河﨑秋子『絞め殺しの樹』(毎日読書メモ(467))
昨年の直木賞候補作、河﨑秋子『絞め殺しの樹』(小学館)を読んでみた(このときの受賞作は窪美澄『夜に星を放つ』)。
た、タイトルが怖いよね、絞め殺し? でもこれはミステリではなく、殺人事件とかも出てこない。昭和10年から60年頃までの長いタイムスパンを描く小説なので人死には出てくるけれど、ミステリ的要素はない。
道東を舞台にした、強く生きる女性の生涯を描く、っていうと、なんだか桜木紫乃みたい? 単行本ずっしり430ページ、第一部と第二部で中心人物は入れ替わるが、279ページまでの第一部の主人公橋宮ミサキの人生がじっくりと描かれる。
幼いうちに肉親を失い、母親が世話になった家に引き取られるが、無給の下女のようにこき使われる。学校にも行かせてもらえなかったのが、見かねた周囲の人の口添えで学校に行けるようになると、仕事の合間に必死で勉強する。理不尽に耐え、努力するミサエの姿に頭が下がるが、物語の落としどころが全然見えてこない…と思ったら、努力が報われ、札幌で看護学校に通い、保健婦の資格までとって、故郷根室に戻って保健所で働くことに。順風満帆、と思うと、その先の人生の方が理不尽で辛くなる。奉公先の吉岡家でいたぶられるようにこき使われていた時代、いちずでけなげだったミサキは、ずっと真摯でしっかり生きているのに、人生のままならなさは、自分の自由度が高まってきた時の方が強烈にやってくる。
あまりにも残酷な運命。
でも、ミサエは命ある限り生きることを選ぶ。
第二部の語り手は別の人に移り、ミサエは直接姿を見せることはなくなるが、その語り手の人生もまた、ミサエ同様、真摯で、死に物狂いである。こちらの登場人物はわたしと同世代だが、同じ時代を生きていたことが信じられないくらい過酷で、何のために生きるかを必死に考える姿に頭が下がる。彼の人生に時折影を落とすミサエと、ミサエと交流のあった人々。そんなところに伏線があるとは思わなかったよ、というようなあっと驚く伏線が最後に物語をきりりと引き締めるが、二人の主人公の真摯さにずっと気持ちを寄り添わせ、彼らを支える人に心の慰めを見いだし、逆に明らかに悪役の人々に怒りを覚え、きっぱり明快な読書だったとも言える。
ところどころで仏教の話が出てきて、タイトルの「絞め殺しの樹」も仏教に由来したことばだった。
「…思うようになったんです。どんな木だって、いつかは枯れるって。寿命が十年くらいの木も、何千年も生きる木も、必ず、いつかは」(p.270)
「絡み付いてね。栄養を奪いながら、芯にある木を締め付けていく。最後は締め付けて締め付けて、元の木を殺してしまう。その頃には、芯となる木がなくても蔓が自立するほどに太くなっているから、芯が枯れて朽ち果てて、中心に空洞ができるの。それが菩提樹。別名をシメゴロシノキ」(pp.334-335)
これは主人公たちを遠くから見ていた登場人物の科白だが、長く苦しい人生の物語に寄り添って読んできた中で触れると、達観した感じがじわじわと心に沁みる。うわべだけの共感は役に立たない。一見突き放したかような遠いことばが、むしろ救いになることもある。
次は、エキノコックスをテーマにした、『清浄島』を読んでみたいな、と思っている。
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