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「お取り寄せ」鴨汁そば。濃厚な鴨の旨味とあっさりした出汁【滋賀県の名店、一湖房の鴨汁そば 】!体験記vol.33(厳選お取り寄せTOP100)

新しい生活様式が提唱され、三密を避けた新生活がスタートしています。そんな新生活の中で、今まで携わらなかった家事に携わる経験を積み日々の大変さを実感しました。そんな経験から週に一度は、私自身がおもてなしをすることで、家族や友人・愛する人を楽しませたいと考えるようになりました。
男(45歳)のプライドと品格を維持しながら家族や友人・愛する人が楽しく、喜んでもらえるおもてなしを実現するために、一流のプロが持つ技・味・盛り付け(名店レストランのお取り寄せ)の力を借りながら、学び、修業を積み、私自身の男力を磨き、最高のおもてなしを実現させたいと思います。
こちらの「お取り寄せ」体験記では、スマートに「おいしい!食」でおもてなしができる・「驚いてもらえる大人の贈り物」が贈れる、大人の男力向上を目指す事で、すべての愛する人々を笑顔と喜びであふれさせる事ができる男を目指すと共に、20年に渡り携わった食業界での知見と私が見聞き学んだすべての情報をフルに生かし、徹底的に厳選したお取り寄せ品をご紹介させていただきます。

     「外食産業応援!」 一助となれれば幸いです。

男のたしなみV0 (本日のおもてなし 滋賀県の名店、一湖房の鴨汁そば)

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(商品概要)【滋賀県の名店、一湖房の鴨汁そば】
     (こだわり・特徴)
      ・鴨肉の味と香りが溶け込んだ「鴨汁そば」
      ・ヘルシーで栄養価の高い国産合鴨
      ・滋賀県近江長浜の一湖房。食通絶賛の特上鴨ロース

商品名  : 一湖房   鴨汁そば  1,512円

販売期間 : 通年

【一湖房 鴨汁そば】
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男のたしなみV1(そばのルーツ)

飲んだ後の〆はラーメンという方は非常に多いと思いますが、私の〆は蕎麦です。蕎麦大好きな私なのですがこの章ではそばのルーツに迫りたいと思います。大抵の食文化は大陸からの伝来ですが、植物のそばの原産地も中国雲南省ヒマラヤあたりという説が有力です。
日本でそばの栽培が始まったのは縄文時代と言われ、高知県内の9000年前の遺跡からそばの花粉が見つかり、その時代からそばが栽培されていたと考えられています。
歴史的文献には、797年の史書「続日本記」にそばが初めて登場します。現在のそばは、細長い麺をイメージされると思いますが、当時のそばは麺ではなく、そば粉を湯でこねて餅状にした「そばがき」や「そばもち」が主流でした。現代のイメージする麺状のそばは、そば切りと言われ歴史的書物によると近江の住職が1614年に江戸常明寺で振舞われたそば切りが最古とされています。
そばは餅状の食べ物からどんどん進化を遂げ、江戸時代に入りそば粉につなぎとして小麦粉を混ぜる製法が打ち出されました。
そば粉のみのそばは「十割」、小麦粉2に対してそば粉8の比率のそばは「二八」同様に「三七」・「半々」も誕生します。そば粉10として小麦粉2の割合を「外二」という通好みの製法も生み出されていきます。
今では、最寄り駅の周辺には必ず蕎麦屋さんが暖簾を掲げていますが、お店としてのそば屋さんが開店したのも江戸時代で、代表的なお店として信州の行商人の清右衛門が「信州更科蕎麦処」を開業し、そばの実の中心のみを挽いた白い上品な更科そばは、江戸中で大人気となった。また同時期にそばの実の甘皮の色を入れた薄緑色のそばが特徴の「藪そば」も誕生し、江戸中にそば屋が広がり1860年ごろには、江戸府内のそば屋は3763店にもなった。
年越しそばなどの習慣もこのころ生まれ、金銀細工師が、飛び散った金粉・銀粉を、そば粉を使って集めていたことから、縁起をかついで掛け金の回収前にそばを食べるようになった事から、そのげんかつぎが晦日や大晦日にそばを食べるという習慣として広まった。また、引っ越しの挨拶に「そばに参りました」の意味を込めてそばを贈る習慣も江戸時代に起きたとされる。

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男のたしなみV2(スーパーフードとしてのそば)

