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【短編】冬の陽

 年明けすぐの朝刊だったと思う。以前、勤務していた中学校が取り壊され、新しくホテルが建設されることが決まったという記事が掲載されていた。廃校になってからもう10年は過ぎただろうか? 広いグランドに体育館、道路へと降りるハシゴが道路に面した壁に設置されていた。僕が最後にそこに訪れたのは同じ学年担任だった梶原先生の葬儀だった。

 多分、僕にとって間違いなく最後になるだろう、僕はネットで雪が降らないか天気予報を確認した。

 早朝、家を出たのに着いたのは昼前だ。誰かが言っていた『県内なのに圏外』その皮肉にまさに、と思う。
 僕と同じように新聞の記事やニュースを見たからだろうか? 学校の目の前の道路脇には数台の車が停車していて僕もその最後尾に車を停車した。
 道路から坂道を登ったところに校門はあった。楽に登れていた坂道を今は何度か立ち止まりながら登った。海岸線、自転車を漕いで遠くの喫茶店まで食べに行っていた自分の体力が嘘みたいに思えた。懐かしい場所を訪れると同時に感じるのは身体の衰えだった。

 校門の前では写真を撮っている人の列ができていた。目が合うとお互い会釈をしながら、知り合いではないのか? ほんの少し目元の記憶をたどってゆく。しかし、もうすんなりと名前も自分の中からは出てこなかった。僕も校門の前に並んだ。僕が自転車を停めていた駐輪場のトタン屋根はもう至る所が破損していて、もちろん、1台も自転車は停められていなかった。
 待つ間、目の前の海を見ていた。

*****

「富田先生、これ」
 夏休み明け、数日が過ぎていたのだと思う。その時の僕は確か、喫茶店まで自転車を漕いで大盛りのナポリタンを食べるか、カップ焼きそばを食べるか? そんな晩御飯のことを考えながら校門へと歩いていた。
 振り返ると半袖のジャージ姿の上杉だった。シャワーを浴びたみたいに髪の毛が濡れていて首にはタオルがかけられていた。僕が足をとめると赤のスポーツバッグの中から少しシワのついた4つ折りの原稿用紙を出して僕に手渡した。
「何? 」
「遅くなりました。読書感想文です。どうしてもなかなか書けなくて昨日、ようやく書けたんで」
「ああ、確か受け取りました。上杉さん、じゃあ、さようなら」
「富田先生、さようなら」
 僕は原稿用紙を手に持ったまま坂道をおりた。住んでいたのは学校から歩いてすぐそばの小さな官舎だった。
 鞄の中へしまう前に坂道をおりたところで原稿用紙を広げて足をとめた。

*****

 『読書感想文』
        上杉恵

 読書感想文を書いてください、そう言われるのははじめてのことではありません。でもなぜか14歳の私には、ありふれた宿題の読書感想文を書くということがひっかかってしまいました。提出物を出すのを遅れたのも初めてのことです。何かを読んで感想をのべる、13歳の私には何もひっかかりませんでした。でも、小説を書いたこともない私が感想を書こうとした時、『私は何様だ? 』って学校から手渡された原稿用紙を破り捨てました。格好良く、須賀くんが読んでいるようなカフカを手にとってみようかと思いましたが、今じゃないのだな、と本屋で棚に戻しました。
 そして机の上に置いている文庫本をふと見ました。その文庫本は母が勝手に買ってきては私の机の上に重ねて、時々、読んでいるようでした。
 夏休み最後の日、その中の一冊を感想文を書くために手に取りました。文庫本の表題は別のタイトルでしたが、その中の短編『校門の前で』という小説を気がつくと何度も読み返して結局、感想文は書けないままでした。
 次の日、学校に行って始業式の間も式を終えて体育館から校舎へともどってゆく渡り廊下を歩いているときも、その『校門の前で』という私の知らない誰かが書いた小説がずっと私の中にいました。
 私は好きになる気持ちはわかるけれど、まだ付き合ったこともないし、キスもセックスの経験ももちろんありません。でもその校門の前を読んでいたら、物語が自分の中に入ってくる感覚がありました。誰かに魂を掴まれたような痛みも誰かに背中をさすってもらったようなぬくもりもありました。
 そして、いつか、この物語のようにいつか私も壊されてゆく校門の前で立ち尽くす日がくるのかもしれないと思ったら、部活を終えていつものように体育館前の水道で水を出した時、その飛沫が飛んだ瞬間、ほんの少し笑いながら涙が出ていました。
 物語のせいです。
 『校門の前で』を読まなければこんな気持ちにはなりませんでした。

 そこで一旦、感想文は終わったようだった。でもまだ原稿用紙にはめくる1枚があった。

 富田先生へ

 先生、読書感想文を書くということを物語にしてみました。『校門の前で』と架空の小説を読んだように書いてみました。
 どうでしたか? きっと先生は呆れてると思います。
 いつか校門の前で本当の小説を先生に渡せる日が来ればいいなぁ──なんて思いながら、今日も私の書いた散文の添削よろしくお願いします。

*****

 校門の前で僕はそこから海を見ていた。そして、上杉が書いた読書感想文を思い出し、あの日、その原稿用紙をテーブルの上に置いたまま、カップ焼きそばを食べたことを思い出した。
 上杉が今、どうしているか全く僕は知らなかった。なぜ、今、ここで僕があの原稿用紙を手渡された日を思い出したのかもよくわからなかった。
 もうすぐこの門も壊され、校舎も解体されてゆくだろう。
 そして新しいホテルが建ち、そのホテルの窓からいろんな思いできっとこの海を見る人が想像できた。
 何がどう変わっても踏みしめるのは大地で流れ続けてゆくのはきっと水だ。

 もうすぐ終わるであろう僕の人生にもまだ行くべきところはあるのかもしれない。
「撮りましょうか? 」
 僕は声をかけてくれた人にスマホを手渡して校門の横にぎこちなく立った。
「笑って!! 」
 その声にわざと口角をあげて。
「ありがとうございました」
 スマホを受けとって今度は校門から見える校舎の写真を撮った。

 車にもどってもう一度、校舎を見上げた。

 『先生のせいです、先生に出会ったから私はまだ書くことに夢中です』
 
 上杉がどこかでそんなことを思って物語を書いていることも知らずに僕はきっと残り少ないであろう人生に向かってエンジンをかけた。
 
 ふと助手席をみると冬の陽が窓から僕の隣に差し込んでいた。

 

 

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