ブッダは何を観たのか?と想像するためのメモ
こんにちは、領です。
ゴータマ・ブッダは何を観たのか?
『生きて死ぬ私 茂木健一郎』
P172 「もはや、キリストの教義も、ブッダの教義も、私たちの持っている宇宙や人間に関する知識とは相容れないものになってしまった。もし、次の宗教的天才が現われるとしたら、その人は、今日の最高の知性でさえ納得せざるをえないような、世界と人間に関する新しいシナリオを提示する人となるだろう。そして、その教義は、現在、私たちが持っている宇宙や人間の成り立ちに関する知識と整合性を持つものでなければならないだろう。」
ブッダの教義が現在の知識と整合性が取れない・・・とありますが、表現する方法の限界があっただけで不整合ではないと思います。いずれにしても私も現在の知識と教義に整合性がなければならないと考えます。
『小学館学習まんが人物館 ガリレオ』
P66「もし空気の抵抗を考えなければ、大砲を四五度の角度にしたときに、砲弾の飛ぶ距離は最大になるはずです。」
物体の運動は、科学の知識で理解することができます。しかし、知識による理解ではなく、こう投げれば遠くまで行くというふうに体得することもできます。
どちらも観察することが必要です。ブッダは、観察によって縁起を理解し、縁起の観察によって五蘊が滅する境地に至りました。「行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空」のことです。これを当時の言葉で残しました。ブッダが観たものは、摩訶不思議な神秘現象ではなく、私たちの現実世界、身体、思考、感情、行動、意識を観察した結果得られたものです。
『小学館学習まんが人物館 ガリレオ』
P43「なにごとも実験や観察を行えば、どれほど議論をつくすよりもかんたんに、真理を手にすることができるのです!」
「どの経典がより優れているか?」「よりブッダの言葉に近い経典はどれか?」「ブッダの悟りとは何か?」「縁起とは何か?」と議論を尽くすことも役立ちます。いろいろな本は参考になります。
それと同じく、科学の土俵で「ブッダは何を観たのか?」と考えることも役立ちます。エネルギー収支を越えた奇跡は起こりえない。神秘ではない科学的な理解が可能です。
たった一回きりの神秘体験ではなく、普遍的な物理現象として理解することができます。
現在の科学・物理・数学を参考にすることが可能です。
ブッダの観たものを、現在の科学で解釈することが可能です。
現在の科学は、ブッダの観たものを参考にすることが可能です。
ゴータマ・ブッダは何を観たのか?
ブッダは、量子的世界観を観ました。
諸行無常、諸法無我、縁起、一切皆苦を観察によって了解し、執着と煩悩を持つ自分自身と世界が吹き消える涅槃寂静に至りました。
量子力学などを代表とする現代科学を知らなくても観察によって体験的にこの世の実相を理解していったと思います。
私は、全てが滅する境地を悟りとしています。そこでも在るのが「存在を有と認める作用」です。無次元の点の物理作用です。
人間の肉眼の「見る」という行為にとても似ているので、人間寄りの解釈として「真の自己」の焦点とされます。
私は、「真の自己」「永遠の命」「大日如来」「神」などではなく、「存在を有と認める作用」「在るものを在るとする作用」とする方が、科学としてあつかいやすいと思います。
ゴータマ・ブッダは何を観たのか?
この問いの参考になる本は、いろいろあります(*^-^*)
今までここのブログで紹介した本たちもそうです。
最近読んだ本では・・・
『時間は存在しない カルロ・ロヴェッリ』です。
読んでいる途中ふと、「この本を読んだら、ブッダが何を観たのか想像できるのに」と思いました。そうしたら、仏教の話出てきました。やっぱりですね(*^-^*)
国際連合の本部入り口に刻まれている詩について書かれていて
「アーダムの息子たちは、一つの身体の手であり足であり、
彼らは同じ精髄から作られている。
どれか一つの部分が痛みに苦しむと、
他の部分も辛い緊張にさいなまれる。
人々の苦しみに無頓着なあなたは、
人の名に値しない。」
この「一つの身体」として観ることが観念・理想・仮定・道徳ではなくて物理的構造によって現実のものだという認識に現代科学が至ることが大きな節目だと思います。
「存在を有と認める作用」は、最上位のものであり最低位に遍在する構造です。
人々の人生を「有と認める」焦点は、唯一として存在し、この世の人々は同一人物という構造になります。この世は、「全てが自分」という構造が可能です。
全てが「自分」であるとき、「囚人のジレンマで二人合わせた刑期が最短になる選択をすれば良い。」と前回書きました。二人の刑期は全て「自分」の刑期だからです。
「この世の人々が同一人物」「全てが自分」であるとき、苦しみや不幸の総量が少なくなる選択がしたくなります。縁起縁滅の法により過剰な快と幸福も諦めなければなりませんが・・・。
ミサイルを撃ち込まれたり、長期的な作用がわからない薬液を打ち込まれたり(分かってきていますが)・・・全部自分の体です。ただ、このまま人口増加が進んで資源の奪い合いが激化するとか怖いです。どこかの国では隣人とナタで斬り合うとか・・・。
地球はどうなるのでしょうか?