主食であるお米や小麦粉と比較してみるとそばがスーパーフードであるこ事がわかる。蕎麦は荒廃した土地でも育ち、種蒔きしてから、なんと4~5日で発芽し、30~35日目頃に開化最盛期を迎え、70~80日で収穫適期となる。他の主食物と比べても格段に早く、さらに年に2回・うまく栽培すれば3回収穫できるスピードフードでありスーパーフードなのだ。
この収穫スピードにより、我々の先祖の飢えを凌ぐ主食兼非常食として大活躍してきている。
江戸時代にそば屋が広がった話は先ほど触れたが、当時のそばの食べ方に少し触れていきたいと思います。
江戸時代の蕎麦はつなぎを使わない十割蕎麦茹が主流で、十割蕎麦は切れやすく、切った蕎麦を蒸籠に乗せてそのまま蒸して提供する形が主流でした。
今でも「せいろ蕎麦」と呼ぶのはこの名残です。先ほど「二八」そばの由来に触れましたが、他の説によると値段が16文であったことから、2×8=16の符丁からきたものという説も存在します。
当時の風習で最も驚くものがそばつゆで、鰹節の出汁に醤油などを加えたものではなく、味噌に水を加えて煮詰めた噌がベースの「味噌だれ」が使われていました。今からは想像がつかないですね。

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男のたしなみV3(ご当地蕎麦)

江戸でも三大蕎麦として、「藪(やぶ)」「更科(さらしな)」「砂場(すなば)」という屋号や、地域特産の食材をのせる「にしんそば」や「はらこそば」「しっぽくそば」など地域の特性を活かし長い歴史の中でさまざまに変化してきているそばの特性に注目してみたいと思います。
各地各地のご当地蕎麦はなぜそのように進化してきたのでしょうか。少し調べてみました。
(兵庫の出石皿そば)
上田から国替えした仙石氏がそば職人を連れていったのが始まり。
(島根の出雲そば)
松本から松江に国替えした松平直政がそば職人を随伴したためといわれています。
(福島の高遠そば)
伊那の城主保科正之が持ち込んだもの。
「国は替えてもそばとは離れぬ」というお殿様方の熱い想いが、各地でご当地そばとして花開いたと言われています。
(うまいそばのかげには信州あり!)
江戸中期、浅草の寺「道光庵」で、信州松本出身の主人が檀家に振る舞ったそばが評判を呼び、檀家以外の人まで信心にかこつけ、そば目当てに列をなした伝説にあやかったため。今も昔もうまいそばのかげには信州あり!だそうです。
美味しいものを食べたい想いは今も昔も変わらず同じだという事ですね。

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男のたしなみV4(そば湯は、なぜ飲むの?)

そば湯を飲む風習は信州から江戸に広まったと言われています。もともとそばはバランスのとれた栄養食で、なかでもそば粉に含まれる植物性タンパク質はとても良質なことで知られています。何度もゆで釜でそばをゆでているうちに、溶けだした栄養素がゆで釜の湯にだんだんと濃縮されていきます。せっかくの栄養をムダにしないよう、生活の知恵として口にしたのがそもそもの始まりと言われています。このタンパク質は二日酔いに大変効果があり、またその他にもポリフェノールの一種であるルチン、またビタミン、ミネラルも多量に含まれています。
美味しいそば食の後は、そば湯で健康をたっぷり味わいましょう。
やはり、飲んだ後の〆は、そばが適しているという事かもしれませんね。

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まとめ

そばの歴史は9000年と知ると、重みがありすぎます。またそばは、荒廃した土地でも育ち、70~80日で収穫適期となる。さらに年に2回・うまく栽培すれば3回収穫できるスピードフードでありスーパーフード。栄養素的にもタンパク質やポリフェノールの一種であるルチン、ビタミン、ミネラルも多量に含まれている健康フードでもあります。
当時のお殿様が、必ずそば職人を同行させた理由がわかるような気がしました。ここまで進化してきたそばですが、これから100年後のそばの進化が楽しみでなりません。
いつも感じることですが、美味しく食べていただきたい一心で、研究に研究をかさね現代に受け継がれ、現代でもさらに美味しく食べていただくため少しづつ進化したもののみが後世につながり未来に残り続けるのですね。「想いは形になる」と聞いたことがありますが、想いの深さが形にするのですね。今回は、お取り寄せでの体験でしたが、「一湖房の鴨汁そば」を体験させていただいたことで、「そば」のルーツやこだわりを感じることができました。私の「そば」の教養も披露させていただき、皆様に大変喜んでいただきました。男(45歳)のブランドを損ねることなくさらに磨きをかけることができました。V33達成です。

【滋賀県の名店、一湖房の鴨汁そば】
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※次回の続、男のおもてなしも楽しみにしててください。

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