見出し画像

伊坂幸太郎『逆ソクラテス』(毎日読書メモ(317))

刊行から2年もたってしまったが、ようやく伊坂幸太郎『逆ソクラテス』(集英社)を読んだ。小学生を主人公とした5つの短編からなる作品集。それぞれ別の子どもが主役の独立した物語だが、教師磯憲が2つの物語で大切な役目を果たし、そして、最後の物語(磯憲は出てこない)の一番最後の部分で、逆転ホームラン的に大きな救いが提示される。

どの物語も素敵だ。魂の自由。人による価値観の押しつけへの抵抗のため、小学生たちが持てる能力のうちで知恵をしぼり努力する。小賢しく、意地悪な人、自分の価値観で他者を傷つける人に対しては、それは、自分の未来を傷つける行為だよ、と伝えることで、非暴力不服従の反撃を行う。
キーワードは「僕はそう思わない」「未来のお前は笑っている」「もし、平気で他人に迷惑をかける人がいたら、心の中でそっと思っておくといい。可哀想に、って」「バスケの世界では、残り一分を何というか知ってるか?…永遠だよ、永遠」「最終的には、真面目で約束を守る人間が勝つんだよ」どれも、この部分だけ切り出して読んでも、だから何?、って感じだと思うけれど、物語の中で、一旦提示されて、物語が未来に飛んだり現在に戻ったりするのを追いかけた末に、これらの文を読むとじわっとくる。泣ける。

4つ目の、「アンスポーツマンライク」は、小学校のミニバスケットボールのチームメイトたちの物語だ。彼らが体験したミニバスのチームの指導の在り方と他のチームの様子など読んでいて、前にも、チームスポーツの監督そして指導について色々考えた時のことを思い出した(ここ)。威嚇するように、大きな声で怒鳴る、叱る指導者を見て、それでは子どもの成長にならないと思うか、子どもはその位厳しくしつけないとダメだと思うか。子どもの主体性を大事にして、それで勝てるチームになれるか。勝てなくても自分で考えたプレイが出来て楽しければいいのか。過去に子どものバスケを見に行っていて、圧倒的に強いチーム、というのがあって、そこでは選手は監督の駒みたい(駒として動ける子だけが試合に出場できる)にきびきびと動けるのだが、大人になっても、監督が指導した通り動いた方がよい結果が出るスポーツ選手は結構いて、スポーツ(だけじゃないか)で長じることと魂の自由を両立させるのは難しいことだな、と思う。

これらの小説の中で、触媒のように周囲の子どもたちに魂の自由という気づきを与えてくれた少年少女たち、子どもの本質をきちんと見抜ける親や先生、そんな人たちが、すべての苦しんでいる子どもたちの前にいてくれればいいのに、と思う。物語の最後で、奇蹟を見せてくれたように。

#読書 #読書感想文 #伊坂幸太郎 #逆ソクラテス #集英社 #逆ワシントン #バスケットボール

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?