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『14ページ』仏教の世界には0の概念があって。


1.仏教の世界には0の概念があって。

写真集『0~ZERO~』の意味について触れているわけだけど、

元々『0』という概念はなかったが、紀元前7世紀にインドの数学者・ブラーマグプタが初めて『0』を定義した。

もともと仏教の世界にはゼロの概念があった!

ブラーマグプタは著書の中で0(ゼロ)を「シューニャ」と名付けています。これはサンスクリットで「空」(からっぽ)のこと。仏教における空は何もないという意味とはやや異なり、言うなれば「無いものが在る」という概念です。
仏教には古くから「この世は実体がないもので成り立っている」という考え方がありました。例えば、目の前に「すき焼き」があると想像してみてください。鉄鍋の中は、牛肉・豆腐・春菊・葱・白滝などがぐつぐつと煮えて、とても美味しそうです。しかしすき焼きができる前、それぞれの材料ひとつひとつだけではすき焼きとは言えませんよね。牛肉は牛肉だし、豆腐は豆腐です。当たり前のことのように思えますが、これは「すき焼きという料理がすき焼きでない物の集合」で成立していることを示しているのです。

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仏教の世界では、『この世は実体がないもので成り立っている』という考え方がそもそもあるらしい。

『自分に価値なんてない。』『自分なんかが何かできるわけない。』

時々僕らは社会や世界に大して無力で、『消えてしまいたい。』そんな風に思うときもあるけれど、

そもそも、この世は実体のないもので成り立っているとするならば、

『0』で『無価値』でも、『別にいいじゃないか』とさえ思えてくる。


2.写真について


菜の花のバックにあるのは、浴槽だろうか(笑)

こんなボロボロの浴槽は使えるわけはなく、

紛れもなく無価値で、価値は『0』だ(笑)

それでも、この菜の花とボロボロの浴槽の写真が僕は好きだ。

さて。本当に『無価値』だろうか。

3.まとめ


「この世は実体がないもので成り立っている」という仏教の考え方は、僕たちが持つ否定的な感情に対して独特な解釈を示してくれる。

この考え方によれば、僕らの存在や自己の価値はゼロでも、それは別に問題ではないと言える。

この概念を通じて自己肯定感やポジティブな視点を取り戻せればいい。

菜の花とボロボロの浴槽の組み合わせが無価値であると言いつつも、僕自身はこの写真が好きだ。

この対照的な感情は、無価値と思われるものにも美や魅力を見出すことができる。

毎日を忙しく生きて、時々ボロボロになりそうなときがあるけれど、僕らは無価値なんかじゃない。

それでは今回はこの辺で(^^)/


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