華…。」

こんなに自然に、恐らくは純粋な愛で
人に抱きついたのは初めてだ。
だから、逆に神経が鋭くなっているのかもしれない。

おれは、視界の端、ドアの窓ガラス越しに
クラスのリーダー格の男子がいるのを
見逃せない。

こんな時にまで打算的なのはどうかと思うが、
言い訳を何とか考えておこう。


教室に戻ると同時にさっきの奴が駆け寄る。

「何だよお前ー。最近朝遅いと思ったら
あんなとこで練習してたのかよ。」

…アレ?なんか思ってたのと違うな。
もっと後輩の…とか。

「あはは、まさか見られるとは思わなかったよ。
でも目にゴミが入ったみたいで。」

「…ん?どゆこと?あ、そう言って
抱きつくってワザか!流石ニッカだわ〜。」

キーンコーンカーンコーン。

「ほれバカ。天城にまたちょっかい出さない。
困ってるだろー?」

「バカって俺の事すか!?」

あははははっと教室が湧いているが、
そんなことはどうでもいい。

何だ、何か違和感がある。

あれ、そういえばあの場所に教

「はーい、じゃあHR始めるぞー!」

…何だか頭が痛い。
もしかしたら月も今頃頭が痛くなったり
しているのだろうか。

明日に備えて2人揃って頭痛、とかならそれもいいか。
余計なことを考えずに、まずは今日を乗り切ろう。


土曜日の朝、あの人が出るのを確認して1時間。

勇気が出なかっただけで実は証拠の類は
山ほど用意してある。

そもそも
「ハメ撮りだー!」なんてバカなこと言ってやがった
アレ。アレだけでも十分な証拠になる。

足が震える。いや、足だけじゃない。
体全体、心までもが恐怖や何やで
訳が分からないことになっている。

それでも、月も踏み出している。なら、俺も。

目的地までは3分もかからない。さあ、行くぞ。


驚く程簡単に事は進んだ。
まさかあんなに簡単に警察も動いてくれるとは。

使えない、無能、動くまでが遅いというのは
必ずしもどこでも当てはまるという訳では無いのかも
しれない。

それに、行ってみて初めて分かったが
近隣住民や警察署自体にも音は聞こえていたらしく、
それも考えれば踏み込むまでは遅かったのか。

今日、いや、今日からあの人は家に帰ってこない。

正直、今は安心感なんて湧かない。湧く筈がない。
報復が恐ろしくて仕方がない。

それにどれだけ憎んでも憎んでも金だけは
あの人が出していた。

土下座して、土下座して頼んでいた金だった。
もちろん、それ以外にも沢山のものを捨てたが。

それでも行くあてはある。
確か近くの児童相談所でアルバイトを
募集していたはずだ。

高校を辞めても、寧ろ俺にとっては何かと
好都合な場所だった。

今はとにかく、月のことを考えよう。
俺は上手くいった。月も…月もきっと…。


「…ない。」

それが週明け月曜日に初めて発した言葉だった。
教室が、無いのだ。

俺は駆けた。廊下を走ったのも初めてだ。
呼び出されるほど悪いことをしたことも
俺から関わろうとしたこともなかった職員室へ一刻も。

勢いよくドアを開け、名乗り、
1年2組の担任を名乗る女に「天城月は」と
声を張った。

驚く女。しかし「そんな生徒はいません」という。

いない訳が無いだろう。いるんだから。
おかしい。おかしい。おかしい。

しかし胸ぐらを掴んでも怒鳴っても
一向に変わらない。
周りにいた男共に取り押さえられた。

「離せ!クソ!男から俺はもう自由なんだ!離せ!」

その後は落ち着くまで担任だった男に
2人部屋に隔離された。
3人いた気もするが覚えていない。

そこでようやくそれまでの経緯を話し、話し、
否定したかった可能性がどんどんと膨らんでいく事実に
泣いて、泣いて、泣いた。

それが、月曜日の話。
引いては3か月前の話になる。




天城月。

担任の男に連れられて訪れた精神科医との面談の末、
彼女は俺のイマジナリーフレンドだったということで
決着が着いた。

しかしイマジナリーフレンドなら俺の望みに沿って
現れなければおかしいじゃないか、ということも
面倒だったので言わなかった。

