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「先が見えない事を愉しむ人生」を選んだ日

Facebookを見ていると、周りの活躍している人達の様子が目に入ってくる。

自分も同じように頑張っている時なら鼓舞してくれる良い刺激となるが、そうでない時は自分の無力さを情けなく思ってしまう。


今の私はアトピーからの完全回復に向けて頑張っている。それはもう、相当頑張っていると、自信を持って言える。

三年前の、全身傷だらけで痛みと痒みで一睡も出来ない、トイレには這って行く、布団から起き上がるだけで息が切れるような状態の一年間から、上半身に傷はまだあれど肉が見えるほどのものではなく、昼寝必須ではあるけど毎日子ども達とお散歩に出られるくらいまで回復した。

しかも、それと同じくらい息子(八歳)も酷かったから、そっちのケアもしつつで、とにかくもう、家族みんなで物凄んごく頑張った。


でも、じゃぁ、それが何か社会的に認められる事かというと、全然違う。

社会的に何かを成しているわけでもないし、発信しているわけでもない。社会人として真っ当に働いたり生活出来ているわけでもない。

むしろ、体を回復させる為に必要なもの(※1)が保険効かない(そして、そもそも病院が合わない…)ので治療に際して全額自費だし、働く事もままならないから借金が出来てなかなか返せず、社会的にはブラックリスト載りして信用を失っているんではなかろうか?(苦笑)

まぁ、兎にも角にも、つまりは何もなせてない、何者でもない、どこにでも居る「(ちょっと病気がちな)お母さん」でしかない。


「お母さん」である事はすごく誇りに思う。

すごく尊くて、とても嬉しい事だ。凡庸な「お母さん」でいられることにとても感謝している。


だけど、それとは全く別のベクトルで、何者でもない自分に不安になる。

9割は「今は身体を治す時!焦らないでしっかり健康になっていこう!」と思っているのだけど、残りの1割の「色々やりたいなぁ。できるのかなぁ、これから」と燻っている自分が、周りの人達を見ると凄く不安になって、これでもかと存在感を増してくる。

最近なんて、なまじ身体も動くようになってきたから、余計に焦ってくる。(でも、今ここで調子に乗るとまたバテて動けなくなるから、今は絶対に無理しないけど。堪えて、身体を休めるのを優先するけども )


しかも、「お母さん」として私にしか出来ないことをしてるとわかってはいても、「自分一人だったら、今頃はキャリアも積んで社会的に自信を持って『こんな事してます』って言えるような事してただろうなぁ」と、今を否定するような「もしも」を想像してしまう。

こんなの単なる見栄や言い訳でしかなくて、「私、本気出したらこんなもんじゃないから」を体良く言ってるだけで、何の価値もない戯れ言だ。

そうやってつまらない「もしも」を想像してしまう自分にほとほと嫌気がさすのだけど、それでも、そのくらい焦って追い詰められているのも事実ではある。


正直、そういう意味で、すごくしんどい。

「まだまだ、これからだー!」と思ってても、身体もすっかり良くなるにはもう少し時間がかかりそうだし、子ども達の手もまだまだかかる。やりたい事はあるけれど、望む物が今の状況からは途方もなくて、スタートラインに立てたかどうかすら怪しい今はまだ、不安でしかない。


ここ最近、そうやってずっとムズムズと想っていたのだけど、昨日の朝ふと、長男を産むと決めた9年前の事を思い出した。


9年前のちょうどこの時期。

大学の4年生で、卒論やりつつ受けられる授業は全部受けたい!と張り切っていた所でわかった予期せぬ妊娠。しかも産むとしたら未婚の母になる事はほぼ決定。

絶対に大変だし、先は見えないし、安心材料なんかない。親からも「この先、5年後10年後、どうするんだ」と詰められる。


だけど、その時に思ったこと。

「自分一人だったらこの先のキャリアは簡単に想像できるし、たぶんおおよそその通りにできる。それは安心するのかもしれないけど、つまらない。予想通り、淡々と日々が過ぎるだけだ。だけど、子どもとの未来は自分がどうなってるのか全く想像がつかない。それは不安なのかもしれないけど、全く想像がつかないからこそ、どこに行ってどんな景色が見れるのか、この先の自分が楽しみでしかない。それに、実際、何をどう選ぼうと、何が起こるかわからないのは同じなのだから、どうせなら愉しく生きたいじゃないか!『ここからどうなるんだろう?』ってドキドキワクワクしながら『今』を一所懸命に生きれば良いではないか!」

私はこうやって「先が見えない事」を愉しむ人生を選んだんだ。


今もまた、なかなか先が見えなくて焦ってくる。特に前回(※2)とは違って、健康になる為の生活以外に本当に何もしていない。せっかくだからこの時間で勉強でも、と思っても体力も集中力もないし、子どもは待ったなしだからそんな時間も取れない。

まぁ、そんなだからせめて、と思ってリハビリ兼ねてnoteを始めたのだけど、それもあんまり更新出来てないからね。情けない(笑)


でも、私は一度「『先が見えない事』を愉しむ人生」を選んだし、それを選んで良かったと思っている。

だから今もまた、もう一度改めて「『先が見えない事』を愉しむ人生」を選ぼうと思う。先が見えない今の状況を愉しもうと思う。


今の「健康になる」時期を大切に大切にして一所懸命に生きていったら、きっとその先に何か見えるはずだ。

それはきっと、今の私が想像できる何倍も愉しいもののはずだから、今も未来も愉しんで生きよう。


そんな事を思った、11月の満月の朝でした☆


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※1
何万もするようなサプリとか化粧水とかを使っているわけではない。ハイドロコロイド包帯という1個700円くらいの包帯を1ヶ月で100個とか使っているだけだ。他にも健康の為に導入しているものはあるが、特殊なものだったり継続してお金がかかるようなものでは無い。むしろ、病院の治療が合わずに自力で治している人としては非常にエコな部類だと思う。この辺も改めて記事にしたい。


※2
長男妊娠時。初めての妊娠でわからない事だらけな上に、卒論もあったし、授業もあったし、妊娠してから親からの仕送りが止められたのでバイトを2つ始めて掛け持ってたし、出産後の生活を立てる為に情報収集もしまくってた。大変だったけど、やる事が明確だったし、やろうと思ってやれたから不安も紛れた。大変だったけど、あれはあれで愉しかったなぁ。。。

ここまでお読み頂きありがとうございます!重度のアトピー(癌だった疑いあり)から医者にかからず回復中の一男二女のお母さんです。日々の出来事から感じたことや考えたことを綴っています。元気になったら表現活動や新月材を使った場所作りなどしたいことが沢山あるので、応援宜しくお願い致します!