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江國香織『川のある街』(毎日読書メモ(542))

2月に出た江國香織の『川のある街』(朝日新聞出版)を読んだ。「小説トリッパー」に、2021年~2023年に発表された3つの中編小説をまとめた本。「川のある街」の情景を描く、という共通点はあるが、相互に連関はない3つの物語。

「川のある街」は小学生望子もちこの視点で、両親の離婚で、母親の実家に近い、川の近くのマンションに引っ越してきてからの生活を振り返る。望子の耳に入ってくる、通りすがりの人の会話がそのまま文章に流れ込んでくるのが面白い。冒頭からこんな感じ。

「煮る前に一回にんじんをオーヴンに入れて焼くといいんだって。じっくり、三十分くらい」「そうなの?」「うん、全然違うらしいよ、ただ煮てブレンダーにかけただけのやつとは」「ふうん、そうなんだ」「それでね、仕上げに浮かべる生クリームは、塩を入れて泡立てるんだって」
「捻挫?」「そう、あいつ書道を習い始めて、正座して足しびれてんのにそのまま立って、半紙もらいに行こうとして転んだんだって、ばたんと」「あぶな。でも書道って、なんであいつ急にそんなの始めたんだ?」「俺が知るかよ。なんか思うところでもあったんじゃないの?」「思うところって?」「いや、知らないけどさ」

p.7

こんな会話文で話が始まり、戸惑っていたら、全然本筋と関係ない。望子が父と会ったり、母と「おばちゃん」(母の叔母だから望子からは大叔母)が会話していてるのを聞いていたり、おばちゃんと大相撲を見たり、友達と遊んだり、そんなとりとめのない望子の生活の様子が、不思議に魅力的で、その暮らしが、2本の川が並行して流れている街の中で静かに続いている様子が心地よい。そんな暮らしの中でぷっつり物語が終わり、え、と思う。

続きかと思って読み始めた「川のある街II」は全然違う物語だった。何しろ語り手はカラスである。それもいろんな性別年齢種別のカラス(ハシボソガラスとハシブトガラス)が次々と出てきて、それぞれの個体のこだわりを示し(作者はカラスに関する研究書でも読んだのだろうか? そういう嗜好のカラスもいるのかもね、と思わせる)はさまるように人間のエピソードも出てくる。早産になりかけて入院している女性、クラスメートとうまくやっていけない女の子、その子をきにかけてあげている近所の男の子、沖縄から帰省しているその叔父さん、彼氏の実家に挨拶に行くのに、彼氏より一足先にその街にやってきてふらふらしている若い女性、カラスたちの情景描写の合間に出てくるばらばらのエピソードが最後に一つの場所に集約する。孤独に暮らしていたカラスの少女は自分が混ざりたいと思う群れを見つけて合流する。「川のある街」とは逆に、着地点が突然出てくる終わり方。

そして「川のある街III」は、ヨーロッパのとある町。有名な観光名所の名前が途中で出てくるので、あ、あの都市か、とわかる。川(運河かな)は生活にあまりに自然に入り込んでいて、通奏低音のよう。芙美子は自分の意思でその町に移り住んできて老境に入って、認知に歪みが出始めている。記憶が混濁したり、道に迷いかけたりする芙美子のモノローグを読み、手に汗を握る。本人が修正しようとする軌道の様子にもドキドキする。日本から芙美子を訪ねてきた姪は、芙美子に日本に帰ってくるよう自分の父親(芙美子の弟)に依頼されて伝言を伝えるが、芙美子は帰るつもりはない。同世代の人たちがいなくなり、その子ども世代の人たちに気遣われながら、自分は大丈夫、大丈夫と言い聞かせつつ、どう見てもあぶなっかしい芙美子の暮らしの様子も、「川のある街」同様ぷっつりと終わる。

この先芙美子はどうなっていくのだろう。物語の終わった先の望子の暮らしと、物語の終わった後の芙美子の暮らし、色も匂いも全然異なった、この3つの物語の登場人物たち(主に女性たち)のこの先を追いかけることはこの物語たちの目的ではないかな、と思う。冒頭の大人たちの会話を聞いて「大人はよく喋る」と思った望子の感想通り、生きれば生きるほど、人は語りたいことが蓄積していき、それを人に伝えようとしがちである。伝えたいという気持ちはどこにいくのか、どこにもいかないのか。自分の欲望だけに向き合い、それと生き延びねばという本能と折り合いをつけて日々を送るカラスたちと何がどう違うのか。

出版社のウェブサイトでは
「人生の三つの〈時間〉を川の流れる三つの〈場所〉から描く、生きとし生けるものを温かく包みこむ慈愛の物語」
と書いてある。うむむ、そういうまとめ方か。
昔の江國香織の小説のように、妙にずれた感じの人とか、困った人、悪い人とかは出てこない、見方によっては印象のぼやけた小説とも言えるかもしれないが、どの登場人物にも、人物だけでなくてカラスにも、反感を持たずに読めるこの小説は、やはり、「慈愛」の物語なのか?


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