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全て自分の責任、こんな上司になりたい

部下の手柄は自分の手柄、自分のミスは部下の責任
こんなとんでもない上司、悲しいことに結構いますよね。上司たる者、本来はその逆でなければならないのに・・・

さて、今回は弟子の不出来を自分の責任と大いに反省する禅匠のエピソードを紹介します。

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江戸時代に博多で活躍した仙厓禅師の話です。
仙厓のもとで修行していた弟子は、深夜こっそりと修行道場を抜け出して、繁華街に遊びで行こうと計画しました。

師匠の仙厓が寝静まったことを確認すると、弟子は予め用意していた踏み台を使って、寺の土塀をよじ登り、寺の外に出ました。
「寺を抜け出すのなんて朝飯前だ。今夜は楽しむぞ」

厳しい修行から解放された弟子は、繁華街へ颯爽と向かいました。弟子はたっぷりと酒を呑み、厳しい修行のことも忘れ、昔の仲間と楽しい時間を堪能しました。
「それにしても今夜は楽しかったな。厳しい修行ばかりだと息がつまってしまう。たまには息抜きも必要だ。次もまた寺を抜け出して遊びに来よう」

弟子は師匠の仙厓にバレる前に寺に戻りました。寺の壁をよじ登り、壁を降りようと先ほど使った踏み台を足で探ってみました。しかし暗闇のためか、先ほど使用した踏み台が見当たりません。
「あれ、踏み台は確かこのあたりにあったはずだが。踏み台はどこかな」

弟子はなかなか踏み台を足で探し当てることができません。もう一度、足を延ばし足で踏み台のありかを確認しました。そうすると、踏み台らしきものが足先に触れました。
「あった、あった。よかった。これで無事に降りれるぞ」

弟子はその踏み台らしきものに足を架けて寺の壁を降りました。踏み台を降りて、寺の中に無事に戻った弟子は、自分が踏み台にしていたものを見て、びっくりしました。

なんと、弟子が踏み台にしたものは、師匠の仙厓の頭だったのです。仙厓は、弟子が夜こっそりと寺を抜け出して夜遊びに行ったことを見逃してはいませんでした。そして、弟子が出ていったあと、その踏み台をどかして、そこで坐禅を始めたのでした。

「大変なことになったぞ。師匠はカンカンに怒っておられる。どんなに怒られてもとにかく謝り続けよう」
弟子は、地面につくほど深々と低頭し、ひたすら謝り続けました。

しかし仙厓は、弟子を全く怒る気配がありません。それもそのはず、そもそも仙厓は、弟子を起こる気は毛頭ありませんでした。
「弟子の不始末は、師匠のわしが不甲斐ないからだ。弟子を正しく導けなかったことは、弟子に責任があるのではなく、わしにある」

仙厓は、弟子を厳しく叱るのではなく、悪いのは自分の指導力の無さだと、暗闇の中、坐禅をしながら反省していたのでした。

弟子は、叱らないどころか師匠自らの非とした対応に大層感銘を受け、それからというもの今まで以上に修行に打ち込み、二度と夜遊びをしなくなりました。

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部下のミスを怒る前に、まずは自分の指導不足を反省する、そんな上司になりたいものです。

 


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