いや、面倒だった…と言うのではなく、
もし本当にそうだったのだとしたら彼女との関係を
この連中に触れられたくないと切に願ったのだ。

何れにせよ最早彼女の存在しない場所に
価値などありはしない。向こうとしても金がないならと
止める気は薄いようだったので、早々と退学した。

そしてその後は彼女へのプレゼントか何かにもと
考えていた資金を稼ぐべく、予定通り児相で
バイトを始めることにした。


丁度1ヶ月が経った今日。

もしももう一度君に会えるとしたら、
それは俺がどうしようもなく絶望している時だろう。
それでも、俺はもう一度君に会いたい。

子どもたちに触れながら、
ぼうっといつもと変わらないことを考えていると
信じられない出来事が起きた。

「…あなたは私ともう会わなくてもいいの。
それでも、私はあなたの心の中にいるわ。
きっとあなたは嫌いなセリフだけれど、
本当のことだから。」

それは、俺だけに響く優しい声。
きっと2度と聞くことも無い声。

どこへとも無く心の中で、
俺は月に本当の笑顔を向けていた。






あとがき

先ずはこのショートショート集をお手に取って頂き
有難う御座います。

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
又ははじめまして。えぴさんです。

本作は初の有料記事ということで
私にとって思い入れのある作となること
間違い無しだろうなぁと感じておりますが、

あなたはいかがだったでしょうか。
曖昧ですが何かを感じて頂いていれば幸いです。

さてこのような形式にするのであれば
あとがきも是非つけてみようと思い
筆を執っている訳ですが、何を書けば良いのか。

一先ず作品について触れてみようと思います。

普段私は無料記事の方でショートショートを
書いているので、有難いことにそれを読んだ上で
購入していただいたかもしれません。

しかし今回は有料ということで
普段出しているものよりもより頭を捻って
書かせていただきました。

その上で若しかしたら
「えっ、そんなの書くの?」と
思われたかも知れません。

「ペルソナ大脱走」「僕は浮気なんかしない」
あたりがそうでしょうか。
ええ、私もそういうの書くんです。

一方で「寂寥の世界より」なんかは
割かし普段の私らしさが感じ取れる
作品かもしれません。

ちなみに正直この作品に関しては
そういう人はそんなことがあったって変わらんのよねー
なんて思いながら書いたところもありますが。

そこはそれ小説の世界。
夢のあるお話にさせてもらいました。

夢のある、と来れば対照的に結構現実的な
「○○を見ていると彼女が来た」は
結構楽しんで書きましたね。

発想法は結構というかかなりベタなものですが。
途中で気づく人もおるやろと思いつつ

気付いたら気付いたで色々な叙述トリックを
楽しんでもらえればと思っておりました。

この作品も大分お気に入りですが
より印象に残ったのは「S uzuki」「IF」の
2作品ですね。

特にIFは…もしかしたら
トラウマを思い出してしまう人もいるかと思い
出すかどうか迷ったりもしましたが…。

親バカみたいなモノなんでしょうか。
是非とも私の子どもを!という気が最終的に
勝ってしまいました。

不快に思われていたらすいません。

何にせよこんな色々な思いの詰まった
本作でありました。

少なくとも私は現在小説家なんて
名乗れる人間ではありませんし、貴様はなんだと
言われたらだっ、男子大学生ですっといった感じです。

作品と言うのも烏滸がましいかも知れません。
ただ、自信を持って送り出していることは確かです。

この10本のショートショートが、
どれか1本でもあなたの心に残れば幸いです。
月の役割になれるでしょうかと言ってみたり。

それではまたお会いしましょう。
この度は誠に有難う御座いました。

この記事が参加している募集

熟成下書き

創作の原動力になります。 何か私の作品に心動かされるものがございましたら、宜しくお願いします。