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桐野夏生『砂に埋もれる犬』(毎日読書メモ(335))

桐野夏生『砂に埋もれる犬』(朝日新聞出版)を読んだ。表紙はゴヤの「砂に埋もれる犬」の絵の一部をもとにデザインされているが、ゴヤの絵の中にある犬の絵は入っておらず、不穏な空気感の中に、作者名・タイトル文字とアクションペインティング風の細かい点が飛び散った中に画面を切り裂くような線が走る装丁。

これは、ニグレクトされた子どもたちの物語である。壮絶。虐待の連鎖のようなものがあり、主人公優真と弟篤人は、母親亜紀と付き合っている北斗に何日も部屋に放置されたり暴力を受けたりしているが、亜紀自身も、自分の母親にニグレクトされながら育っており、平穏な家庭とか、堅実な生活とかがどんなものであるかがわかっておらず、子どもを育てるというのがどういうことか、理解していないし理解したいとも思っていない。
殆ど食べ物もなく放置された優真と篤人は飢え死に寸前で、近くのコンビニ店主から廃棄する弁当を分けてもらったのをきっかけに、優真は児童相談所に保護される。小6になる優真は、小4の途中から小学校にも通っておらず、風呂に入る習慣もなく歯磨きの習慣もなく、社会性と言うものが全く身についていない。小学校に通っていた場所から北斗の家に移った際に、住民票を動かさなかったので就学する学校もなく、ランドセルや教科書は前の家を出るときに母親に捨てられてしまった。捨てられた時に泣いたのを最後に、優真は感情が封印された状態で野生の動物のように生きてきた。

優真は保護され、児童相談所→保護施設→里親に引き取られ、小学校を卒業し、中学生になる。しかし彼の中ではあまりに多くのものが欠損しており、人とのコミュニケーションがうまく出来ない。出来ないことへの葛藤すらない。母親やその男の暴力や精神的な虐待に苦しんでいた時代に状況を客観視出来ていた知性が、大人の庇護に入ったら逆に働かなくなり、本能や情動が彼を支配する。彼には善悪の判断すら出来ていない。
身体が大きくなってきて、母親からの暴力には力で対抗できる位になってきた時期に保護されたため、優真の中には既に女性は力で屈服させることの出来る存在である、という刷り込みが出来てしまっている。会ったこともない自分の父親は、だらしなく愛情もない亜紀を捨てた、ということにより、優真の中でまるでヒーローのように映ってすらいる。
様々な歪んだ価値観が、小説の中で丹念に描かれ、それを是正することの出来る圧倒的な正義が存在しないことに、読者は苦悶する。そして、小説の中で描かれているよりもっと凄絶な虐待がいたるところに存在するという現実を前に、暗澹たる思いにとらわれる。

例えば是枝裕和監督の映画「誰も知らない」のディテイルはちょっと『砂に埋もれる犬』に似ている部分もあるが、映画の中の、母親に放棄された子どもたちの未来は描かれない。大人に気づかれないように社会の隙間で生き続けたきょうだいはどんな大人になるのか。義務教育も受けず、処世術も知らずに、どうやって生きていくのか。きょうだいの紐帯だけがよすがなのか。

有川浩の『明日の子供たち』(幻冬舎文庫)は児童養護施設を舞台とした物語。自分たちを可哀想だと思ってほしくない、と言う子どもたちの強い自我と共に、一人一人の抱える苦悩とか社会に適応する困難とか、色々な問題が提起され、それに対処する人々の物語の中に希望が見え、物語に明るさを与える。

それに対し、『砂に埋もれる犬』は、圧倒的なニグレクトの結果、保護される際に「母が自分を捨てたのではなく自分が母を捨てたのだ」と思う主人公の圧倒的な強さと、その強さに裏打ちがないことによるぶれが描かれる。保護施設で一瞬の触れ合いを持った2人の友人的存在が、親からの逃避と、親権を振りかざし引き取りを迫る親の愛情にみせかけた何かとの間で葛藤したり、親からの逃避の結果として、他にすがる相手を見つける不安定さというモデルケースを見せてくれるが、優真はどちらにもならない。
愛情をかけられなかったと感じて育った結果として、自分に対する愛情を示す人の愛を測ったり試したりする人、というのがいるが(実世界でも見るし、小説などにもよく描かれる)、優真は愛情というものが何であるかも理解できないまま大きくなってしまっており、愛するとか愛されるとか大切にするとか大切にされるとか、概念すら理解できない。圧倒的な孤独が、結果として他者を寄せ付けず、「友達は出来た?」と聞く里親や保護司に対しては怒りしか感じられない。

中学生になっている少年を、今更圧倒的な愛情でくるんで、情緒を養うことは出来ない困難さに言葉を失う。時を巻き戻すことが出来ない中、優真が虐待と暴力の連鎖から逃げおおせることは出来るのか(逃げようという観念すらない中で)。物語の前面から消えた亜紀と篤人は優真より更に悲惨な境遇にあることが示唆され、息苦しさとわだかまりが残る読書となったが、巻末の転換シーンは、これは物語がよい方に転じたもの、と信じていいのか? 信じたい、と思う読者にはそうだ、と思える、読者に委ねられた締めくくり。

福祉の現場にいる人たちへの尊敬と感謝。そして、一人一人の人間が出来ることって何だろう、と絶えず考えること。他者を受容するとはどういうことかを意識すること。この小説は教訓を求めるための小説ではないが、他者を理解することの困難と、信じたいという希望について考えるための足がかりとなる本なのかな、と思った。


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