いつも地震の備えをしていないといけないし、不安は尽きないです。
縁起縁滅の法の性質により、幸福と不幸の両極が存在しないと、世界は存在を現わしません。幸福だけが継続される選択肢は存在しません。
それでも、「全てが自分」という物理構造が常識になってほしいと願います。
話を本に戻します。
この本には、ワクワクする文章がいっぱいです。
P10「時間の正体は、おそらく人類に残された最大の謎なのだ。そしてそれは、奇妙な糸によって、精神の正体や宇宙の始まり、ブラックホールの運命や生命の働きといった未解決の謎とつながっている。」
P98「この世界が「物」、つまり物質、実体、存在する何かによってできていると考えることは可能だ。あるいは、この世界が「出来事」、すなわち起きる事柄、一連の段階、出現する何かによって構成されていると考えることもできる。ずっと続くものではなく絶えず変化するもの、つまり恒久ではないものから成り立っている。基礎物理学における時間の概念が崩壊したとして、この二つの考え方のうち前者は砕け散るが、後者は変わらない。それによって、不動の時間のなかに状態があるのではなく、限りあるものが遍在(もしかして偏在?遍在に深い意味があるのかな?ブログ著者)することが示されるのだ。この世界を出来事、仮定の集まりと見ると、世界をよりよく把握し、理解し、記述することが可能になる。これが、相対性理論と両立し得る唯一の方法なのだ。この世界は物ではなく、出来事の集まりなのである。」
P100「わたしたちはずっと、この世界をある種の基本的な実体の観点から理解しようとしてきた。物理学はほかのどの分野よりも熱心に、それらの基本的な実体の正体をつきとめようとしてきた。だが調べれば調べるほど、そこに「在る」何かという観点ではこの世を理解できないように思えてくる。出来事同士の関係に基づいたほうが、はるかに理解しやすそうなのだ。」
P153「十二世紀の神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの声なのか?ヒルデガルドは絶対を求め続け、ついには宇宙の中央に「普遍の人」を据えた。」
P195「いずれにしてもほんとうに信用できるのは、この世界の時間構造がわたしたちの素朴なイメージと異なるということだ。時間の素朴なイメージは、日々の生活には適していても、この世界をその細かい襞に至るまで、あるいはその広大なありようのままで理解するには不向きなのだ。そしてほぼ間違いなく、わたしたち自身の性質を理解する上でも十分ではない。なぜなら時間の謎は、個人のアイデンティティーの謎、意識の謎と交わっているのだから。時間の謎は絶えずわたしたちを悩ませ、深い感情をかきたててきた。そしてその深みから、哲学や宗教が生まれてきた。
思うに、科学哲学者のハンス・ライヘンバッハが時間の性質に関するもっとも明快な著書の一つ『時間の向き』で述べているように、パルメニデスが時間の存在を否定しようとし、プラトンが時間の外側にあるイデアの世界を思い描き、ヘーゲルが、時間制を超越して精神が全き己を知る瞬間について、論じたのは、時間がもたらす不安から逃れるためだったのであろう。わたしたちはこの不安から逃れるために、時間の外側にある「永遠」という未知の世界、神々、あるいは神、あるいは不死の魂が住まうであろう世界の存在を思い描いてきた。
わたしたちの時間に対する態度がひどく感情的であったために、論理や理性よりもむしろ、哲学という名の聖堂の構築が推進された。さらに不安とはまるで逆の感情的な態度、たとえばヘラクレイトスやベルクソンの「時間への畏敬」からも多くの哲学が生まれたが、それでもわたしたちは、時間の理解にまるで近づくことができなかった。
物理学は、幾重にも重なる謎の層を突き抜けようとするわたしたちに力を貸す。そして世界の時間構造がいかに自分たちの直感と異なるかを示す。そのうえで、自分たちの感情が引き起こす霧に惑わされずに時間の本質を研究することができる。」〈引用ここまで〉
「哲学・永遠・神」に対する著者の態度がちょっと物足りないです。「精神が時間を超越すること」「神とされる物理状態」などは、物理学であつかってもらいたいです。とわいえ、とってもワクワクする本だったので、この著者の『世界は「関係」でできている』も読みました!それについてはまた次に。
読んでくれた方、ありがとうございます。
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